読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「第3話  青天の霹靂?

 

咽頭ガン転移、ステージⅣの宣告

それは青天の霹靂のようなガン宣告、というわけではなかった。

二〇一三年四月二二日、夫は中咽頭ガンの頸部リンパ節転移、ステージⅣのガン、と診断された。(略)

 

 

要するに「ガンでいちばん深刻な状態になっています」という診断を受けた、ということだ。それでも青天の霹靂、というわけではなかったことには理由がある。

 

 

バクダンを抱えた身

夫は、すでに十分にいろいろ「大病」をわずらっていた。もともとこの人は、「脳動静脈奇形」という先天性奇形の持ち主であることを、本人もわたしも知っていた。(略)

 

 

からだの血管がすっきりまっすぐ通っていなくて、どっちが動脈でどっちが静脈かわからないようにからみあっている、と言われるのは、想像するだに気持ちはよくない。(略)

 

 

一緒に暮らす、ということになったときも、本人はまずこの病気のことを口にしていた。自分はバクダン抱えているからいつ死ぬかわからないけど……、ということである。

そう言われても仕方ない。結婚相手というものは、なんらかの欠点を抱えているものである。自分自身もたくさんの欠点を抱えているのだから、仕方ない。どのような欠点なら容認できるのか、結婚というのは、そういう容認の幅の広さでだいたい決まっていくのだと思う。ひらたく言えば、わたしは、この人がバクダン抱えていようが、なんだろうが、ま、いいか、と思って結婚したのである。

 

だから、この人は、いつ死ぬかわからない、と思っていた。しかし、全ての人間はいつか死ぬのだ。わたしだって今日が人生最後の日かもしれない、といつも思いながら暮らしている。誰だっていつ死ぬかわからない。脳動静脈奇形は、わたしがこの人とともに暮らすことをためらう理由には、ちっともなっていなかったのだ。

 

 

いやおうなしに持った覚悟

(略)

 

 

 

救急制度、というもの。これは本当に大したことである。日本の医療制度が他国と比べて劣っているとか、問題があるとか、もちろんそのとおりであると思うし、社会保障制度が財政的に破綻していて、そのありようは、未来の子どもへの虐待に近い、と医療経済学者の友人から聞かされてもいる。きっとそうなのだと思う。

 

 

 

とくにこの財政の問題に対応するために、たしかになんとかしなければならない。改善しなければならないところだらけなのではある。このままでやっていけないところまで来ているという認識は、正しい。

 

 

だからと言って現状が機能していないわけではない、というのがすごいところだ。

先輩方が戦後に精緻につくりあげたこの制度は、ひとりいとりの文字通り血のにじむような努力によってすばらしいものとなり、現在の所、おおよそ、よく機能している。

 

 

電話をすれば救急車はすぐ来てくれて、優秀な救急隊員がてきぱきと必要なことをしてくれて、患者をストレッチャーに乗せて病院に運んでくれて(もちろん今回はラッキーたわけで、搬送先病院が見つからない、という話はいくらでもある。わたしたち自身も、数年後にその問題に遭遇することになる)、そこには夜中でも明け方でも、おおよそ優秀な事務方と看護師と医師がいて、近代医療が提供されるのである。

 

夫がどういう人間か、どういうことをしていた人か、どのくらいお金を稼いだ人なのか、どんな家族がいるのか、家族に支払い能力はあるのか……そういうこととは全く関わりなく、ただ、目の前の患者を懸命に救おうとする。これは本当にすごいことである。(略)

 

 

手術は、まだ若く、目つきが鋭く、頑健で、頼りになりそうな脳外科医二人が執刀を担当して下さった。一七時間におよぶ手術だったが成功し、夫は視野狭窄以外の差し迫った後遺症も残らず、回復した。現代医学というのは、まことに大したものである。」