読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史   上 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

古代ローマ人は負けることに慣れていた。歴史上の大帝国の支配者たちはみなそうなのだが、ローマ人も次から次へと戦いで敗北しながら、それでも戦争には勝つことができた。打撃に耐え、倒れずにいられないような帝国は、本物の帝国とは言えない。」

〇この意味がよくわかりません。戦いで敗北しながら戦争には勝つ。


「だがそのローマ人でさえ、紀元前二世紀半ばにイベリア半島北部から届いた知らせは腹に据えかねた。半島土着のケルト族の住む、スマンティアという小さな取るに足りない山の町が、ローマの支配下から脱け出そうとしたのだ。(略)


紀元前134年、ついにローマの堪忍袋の緒が切れた。(略)スマンティア人の闘志と戦闘技能に一目置いていたスキピオは、無用の闘いで兵士の命を無駄にしたくなかった。(略)


一年以上が過ぎ、糧食が尽きた。あらゆる希望を絶たれたことを悟ったヌマンティア人は、自らの町に火を放った。ローマの記録によれば、住民のほとんどがローマの奴隷になるのを嫌がって自ら死を選んだという。


後にヌマンティアはスペインの独立と勇敢さの象徴となった。「ドン・キホーテ」の著者ミゲル・デ・セルバンテスは、「ヌマンティアの包囲戦」(「スペイン黄金世紀演劇集」牛島信明編訳、名古屋大学出版会、2003年所収。邦訳のタイトルは「ヌマンシアの包囲」)という悲劇を描いた。


この作品は、ヌマンティアの町の破滅で幕を閉じるが、そこにはスペインの未来の繁栄のビジョンが描かれている。詩人たちは、この町の猛々しい守護者たちを称える賛歌を書き、画家たちは、包囲戦の壮大な光景をキャンバスに描き出した。


1950年代と60年代にスペインで最も人気のあった漫画本は、スーパーマンスパイダーマンについてのものではなく、ローマの圧政者と戦った古代イベリアの架空の英雄エル・ハバトの冒険を語るものだった。


今日に至るまで、古代ヌマンティア人たちは、スペインの武勇と愛国心の鑑であり、この国の若者の手本とされている。


だが、スペイン人の愛国者たちがヌマンティア人を褒めそやすときに使うのは、スキピオ母語であるラテン語に由来するスペイン語だ。(略)


ヌマンティア人の武勇を称賛するスペインの愛国者は、ローマカトリック教会の忠実な信奉者でもあることが多い_そう、ローマカトリック教会の。」

 

「同様に、現代スペインの法律は、古代ローマの法律に由来する。スペインのs時は、古代ローマの基礎の上に確立されている。そしてスペインの料理屋建築は、イベリア半島ケルト族の遺産よりもローマの遺産に、はるかに多くを負っている。(略)


これは私たちが好む類の物語ではない。私たちは勝ち目の薄い者が勝つのをうのが好きだ。だが、歴史に正義はない。過去の文化の大半は、遅かれ早かれどこかの無慈悲な帝国の餌食になった。


そしてその帝国は、打ち破った文化を忘却の彼方に追いやった。帝国もまた、最終的には倒れるのだが、豊かで不朽の文化の痕跡を残すことが多い。21世紀の人々のほぼ全員が、いずれかの帝国の子孫なのだ。」

 

<帝国とは何か?>

「帝国とは、二つの重要な特徴を持った政治秩序のことを言う。帝国と呼ばれるための第一の資格は、それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの別個の民族を支配していることだ。では、厳密にはいくつの民族を支配していればいいのか?二つか三つでは不十分だ。20か30までは必要ない。帝国となるのに必要な民族の数は、どこかその間にある。


第二に、帝国は変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする。帝国は、自らの基本的な構造もアイデンティティも変えることなく、次から次へと異国民や異国領を呑み込んで消化できる。」

 

