読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 上 第10章  最強の征服者、貨幣

「1519年、エルナン・コステス率いる征服者が、それまで孤立していた人間世界の一つであるメキシコに侵入した。アステカ族(現地に住んでいた人々は自らをそう呼んでいた)は、このよそ者たちが、ある黄色い金属に途方もない関心を示すことにたちまち気づいた。」

「実際、スペイン人たちの出身地であるアフロ・ユーラシア世界では、金への執着は伝染病の様相を呈していた。激しい憎悪に燃える敵同士でさえ、この役に立たない黄色い金属を喉から手が出るほど欲しがった。」

キリスト教徒の征服者たちが造ったこの四角い硬貨には、流麗なアラビア語の文字で次のように宣言されていた。「アッラーの地に神はなし、ムハンマドアッラー使徒なり」。メルグイユやアグドのカトリックの司教さえもが、広く流通しているイスラム教徒の硬貨の忠実な複製を発行し、敬虔なキリスト教徒たちも喜んでそれを使った。

寛容性は反対側の陣営でも盛んに発揮された。(略)異端者であるキリスト教徒に対する聖戦を呼びかけるイスラム教徒の支配者たちまでもが、キリストや聖母の加護を祈願する硬貨で、喜んで税を受け取った。」

<物々交換の限界>

「狩猟採集民族には貨幣はなかった。どの生活集団も、肉から薬、サンダルから魔法の道具まで、必要なものはすべて狩り、採集し、作った。」

「だが、都市や王国が台頭し、輸送インフラが充実すると、専門化の機会が生まれた。人口密度が高い都市では、専門の靴職人や医師だけでなく、大工や聖職者、兵士、法律家も、それぞれの仕事に専従出来るようになった。
非常に優れたワイン、オリーブ油、あるいは陶磁器を生産するという評判を得た村落は、ほぼ全面的にその製品に特化する価値があることを発見した。」

「恩恵と義務の経済は、見ず知らずの人が大勢協力しようとするときにはうまくいかない。兄弟姉妹や隣人をただで助けるのと、恩恵に報いることがないかもしれない外国人の面倒を見るのとでは、まったく話が違う。

物々交換に頼ることは可能だ。だが物々交換は、限られた製品を交換するときにだけ効果的で複雑な経済の基盤を成し得ない。」

「物々交換経済では、靴職人もリンゴ栽培者も、何十という商品の相対的な価格を、毎日あらためて知る必要がある。市場で100種類の商品が取引されていたら、売り手も買い手も4950通りの交換レートを頭に入れておかなければならない交換レートは、なんと49万9500通りに達する!

そんなに多くのレートなど知りようがないではないか。
だが、話がさらにややこしくなる。仮に靴一足に相当するリンゴの個数をなんとか計画できたとしても、いつも交換が可能とはかぎらない。

なにしろ、交換の場合には双方が相手の望むものを提供する必要があるからだ。」

「専門の栽培家や製造業者から産物や製品を集め、必要とする人に分配する中央物々交換制度を確立することでこの問題を解決しようとした社会もある。

そのうちで最も大規模で有名な実験はソヴィエト連邦で行われ、惨めな失敗に終わった。」

「だが、ほとんどの社会は、大勢の専門家を結び付けるための、もっと手軽な方法を発見した。貨幣を創り出したのだ。」

<貝殻とタバコ>

「貨幣は多くの場所で何度も生み出された。その発達には、技術の飛躍的発展は必要ない。それは純粋に精神的な革命だったのだ。それには、人々が共有する想像の中にだけ存在する新しい共同主観的現実があればよかった。」

「だが、貨幣は硬貨の鋳造が発明されるはるか前から存在しており、さまざまな文化が貝殻や、牛、皮、塩、穀物、珠、布、約束手形など、他のものを通過として使い、栄えた。

タカラガイの貝殻は約4000年にわたって、アフリカ、南アジア、東アジア、オセアニアの至る所で貨幣として使われた。20世紀初期になっても、当時イギリスの植民地だったウガンダではタカラガイの貝殻で税金が払えた。

