読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

四章 日本辺境論 ―これが日本の生きる道?

「辺境で何か問題でも?

 

「Sight」とという雑誌のインタビュー。(略)

「街場の中国論」にも書いたのだけれど、日本は「辺境」の国である。

地理的にどうこうというのではなく、メンタリティが辺境なのである。

「辺境」というのは、「中央」から発信される文物制度を受け容れて、消化吸収咀嚼して自家薬籠中のものとしたのち、加工貿易製品として(オリジナリティはまるでないけど)お値段リーズナブルでクオリティの信頼性の高い「パチモン」を売り出す、そのようなエリアであることを言う。

 

「辺境」の基本的な構えは「学習」である。「キャッチアップ」といってもいい。

中央との権力・財貨・情報などなどの社会的リソースの分配において自分が劣位にあることを自明の前提として、「この水位差をいかにして埋めるか」という語法によってしか問題を考察することができないという「呪い」がかけられてあることを「辺境性」という。

私は前に「街場のアメリカ論」にこう書いたことがある。

 

日本人はアメリカを愛することもできるし、憎むこともできるし、依存することもできるし、そこからの自立を願うこともできる。けれどもアメリカをあたかも「異邦人、寡婦、孤児」のように、おのれの幕屋に迎えることだけはできない。

あ「アメリカ人に代わって受難する」「自分の口からパンを取り出してアメリカ人に与える」ということだけはどのような日本人も自分を主語とした動詞としては思いつくことができない。

日本人はアメリカ人に対して倫理的になることができない。

これが日本人にかけられた「従者」の呪いである。」

 

〇 私にはこの「日本人にかけられた「従者」の呪い」ということがよくわかりません。多分日本人=自分=大人という感覚の人にしかわからないものなのかもしれない、

と想像します。私は日本人ではあるけれど、この国を動かしているのは、どこかの「賢い大人」で、私はただ、そこに住んでいるだけの人間。

 

日本の中の従者。日本人ではあるけれど、ある意味子どものような存在だと感じます。だから、この感覚がわからないのかな、と。

 

「私は「従者が悪い」と言っているのではない。

だって日本は開闢以来ずっと従者だったからである。

卑弥呼が「親魏倭王」に任ぜられてから「日本国王足利義満まで、日本は中国皇帝から封爵を受けていたのである。

 

 

一九四五年からあとはアメリカの属国としてその封爵(名誉「アメリカの五一番目の州」)を受けている。

日本が「われわれはもう誰の属国でもない」と思ったのは一八九四年から一九四五年までの五〇年間だけである。

そして、その間、日本はずっと戦争ばかりしていた。

 

 

 

日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日華事変、ノモンハン事件、太平洋戦争。

一九三一年の満州事変から起算して「一五戦争」という言い方があるが、私は一八九四年から起算した「五〇年戦争」という方が事態を正しく言い当てているのではないかと思う。

 

 

 

日本近代史から私たちが学習できることの一つは、日本が辺境であることを拒否しようとするなら、世界中を相手に戦争をし続ける覚悟が要るということである。

これは歴史の教訓である。

そして、すべての戦争に勝ち続けた国は歴史上存在しないというのもまた歴史の教訓の一つである。

 

 

ここから導かれる選択肢は二つしかない。

アメリカを含む全世界を相手に戦争をする準備を今すぐ始めるか、このまま鼓腹撃壌して属国の平安のうちに安らぐか、二つに一つである。(略)

 

 

必然的に第二の選択肢だけが日本にとって現実的なものである。

現に、日本はその歴史のほとんどの時期を「辺境」として過ごしてきており、辺境の民えあることの心地よさは深く国民性のうちに血肉化している。(略)

 

 

四書五経素読を通じて、江戸時代の子どもたちが学んだのは「子どもには決して到達し得ない知的境位が存在する」という信憑である。それがみごとに奏功して、その時代の日本人の識字率は世界一の水準に達した。

アジアの蕃地に来たつもりの欧米の帝国主義者が日本に発見したのは「知的なエルドラド」であった消息は渡辺京二「逝きし世の面影」に詳しい。

 

 

「辺境」は(自分が辺境だという意識を持ち続けるならば)「中央」を知的に圧倒することが出来る。日本の歴史はその逆説を私たちに教えている。

戦後六二年、「アメリカの辺境」という立ち位置にとどまることによって日本は世界に冠絶する経済大国になった。

 

 

日本人がバカになり、世界に侮られるようになったのは、八〇年代のバブル以降であるが、それは日本人が「オレたちはもう辺境人じゃない。オレたちがトテンディで、オレたちが中心なんだ」という夜郎自大な思い上がりにのぼせ上ったからである。

 

 

学力低下もモラルの低下も、みんな日本人が「辺境人」根性(「いつかみてろよ、おいらだって」)を失ったことにリンクしている。

だから私が申し上げているのは、属国でいいじゃないか、辺境でいいjかないか、ということである。

 

 

せっかく海に囲まれた資源もなんにもない島国なんだし、人類史以来地球上で起きたマグニチュード六以上の地震の二〇%を一手に引き受けている被災国なんだし。(略)

 

 

ある種の「病」に罹患することによって、生体メカニズムが好調になるということがある。だったらそれでいいじゃないか、というのが私のプラグマティズムである。

「属国」であり、「辺境」であることを受け容れ、それがもたらす「利得」と「損失」についてクールかつリアルに計量すること。

 

 

病識をもった上で、疾病利得について計算すること。

それが私たちにとりあえず必要な知的態度であろうと思う。

健康であろうとしたせいで早死にした人間をたくさん見て来たせいでそう思うのである。

                (二〇〇七・五・三一)」

 

〇あの河合隼雄氏は、どこかで「自我は英雄だ」というようなことを書いていたと思います。子どもの頃、10歳位になると、私はもうすでにイッパシの人間のようなつもりでいました。自分ほど賢く立派な人間はいないというイメージが私の中にはありました。(あらためて文字にすると、恥ずかしくて消え入りたいような気持になりますが…)

 

そんな気持ちがあったからこそ向上心もあり、逆に劣等感も芽生え…と様々な入り組んだ心の問題も生じたのだと思いますが、今になって思うのは、「自分はこうでありたい、と願っても実際にそうなるのは、本当に難しい。難しすぎる。出来ることしか出来ない。出来ることをして精一杯生きるしかない。」ということです。

 

子どもは、簡単に「世界の中心で光り輝く自分になるんだ…」と思います。でも、大人になると、そんなことは簡単ではないし、世界の中心で光り輝くよりももっと大事なことがある、と考えるようになる。

 

この内田氏の「辺境でいいじゃないか」という論に大賛成です。