「ここで強調しておかなければならないが、帝国は、その由来や統治形態、領土の広さ、人口によってではなく、文化的多様性と変更可能な国境によってもっぱら定義される。」


「あまり大きくない現代国家ほどの領土に、どうやってそこまで雑多な人々を押し込められたのだろうか?それが可能だったのは、過去の世界には今よりも段違いに多くの異なる民族がいて、それぞれが現在の典型的な民族よりも少ない人口を抱え、狭い領土を占めていたからだ。


現在はわずか二つの民族の念願を果たすために苦労している、地中海とヨルダン川の間の土地には、聖書に出てくる時代には何十という国民や部族、小王国、都市国家が楽々と収まっていた。

帝国は人類の多様性が激減した大きな要因だった。帝国というロードローラーが、数限りない民族(たとえばヌマンティア人)の類のない特徴を徐々に跡形もなく踏みつぶし、そこから新たなはるかに大きい集団を作り上げていった。」


〇二十一世紀の人々のほぼ全員が、いずれかの帝国の子孫なのだ、とあったけれど、
この帝国の定義によれば、日本人は、帝国の子孫ではない、ということになるのだろうか?

 

<悪の帝国?>

 

「今の時代、政治的な罵り言葉のうち、「ファシスト」を除けば、最悪なのは「帝国主義者」だろう。帝国に対する現代の批判は、普通二つの形を取る。

1 帝国は機能しない。長期的に見れば、征服した多数の民族を効果的に支配するのは不可能だ。

2 たとえ支配出来たとしても、そうするべきではない。なぜなら、帝国は破壊と搾取の邪悪な原動力だからだ。どの民族も自決権を持っており、けっして他の民族の支配下に置かれるべきではない。

 

歴史的な視点に立つと、最初の批判はまったくのナンセンスで、二番目の批判は大きな問題を抱えている。


じつのところ帝国は過去2500年間、世界で最も一般的な政治組織だった。この2500年間、人類のほとんどは帝国で暮らしてきた。帝国は非常に安定した統治形態でもある。(略)


一般に帝国は外部からの侵略や、エリート支配層の内部分裂によってのみ倒された。逆に、征服された民族は、帝国の支配からはめったに逃れられなかった。ほとんどが何百年も隷属状態にとどまった。たいていは、征服者である帝国にゆっくりと消化さえ、やがて固有の文化は消え去った。

例えば、476年に西ローマ帝国が、侵入してきたゲルマン人の諸部族についに倒された時、何世紀も前にローマ人が征服したヌマンティア人やアルウェルニ族、ヘルヴェティア人、サムニウム人、ルシタニア人、ウンブリア人、エトルリア人、その他何百もの忘れられた民族は、骨抜きにされた帝国の亡骸から復活したりしなかった(大魚の呑み込まれたヨナが腹から出て来たという、旧約聖書の話のようにはいかなかったのだ)。彼らはまったく残っていなかった。(略)


多くの場合、一つの帝国が崩壊しても、支配下にあった民族は独立できなかった。(略)それがどこよりも明白だったのが中東だ。この地域における現在の政治的布陣(おおむね安定した境界を持つ、多くの独立した政治的実体の間での力の均衡)は、過去数千年間のどの時期にも、ほとんど類を見ないものとなっている。


前回中東がこのような状況にあったのは、紀元前八世紀半ばに大英帝国フランス帝国が崩壊するまで、リレー競争のバトンのように、中東は一つの帝国の手から別の帝国の手へと次々に引き継がれていった。」


「今日のユダヤ人やアルメニア人、ジョージア人が、古代中東の民族の子孫だと主張しており、それはある程度まで妥当なのは確かだ。だが、これはむしろ、帝国に征服された民族は吸収されてしまうという原則の正しさを示す例外にすぎず、彼らの主張さえもが多少誇張されている。

 

たとえば、現代のユダヤ人の政治的、経済的、社会的慣行が、ユダヤの古代王国の伝統よりも、過去2000年間に支配を受けた諸帝国に負うところの方が大幅に多いことは、言うまでもない。(略)


古代ユダヤにはシナゴークもタルムードも、モーセ五書の巻物さえもなかったのだから。」


「帝国を建設して維持するにはたいてい、大量の人を残忍に殺戮し、残り全員を情け容赦なく迫害する必要があった。帝国の標準的な手駒には、戦争、奴隷化、国外追放、組織的大量虐殺などがあった。」