現代の監獄や捕虜収容所では、タバコがしばしば貨幣として使われてきた。煙草を吸わない囚人でさえ、喜んでタバコで支払いを受け、他のあらゆる品物やサービスの価値をタバコに換算した。

あるアウシュヴィッツの生存者は、収容所で使われたタバコという通貨について、こう述べている。「私たちは独自の通貨を持っていた。その価値を疑う者は誰もいなかった。

それはタバコだ。あらゆる品の値段がタバコの本数で記されていた……「平時」、つまりガス室送りの候補者たちが通常の割合で到着している時には、パン一塊の値段はタバコ十二本、300グラムのマーガリンのパッケージは30本、腕時計は80~200本、アルコール一リットルは400本だった!」

「理想的な種類の貨幣は、人々があるものを別のものに転換することだけではなく、富を蓄えることも可能にする。時間や美しさなど、貴重なものの多くは保存できない。イチゴのように、短期間しか保存できないものもある。

タカラガイの貝殻は腐らないし、ネズミに食べられないし、火事に遭っても残る可能性があるし、あまりかさばらないので金庫にしまっておける。」

「貨幣は簡単に、しかも安価に、富を他のものに換えたり保存したり運んだりできるので、複雑な商業ネットワークと活発な市場の出現に決定的な貢献をした。貨幣なしでは、商業ネットワークと市場は、規模も複雑さも活力も、非常に限られたままになっていただろう。」


<貨幣はどのように機能するのか?>

タカラガイの貝殻もドルも私たちが共有する想像の中でしか価値をもっていない。その価値は、貝殻や紙の化学構造や色、形には本来備わっていない。つまり、貨幣は物質的現実ではなく、心理的概念なのだ。
貨幣は物質を心に転換することで機能する。だが、なぜうまく行くのか?なぜ肥沃な田んぼを役立たずのタカラガイの貝殻一つかみと喜んで交換する人がいるのか?骨折りに対して、色付きの紙を数枚もらえるだけなのに、なぜ進んでファーストフード店でハンバーガーを焼いたり、医療保険のセールスをしたり、三人の生意気な子供たちのお守をしたりするのか?

人々が進んでそういうことをするのは、自分たちの集合的想像の産物を、彼らが信頼しているときだ。信頼こそ、あらゆる種類の貨幣を生み出す際の原材料にほかならない。裕福な農民が自分の財産を売ってタカラガイの貝殻一袋にし、別の地方に移ったのは、彼は目的地に着いたとき、他の人が米や家や田畑を子の貝殻と引き換えに売ってくれると確信していたからだ。

したがって、貨幣は相互信頼の制度であり、しかも、ただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。

この信頼を生み出したのは、非常に複雑で、非常に長期的な、政治的、社会的、経済的関係のネットワークだった。なぜ私はタカラガイの貝殻や金貨やドル紙幣を信頼するのか?なぜなら、隣人たちがみな、それを信頼しているから。そして、隣人たちが信頼しているのは、私がそれで信頼しているからだ。

そして、私たちが全員それを信頼しているのは、王がそれを信頼し、それで税金を払うように要求するからであり、また、聖職者がそれを信頼し、それで10分のⅠ税を払うように要求するからだ。

一ドル紙幣を手に取って、念入りに見てほしい。そうすればそれが、一方の面にアメリカ合衆国財務長官の署名が、もう一方の面には「我々は神を信じる」というスローガンが印刷されたただの紙にすぎないことがわかる。

私たちがドルを何かの対価として受け入れるのは、神と財務長官を信頼しているからだ。」

「もともと、貨幣の最初の形態が生み出された時、人々はこの種の信頼を持っていなかったので、本質的な価値を本当に持っているものを「貨幣」とせざるをえなかった。歴史上、知られている最初の貨幣であるシュメール人の「大麦貨幣」は、その好例だ。」

