読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで ―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―

〇 三砂ちづる著「死にゆく人のかたわらで」を読みました。

この三砂さんについては、内田樹氏の「こんな日本でよかったね」の中に記されていたので、知りました。

 

義父母の介護をした時に、ポータブルトイレを使いました。

「しもの世話」は、実際にやってみると、ただ想像しているだけの時よりは、

なんでもなく出来るものだと思いました。でも、その「何でもないこと」も、

毎日毎日、何年も繰り返し繰り返し積み重なると、

ほとほと堪えてくるものだ、と骨身に沁みました。

 

そこで、いずれ「自分の番」が来ることも想定しながら、

何か良い情報はないかと考えるようになりました。

そんなこともあって、読んでみようと思いました。

 

本のメモは「」で、感想は〇で記します。

 

「第1話 家での看取り

 

特別なことではなかった

ガンの夫を家で看取った。夫はわたしの腕の中で息をひきとった。それだけがこの本を書き始めるきっかけである。(略)

 

 

見合い結婚だったし、そんなにていねいに相性とか、考えていなかった。わたしは小学生の子ども二人を連れての再婚、夫は子どもはいなかったがこちらも再婚。人生中盤以降を生きるためにとにかくお互いパートナーがほしいと思っていったし、紹介してくれたのは信頼できる人だったし、とにかく一緒になってみようとしたのだ。そして一緒になって、けっこう仲良く暮らしていた。

 

 

 

毎日一緒に暮らし、毎夜一緒に眠り、毎朝一緒に紅茶を飲む。子どもたちの様子にともに一喜一憂し、お互いの親戚とつきあい、お互いの親を看取り、旅をたくさんし、えんえんと話をした。話すことはいくらでもあり、お互いそれなりの主張のあるような人間だから、ぶつかることもあったけれど、おおむね、いい結婚生活だった。

 

 

家での看取りはそんな日々の生活の延長にあった。亡き夫が家で息をひきとったのは、だから別に特別な事ではなかったのだ。

 

 

助けてくれる人はたくさんいる

(略)

わたしがそういうことが出来たのは、家から徒歩五分のところに訪問診療の草分けのようなカリスマ医師、新田國夫先生がいたからだ、ということも、わかってきた。(略)

亡き夫との最後の日々を思い起こすことで、それを文章にすることで誰より自分が励まさせるのはわかっている。そしておそらく、それだけではなく、わたしの経験を文字にすることは、少なからぬ「家で死にたい」とか「家で看取りたい」と思っている人たちへの励ましにもなりそうなのである。(略)

 

 

それはとりもなおさずこの国では、どのような仕事でもいったん職業として確立されると、そこに関わる人には必ず心を尽して全身全霊で仕事をする人が出て来て、できあがったシステムをよきものにしていこいう、とする人たちが少なくなくて、それによって、よく運用されていることが多い、と示すことでもある。

医療や介護に関わる人たちは、最もよくそれを体現している。この国ではなかなかどうして、すばらしいシステムができあがりつつあることの言及にもなるだろう。(略)

 

 

 

しかしそれよりなにより、「死」を家族の元に取り戻すことができるかもしれない、という機会は、とても大切なことにみえるのだ。

 

 

身体知は三世代で失われる

人はどんなふうに死んでゆくのか。すべての人は死ぬというのに、わたしたちはあまり、その死にざまについて想像力が働かないことが多い。(略)

家で生まれる、家で死ぬ、ということからおおよそ三世代ほど引き離されてきたので、それはもう仕方ない。

三世代、というのは実に重要なことであるらしい。人間の身体にしみついた記憶や所作や習慣は、三世代で完全に忘れられていくようである。(略)

 

 

 

しかしながら、いま、子どもを産んだ母親が赤ん坊のころ、母乳で育てられておらず、また、子どもを産んだ母親の親、つまりはおばあちゃんも母乳で育てられていないと、いくらがんばっても母乳保育が確立しない場合も、ままある、という。

つまりはおばあちゃん、お母さん、が母乳保育が確立しないと、その娘はなぜだかわからないけれど母乳が出ないことが多い。(略)

 

 

三世代目になると、からだの記憶があいまいになっている。言葉で継承されるのではなく身体で受け継がれる身体知のようなものは三世代で失われる、というのだ。

 

 

 

家で誰かを看取らなくなって三世代目

(略)

そして、二一世紀も始まってかなり過ぎたいま、団塊の世代からわたしの世代にかけて、すでに子どもも成長し孫もいるような年代のほとんどは、誰かが家で死ぬことを経験していない。わたしたちは「誰かを家で看取らなくなって三世代目」である。

三世代目なので、ここを過ぎると、おそらく世代の記憶は消失する。(略)

 

 

介護するとは”しもの世話”をすること

 

人の介護をする、ということは、要するに、食べることと出すことと寝ることに気持ちを寄せる、ということだ。生まれたばかりの赤ん坊を世話することと変わらない。

自分で食べたり、排泄の世話をしたり、ほうっておいてやすらかに眠ったりできないから、母親はあれこれと動き回る。老いた人、病んだ人も同じである。食べることをどうするか、おしっこ、ウンチをどうするか、どうやったら安心してやすらかに眠りについてもらえるか。それだけが重要な課題なのである。

 

 

介護に関して様々な理論を展開なさっている、ある学者さんは、「自分は親の介護も経験したが、”しもの世話”だけはどうしてもできなかったので人に任せた」とおっしゃっていたが、こういう方は「介護をして」いる、とは、呼びたくない。(略)

 

 

だから、別にくだんの学者さんが「介護」を実際に経験していなくても、研究したり理論を展開していただいたりして、けっこうなのである。しかしながら、「自分は介護を経験した」と言いたいときは、やっぱり、”しもの世話”はしているものだ。

 

 

”しもの世話”をしないままで、赤ん坊の世話をした、とか老親の介護をした、とか、やはり、言ってはいけないと思う。介護とは、食べること、出すこと、寝ることの安寧確保意外に、なにもないからだ。いくら苦手でゆくゆくは人に頼むことになるとしても、「介護」をしているひとが「全く”しもの世話”はしない」は、あり得ない。反論する方もあろうが、それが真実だ。」

 

〇 同感です。水に入ることもせずに泳ぎについて語っても無意味なのと同じです。

”しもの世話”を経験して(と言っても、1~2回やったことがあります、ではダメだと思います。)はじめて、介護について語り合うテーブルにつけるのだと思いますし、そういう体験のある人の話しか聞く気になりません。