「だがこれは、帝国が価値あるものを何一つ後に残さないということではない。すべての帝国を黒一色に、塗り潰し帝国の遺産の一切を拒否するのは、人類の文化の大半を退けるのに等しい。


帝国のエリート層は征服から得た利益を軍隊や砦のために使っただけではなく、哲学や芸術、道義や慈善を目的とする行為にも回した。」


「ローマの帝国主義がもたらした利益と繁栄のおかげで、キケロセネカ、聖アウグスティヌスは思索や著述にかける暇とお金が得られた。


タージマハルは、ムガル帝国がインドの臣民を搾取して蓄積した富がなければ建設できなかっただろう。」

 

「今日、ほとんとの人が、私たちの祖先が剣を突きつけられて強制された帝国の言語で話、考え、夢見ている。」

 

 

<これはお前たちのためなのだ>

 

「(略)やがて紀元前550年ごろ、ペルシアのキュロス大王が、それに輪をかけて大げさな自慢をした。

アッシリアの王たちはつねに、アッシリアの王にとどまった。全世界を支配していると主張した時にさえ、アッシリアの栄光を増すためにそうしていることは明らかで、彼らに後ろめたさはなかった。


一方キュロスは、全世界を支配しているだけではなく、あらゆる人のためにそうしていると主張した。「お前たちを征服するのは、お前たちのためなのだ」とペルシア人たちは言った。


キュロスは隷属させた民族が彼を敬愛し、ペルシアの従属者であって幸運だと思う事を望んでいた。自分の帝国の支配下で暮らしている国民の称賛を得るためにキュロスが行った革新的な努力の最も有名な例を挙げると、彼はバビロニアで捕囚となっていたユダヤ人が、ユダヤの故国に戻り、神殿を再建するのを許すよう命じた。


そして、資金援助さえ申し出た。キュロスは自分がユダヤ人を支配しているペルシアの王だとは考えていなかった。彼はユダヤ人たちの王でもあり、だからこそ、彼らの福祉に責任があったのだ。


全世界をその居住者全員の利益のために支配するという思い込みには驚かされる。進化の結果、ホモ・サピエンスは他の社会的動物と同様に、よそ者を嫌う生き物になった。サピエンスは人類を「私たち」と「彼ら」という二つの部分に本能的に分ける。(略)


この民族的排他性とは対照的に、キュロス以降の帝国のイデオロギーは、包括的・網羅的傾向を持っていた。このイデオロギーは、支配者と被支配者の人種的違いや文化的違いを強調することも多かったが、それでも全世界の基本的な統一性や、あらゆる場所と時代を支配する一揃いの原理の存在、互いに対する万人の責任を認めていた。


人類は一つの大家族と見なされる。親の特権は子供の福祉に対する責任と切っても切り離せないのだ。


この新しい帝国のビジョンは、キュロスやペルシア人からアレクサンドロス大王へ、彼からヘレニズム時代の王やローマの皇帝、イスラム教国のカリフ、インドの君主、そして最終的にはソヴィエト連邦の首相やアメリカ合衆国の大統領へと受け継がれた。」


「同じような帝国のビジョンは、世界の他の場所でもペルシアのモデルとは独立して発達した。特に目覚ましいのが中央アメリカとアンデス地方と中国の例だ。伝統的な中国の政治理論によれば、天は、地上のいっさいの正当な権威の源だという。


天は最もふさわしい人物あるいは家系を選び、天命を授ける。するとその人物あるいは家系が、万民のために天下を支配する。このように、正統な権威は当然ながら普遍的だ。」


〇「お前たちを支配するのはお前たちのためだ」というのは、支配者が被支配者をコントロールしやすくするための詭弁だと思っていました。自分は日本人だなぁ、と思います。支配者が被支配者を思いやるなどということはあり得ないこと、と思う気持ちが根強くあります。