「とはいえ、大麦は保存も運搬も難しかった。貨幣の歴史における真の飛躍的発展が起こったのは、本質的価値は欠くものの、保存したり運んだりするのが簡単な貨幣を信頼するようになった時だ。そのような貨幣は、紀元前3000年紀半ばに古代メソポタミアで出現した。銀のシュケルだ。」

「貴金属の一定の重さが、やがて硬貨の誕生につながった。史上初の硬貨は、アナトリア西部のリュディアの王アリュアッテスが紀元前640年ごろに造った。(略)

今日使われている硬貨のほとんどは、リユディアの硬貨の子孫だ。
硬貨は二つの重要な点で、何の印もない金属塊に優る。まず、金属塊は取引のたびに重さを量らなければならない。第二に、塊の重さを量るだけでは足りない。私が長靴の代金として支払った銀塊が、鉛を薄い銀で覆ったものではなく純銀製であることは、靴職人には知りようがない。硬貨はこうした問題の解決を助けてくれる。」

「それは彼らがローマ皇帝の権力と誠実さを信頼していたからで、皇帝の名前と肖像がこの銀貨を飾っていた。
そして、皇帝の権力は逆に、デナリウス銀貨にかかっていた。硬貨なしでローマ帝国を維持するとしたら、それがどれほど困難だったか想像してほしい。もし皇帝が大麦と小麦で税を集め、給料を支払わなければならなかったとしたら、どうだろう。

シリアで税として大麦を集め、ローマの中央金庫に運び、さらにイギリスへ持って行って、そこに派遣している軍団に給料として支払うのは、不可能だっただろう。
ローマの町の住民が金貨の価値を信頼していても、従属民たちがその信頼を退け、代わりにタカラガイの貝殻や、象牙の珠、布などの価値を信頼していた場合も、帝国を維持するのは、同じくらい難しかっただろう。」


<金の福音>

「ローマの硬貨に対する信頼は非常に厚かったので、帝国の国境の外でさえ、人々は喜んでデナリウスで支払いを受け取った。一世紀のインドでは、一番近くにいるローマの軍団でさえ何千キロメートルも離れていたにもかかわらず、市場での交換媒体としてローマの硬貨が受け容れられていた。(略)

「デナリウス」という名前は硬貨の総称となった。イスラム教国家のカリフ(支配者)たちは、この名称をアラビア語化し、「ディナール」を発行した。ディナールは今なお、ヨルダン、イラクセルビアマケドニアチュニジア他数カ国の通貨の名称だ。」

「国や文化の境を超えた単一の貨幣圏が出現したことで、アフロ・ユーラシア大陸と、最終的には全世界が単一の経済・政治圏となる基礎が固まった。人々は互いに理解不能の言語を話し、異なる規則に従い、別個の神を崇拝し続けたが、誰もが金と銀、金貨と銀貨を信頼した。

この共有信念抜きでは、グローバルな交易ネットワークの実現は事実上不可能だっただろう。」

「だが、非常に異なる文化に属し、たいていのことでは同意できなかった中国人やインド人、イスラム教徒、スペイン人が、金への信頼は共有していたのは、どうしてなのか? なぜ、スペイン人は金を信頼し、イスラム教とは大麦を、インド人はタカラガイの貝殻を、中国人は絹を信頼するということにならなかったのか?

