読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「ガン細胞にブドウ糖が集まる

 

(略)

この検査では、がん細胞は正常細胞と比べて三倍から八倍くらいのブドウ糖を取り込むらしいことを利用して、ブドウ糖に近い成分を体内に注射し、そのブドウ糖に近い成分がどこに集まるかを検知しているのだそうだ。患者と家族用のパンフレットにもそのくらいのことは書いてある。

 

 

それを読みながら、ふと、これは実におそろしいことを案じているのではないか、と考えた。「炭水化物が人類を滅ぼす」(光文社新書、二〇一三年)という刺激的なベストセラーを書いた夏井睦医師は、個人的な知り合いである。彼のたてる議論は実に見事で、現代医療と文明への鋭い批判に満ちていて、わたしは彼と知り合って以降、本格的な糖質制限生活に入ることになった。

 

 

 

「人間にブドウ糖は必須、脳の栄養はブドウ糖だけ」ということは嘘であると見抜いている医師は彼だけではない。「ケトン体が人類を救う」(光文社新書、二〇一五年)という、もちろん先述の本を意識したタイトル(編集さんが同じなのである)をつけた産科医の宗田哲男氏による、赤ちゃんはブドウ糖ではなくケトン体で生きている、という本もあらわれた。(略)

 

 

これを読んでやはり、糖質は制限すればするほどよいのではないか、糖質の摂取量とガンの発症には関連がある、という仮説をたてられないか、などと考えないわけにはいかない。案外、こういう直感は正しい。糖質制限食の未来について、あらためて考えさせられる。おそらく医療関係者にも、このことに気づいている方が少なくあるまい(本稿執筆後、やはり医師によるそのような本は出版されている。古川健司「ケトン食がガンを消す」<光文社新書、二〇一六年>など)。(略)

 

 

 

ゆるぎない方針

 

この人は、もともと「がん検診」はやらない、という方針の人であった。一九九六年に出版された「患者よ、がんと闘うな」(文芸春秋)で話題になり、そのあとも刺激的な論考を展開しておられる放射線医師、近藤誠氏を心から尊敬しており、彼の方針が、夫のガンのその他の病気に対する方針になっていたのである。(略)

 

 

 

いわく、世間では「がん検診」を受けて早期発見することが大切なように言われているが、症状もないのに、検診で見つかるようなガンは、実は治療する必要のない”前ガン状態”であることも多い。なにも症状がない段階でガンが早期発見されると、治る可能性がのだからと、手術や抗ガン剤などの治療をすすめられることが多いが、生活の質、という点から考えると、症状も出ていない状態で検診でガンが見つかったと言って、手術したり、抗がん剤治療したりすると、本人としてはよけいつらい状態になる。先々が不安あら、と、元気なからだを無理やりつらい状態に持っていくようなものだ。

 

 

だから、「がん検診」は一切やらない。自分から症状もないのに、ガンを探しに行ったりしない。ガンは症状が出てから治療するのでよい。また、症状が出たからと言って、ムダな手術や抗がん剤使用によって、ガンを”いじめ”ると、それはさらなる苦しみにつながる。ガンはできるだけほうっておいて、穏やかに死にむかうのがよい。

 

 

しかし、症状が出て、つらくなったら、痛み止めや緩和治療はしてほしい。症状で苦しみたくはない。結果として、ガンは、症状が出て、診断されてから、すぐには死なないことが多い。そのあたりが心臓発作や脳出血と違い、自分に時間が残される。死ぬまでの準備もできるから、ガンで死ぬのはよいことだ。できるだけガンで死にたい。と、おおよそ以上のようなことを、ゆるぎない方針として持っていたのである。

 

 

いまとなっては、「死」という結果が出ているので、家族としても冷静にふりかえることができるが、この方針はけっこう的確であり、おおよそ本人の望むように死んだのではないか、と思われる。(略)

 

 

ゆるぎない方針を持つ、ということは、ふりかえってみれば、実によきことであった。

深刻な病気になって、とくにガンのような治療法が確立しているとまだはっきりは言えないような病気にかかると、患者と家族はどの治療法を選択すべきか、翻弄されやすい。疼痛管理、つまり、痛みの軽減はかなりできる時代にはいりつつあるので、いちばんの苦しみはこの「翻弄」ではないのか、と考えたりするのである。」

 

〇 「糖質制限食」とか「糖質ダイエット」について聞くたびに思い出すのは、

「いつものパンがあなたを殺す」という本です。以前、友人に教えてもらい読んだのですが、基本的な根拠はここにあるのではないか、と思いました。