でも、現実に、ペルシア王キュロスによって、捕囚から解放され故国に神殿を作る資金援助をされたユダヤ人の子孫であるハラリ氏にとっては、そのようなことは「あり得る」ことなのでしょう。

そして、そう考えると、私たち日本人も、敗戦によって、アメリカに支配され、そのおかげで、基本的人権が与えられ、国民主権憲法がもたらされました。
もし、アメリカに支配されずにいたら、多分今も、天皇主権の世の中で、我らは天皇の臣民、天皇のためならいつでも命を捧げます、と教育勅語を唱えて暮らしていたのでしょう。

「支配者が被支配者のことなど思いやるはずがない」という根強い感覚は、日本人の支配者(安倍総理)のことを思い浮かべるからではないか、と思う今日この頃です。


「中国の統一帝国の初代支配者である始皇帝は、「遍く<宇宙の>六方において万物は皇帝に帰属する……人の足跡がある場所であればどこでも、<皇帝の>臣民とならなかった者はいない……皇帝の慈悲は牛馬にさえ及ぶ。その恩恵を受けなかった者は一人もいない。誰もが自分の屋根の下で安心できる」と豪語した。


それ以降、中国の政治思想だけでなく中国の歴史の記憶の中でも、帝国時代は秩序と正義の黄金時代と見なされた。


公正な世界は別個のさまざまな国民国家から成るという近代の西洋の味方とは逆で、中国では政治的分裂の時期は、混沌と不正の暗黒時代と見なされた。(略)」

〇私自身が、「支配者の慈悲や公正さ」などを、うさん臭く感じるのはともかく、少なくとも、ここに挙げられている帝国の支配者たちは、正義や公正や慈悲を掲げて政治をしようとしているのは、確かだと思います。

以前、ハラリ氏も言っていたように、そうしなければ、大勢を納得させることが出来ない、ということなのでしょう。

それに比べると、私たちの国では、そのようなことは、ほとんど語られませんし、むしろ、そのようなことをいう人は、きれいごとをならべる未熟者のように見られます。実際、政治家は平然と嘘をつき、多くの国民もそれを容認しています。

私たちの国で、こんなにも、不正やでたらめが容認されているのは、なぜなんだろうとあらためて思います。

 

 

<「彼ら」が「私たち」になるとき>

 

(〇 目が悪くなったのか、文字が見えにくくて困ります。全て太文字にします。)

「多数の小さな文化を融合させて少数の大きな文化にまとめる過程で、帝国は決定的な役割を果たしてきました。思想や人々、財、テクノロジーは、政治的に分裂した地方でよりも帝国の国境内でのほうが簡単に拡がった。


帝国自体が意図的に思想や制度、習慣、規範を広めることも多かった。それは一つには、手間を省くためだった。小さな地区がそれぞれみな独自の法律や書記の方式、言語、貨幣を持っている帝国を支配するのは大変だ。標準化は皇帝たちにとって大きな恵みだったのだ。


帝国が共通の文化を積極的に広めた第二の、そしてやはり重要な理由は、正当性を獲得することだった。少なくともキュロス大王と始皇帝の時代以降、道路の建設であれ流血であれ、帝国は自国の行動は、征服者よりも被征服者の方がなおさら大きな恩恵を受けるよう、優れた文化を広めるのに必要なこととして正当化してきた。

その恩恵は、法の執行や都市計画、度量衡の標準化といった明らかに重要なものや、税、徴兵、皇帝崇拝といった、ときに怪しげなものもあった。だが、ほとんどの帝国のエリート層は、帝国の全住民の全般的な福祉のために働いていると、本気で信じていた。


中国の支配階級は、近隣の人々や外国の臣民のことを、自らの帝国が文化の恩恵をもたらしてやらなければならない惨めな野蛮人たちとして扱った。天命が皇帝に授けられたのは、世界を搾取するためではなく、人類を教育するためだった。


ローマ人も、野蛮人に平和と正義と洗練性を与えているのだと主張して、みずからの支配を正当化した。未開のゲルマン人や身体に色を塗りたくったガリア人は、汚らしい無知な生活を送っていたが、そこへローマ人がやって来て、法で従順にし、公衆浴場で清潔にし、哲学て進歩させたというのだ。


