読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで 

 「立派で使いやすいポータブルトイレ

 

金蔵はすでに口からはものが入らなくなっていて、生命維持のためのぎりぎりの高カロリー輸液を使っていたから、最後の日々は、食べることについてわたしが心配することはもうない状態だった。おしっこをどうするか、ウンチをどうするか、そして痛みに苦しんだり、体位がつらかったりして寝られないことはないか、不安でつらそうにしていないか、をチェックしてよく寝てもらうことがやるべき事だった。(略)

 

 

フランスベッド、という有名なベッドメーカーさんは、介護用品市場にいち早く参入されていたようで、見事なカタログをお持ちで、その中でわたしたちが選べばどのような介護ベッドでも速攻運んできてくれる。マットレスも、最初は普通のマットレスだったがそのうち体位が安定しやすい上等なマットレスに何度もかえ、最後は床ずれ防止機能をを備えた電動エアマットレスとなった。

 

 

このあたり、一言相談すれば、文字通り、その日のうちにマットレスが交換される。フランスベッドの営業さんがてきぱきと動いてこちらが使いやすいようにしてくれて、的確なタイミングでケアマネさんに連絡してくれたりして、とにかく手際がよいのだ。そのことにどんなに助けられたかしれない。そのような介護ベッドとマットレスは何度取り替えようが、介護保険のおかげで、我々は月々二〇〇〇円弱を払うのみであった。(略)

 

最後のウンチとおしっこ

(略)

 

末期カンになって、自分はどんなふうに死ぬのだろう、と金蔵は気にして、わたしたちは、ずいぶんよくそのことについて話していた。そこでいちばん気になっていたことが排泄のことだった。排泄を自分で行うことは、その人の尊厳に関わる。最後まで人の手を煩わせないでおしっこ、ウンチをしたい、と思うのは誰だってそうだろう。

 

 

彼はいつも、「オレの友人はガンで死んだが、死ぬ三日前までトイレに行けたそうだ。そう思うとガンで死ぬのも悪くなさそうだね。オレもそうだといいなあ」と言っていた。だから、わたしもなんとかそれをかなえさせてやりたいと思っていたが、なんと彼は最後の三日どころか、最後のウンチ、おしっこまでちゃんと自分でできた。

 

立ち上がることが出来たこと、そして、どっしりしたポータブルトイレがベッドのすぐ脇にあったことのおかげである。家具調で、一見すると普通の椅子に見えて、安定していて、座りやすくて、使いやすいポータブルトイレは、我々の最後の頼みの綱だった。

 

 

わたしにも愛着のある椅子となり、二個あるうちのひとつは、先ほども書いたように介護保険の割引で購入したもので、家に置いておけば、他の人も使えるし、災害用トイレにもなるかな、と一瞬思ったが、彼の死後、心よりの感謝をこめて、処分した。ポータブルトイレのいる家には、しばらくしたくない、と思ったのである。」