経済学者たちはおあつらえ向きの答えを持っている。交易によって二つの地域が結びつくと、需要と供給の力のせいで、輸送可能な品物の値段が等しくなる傾向がある。その理由を理解するには、次のような仮想の状況を考えるといい。

インドと地中海沿岸との間で本格的な交易が始まったとき、インド人は金に関心がなかったので、インドでは金にはほとんど価値がなかったとしよう。
だが、地中海沿岸では金は地位の象徴として垂涎の的で、非常に高い価値を持っていた。次に何が起こるだろうか?
インドと地中海沿岸とを行き来する貿易商人は、金の価値の違いに気づく。彼らは利益を得るために、インドで金を安く買い、地中海沿岸で高く売る。その結果、インドでは金の需要と価値が急速に高まる。
一方、地中海沿岸には金が大量に流入するので、その価値が下がる。いくらもしないうちに、インドと地中海沿岸での金の価値はほとんど同じになる。

地中海沿岸の人々が金を信頼していたというだけで、インド人も金を信頼し始める。たとえインド人には依然として金の使い道が全くなかったとしても、地中海沿岸の人々が欲しがっているのであれば、インド人も金を重んじるようになるのだ。」

「貨幣は人間が生み出した信頼制度のうちほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる。」


<貨幣の代償>
「貨幣は二つの普遍的原理に基づいている。
a 普遍的転換性_貨幣は錬金術師のように、土地を忠誠に、正義を健康に、暴力を知識に転換できる。
b 普遍的信頼性_貨幣は仲介者として、どんな事業においてもどんな人どうしでも協力できるようにする。

これら二つの原理のおかげで、厖大な数の見知らぬ人どうしが交易や産業で効果的に協力できるようになった。だが、一見すると当たり障りのないこの原理には、邪悪な面がある。
あらゆるものが転換可能で、信頼が個性のない硬貨やタカラガイの貝殻に依存している時には、各地の伝統や親密な関係、人間の価値が損なわれ、需要と供給の冷酷な法則がそれに取って代わるのだ。

人類のコミュニティや家族はつねに、名誉や忠誠、道徳性、愛といった「値のつけられないほど貴重な」ものへの信頼に基づいてきた。それ等は市場の埒外にあり、お金のために売り買いされるべきではない。

たとえ市場が良い値を提示しても、けっして売買されないこともある。親は子供を奴隷として売ってはならない。敬虔なキリスト教徒は地獄に堕ちるような滞在を犯してはならない。忠義な騎士は絶対に主君を裏切ってはならない。先祖代々の部族の土地は、けっしてよそ者に売ってはならない。
貨幣は、ダムの亀裂に滲み込む水のように、いつもこうした障壁を突破しようとしてきた。」

「貨幣には、さらに邪悪な面がある。貨幣は見ず知らずの人どうしの間に普遍的な信頼を築くが、その信頼は、人間やコミュニティや神聖な価値ではなく、貨幣自体や貨幣を支える非人間的な制度に注ぎ込まれたのだ。

私たちは赤の他人も、隣に住む人さえも信用しない。私たちが信用するのは、彼らが持っている貨幣だ。」

「従って、人類の経済史はデリケートなバランス芸だ。人々は貨幣に頼って、見知らぬ人との協力を促進するが、同時に、貨幣が人間の価値や親密な関係を損なうことを恐れている。

貨幣の移動と交易を長きにわたって妨げて来たコミュニティのダムを、人々は一方の手で喜んで打ち壊す。だが、彼らはもう一方の手で、市場の力への隷属から社会や宗教、環境を守るために、新たなダムを築く。
市場がつねに幅を利かせ、王や聖職者、コミュニティによって築かれたダムは貨幣の潮流にそう長くは持ちこたえられないと考えるのが、今日一般的だ。だが、それは単純すぎる。野蛮な戦士や宗教的狂信者や憂慮した市民たちが、計算高い商人をこれまで何度となく打ちのめし、経済を作り変えさえしてきた。

したがって、人類の統一を純粋に経済的な過程として理解することはできない。歳月を経るうちに、何千もの孤立した文化がまとまって今日のいわゆる地球村(グローバル・ヴィレッジ)を形成するに至った経緯を理解するには、金銀の役割を考慮に入れなくてはならないが、それに劣らず極めて重要な武力の役割も、けっして無視できないのだ。」

〇経済と武力が現在の「地球村」を作った。