紀元前三世紀のマウリヤ帝国は、ブッダの教えを無知な世界に広めることを使命とした。イスラム教国のカリフは、出来れば平和裏に、必要ならば剣をもって、ムハンマドの教えを広めるという聖なる命を受けた。スペイン帝国ポルトガル帝国は、西インド諸島南北アメリカ大陸で求めるのは富ではなく、真の信仰への改宗者だと公言した。


自由主義自由貿易の双子の福音を広めるイギリスの使命には、日が没することがなかった。ソヴィエト連邦は、資本主義から理想的な労働者階級独裁(プロレタリアート)への止めようのない歴史の流れを促進する義務を負っていると感じていた。


今日のアメリカ人の多くは、自国の政府には第三世界の諸国に民主主義と人権の恩恵をもたらす道義的義務があると主張する_たとえそれらの美徳が巡航ミサイルやF16戦闘機によってもたらされるのだとしても。


帝国によって広められた文化の概念は、もっぱらエリート支配層が生み出したものであることは滅多になかった。帝国のビジョンは普遍的で包括的な傾向を持つので、帝国のエリート層にとって、単一の偏屈な伝統に狂信的に固執するよりも、どこであれ見つかる場所から思想や規範や伝統を採用する方が、どちらかと言えば易しかった。


自らの文化を純化し、自らの根源と見なすものへ戻ろうとする皇帝もいたが、帝国はたいがい、支配している諸民族から多くを吸収した混成文明を生み出した。ローマの帝国文化はローマ風であるのと同じぐらいギリシア風でもあった。」

 

「ただし、このような文化のるつぼのおかげで、征服された側にとって文化的同化の過程が少しでも楽になったわけではない。(略)


同化の過程は不快で、大きな心の痛手を残すことが多かった。」


「19世紀後期には、教養あるインド人の多くが、イギリス人の主人たちに同じ教訓を叩き込まれた。こんな有名な逸話がある。一人の野心的なインド人が、英語という言語の機微まですっかり習得し、西洋式の舞踏のレッスンも受け、ナイフとフォークを使って食べるのにも慣れた。礼儀作法も身につけて、イングランドに渡り、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで学び、認定を受けて法廷弁護士になった。


ところが、スーツを着てネクタイを締めたこの若き法律家は、イギリスの植民地だった南アフリカで列車から放り出された。彼のような「有色人(カラード)」が乗るべき三等客車に満足せずに一等客車に乗ると言って譲らなかったからだ。彼の名は、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーだった。」


「西暦48年、皇帝クラウディウスは、元老院に卓越したゴール人を数人迎え、演説の中で彼らについてこう語った。「習慣や文化、婚姻の絆」を通して、彼らは「我々に溶け込んだ」。お高くとまった元老院議員たちは、旧敵をローマの政治制度の中枢へ迎え入れることに抗議した。


するとクラウディウスは次のような事実を挙げて、彼らに耳の痛い思いをさせた。彼ら元老院議員の家族の多くも、もとをたどれば、かつてローマと戦い、後にローマの市民権を与えられたイタリアの部族に属していたのだった。じつは私自身の家族もサビニーニ人の子孫だ、と皇帝は議員たちに指摘した。」


「二世紀には、ローマは一連のイベリア生まれの皇帝に支配された。(略)帝国の新しい市民はローマ帝国の文化を夢中になって採用したので、帝国そのものが崩壊してから何世紀も過ぎても、引き続き帝国の言語を話し、帝国がレヴァント地方の属州の一つから採用したキリスト教の神を信じ、帝国の法に従って暮らした。


同じような過程がアラブ帝国でも見られた。七世紀半ばに打ち立てられた時、アラブ帝国はアラビア人イスラム教徒のエリート支配層と、その支配下にある、アラビア人でもイスラム教徒でもないエジプト人、シリア人、イラン人、ベルベル人との明確な区別に基づいていた。


だが、帝国の被支配民の多くは、イスラム教信仰と、アラビア語と、混成の帝国文化を徐々に採用した。」

 

「中国では帝国化の事業は更に徹底した成功を収めた。最初は、野蛮人と呼ばれていた民族集団や文化集団がさまざまに入り乱れていたが、2000年以上の間にそれらが中国の帝国文化に首尾良く統合されて、漢民族(紀元前206年から西暦220年まで中国を支配した漢帝国にちなんで、そう命名された)となった。」


「過去数十年に及ぶ植民地解放の過程も、同様に理解できる。ヨーロッパ人は近代に、優れた西洋文化を広めるという名目で、地上の大半を征服した。彼らは大成功を収めたので、何十億もの人がその文化のかなりの部分を徐々に採用した。(略)


彼らは人権や、自決の原理を信奉するようになり、自由主義や資本主義、共産主義フェミニズム国民主義といった西洋のイデオロギーを採用した。


二〇世紀を通じて、西洋の価値観を採用した地元の諸集団は、これらの価値観の名において、ヨーロッパ人の征服者たちと対等の地位を要求した。すべてヨーロッパの遺産である自決、社会主義、人権の旗印の下に、多くの反植民地主義の闘争が起こった。


エジプト人やイラン人、トルコ人がもともとのアラビア人征服者たちから受け継いだ帝国文化を採用し、適合させたのとちょうど同じように、今日のインド人やアフリカ人、中国人は、もとの西洋の支配者がもたらした帝国文化の多くを受け容れつつ、それを自らの必要性や伝統に即して形作ろうとした。」

〇「帝国主義」を肯定的に論じている文章を初めて読んだような気がします。
最初に著者も述べていた通り、帝国主義は悪に決まってる、と思い込んでいましたから、読みながら落ち着かないものがありました。

正直に言うと、帝国主義が本当に「人間を元気に生きられる状況」にしてくれるのなら、ここで言われているように、いいのかもしれない、と思います。

例えば現在のユーロ圏についてなど、よくわからないなりに、素人の私としては、いっそ、一つの国になってしまった方が、いろいろ簡単ではないのか?と思ったことはあります。

でも、最悪、あの「IS」のような国が武力で帝国を目指すとしたら、世界は恐怖そのものになります。そして、本音を言うと、日本の「日本会議」が帝国を目指すのも、うんざりです。日本は自分の国ですし、大事に思っていますが、あの日本会議のように、「国民に主権があるのは間違っている」とか「人権など日本人には必要ない」とかいう人々が帝国を作ったら、どんなことになるだろう、と思います。

帝国主義には今も不信感があります。

でも、世界には、この著者のような信念を持てるほど、国というものに、希望を持つことが出来る人もいるのだなぁと思いました。

本当は、そういう希望を持つことが出来る方が、人としてはずっと前向きに、多くの人の力を結集して生きられるはずなのに、と思います。

私たちの国の政治は酷すぎます。

 

<歴史の中の善人と悪人>

「歴史を善人と悪人にすぱっと分け、帝国はすべて悪人の側に含めるというのは魅力的な発想だ。帝国の大多数は血の上に築かれ、迫害と戦争を通して権力を維持してきたのだから。

だが、今日の文化の大半は、帝国の遺産に基づいている。もし帝国は悪いと決まっているのなら、私たちはいったいどのような存在ということになるのか?


人類の文化から帝国主義を取り除こうとする思想集団や政治的運動がいくつもある。帝国主義を排せば、罪に汚されていない、無垢で純正な文明が残るというのだ。こうしたイデオロギーは、良くても幼稚で、最悪の場合には、粗野な国民主義や頑迷さを取り繕う不誠実な見せかけの役を果たす。


有史時代の幕開けに現れた無数の文化のうちには、無垢で、罪に損なわれておらず、他の社会に毒されていないものがあったと主張することはだとうかもしれない。だが、その黎明期以降、そのような主張のできる文化は一つもない。」

 

「たとえば、今日の独立したインド共和国とイギリスの支配との愛憎関係について考えてほしい。(略)


それでも、現代のインド人の国家は大英帝国の子どもだ。イギリス人はインド亜大陸の居住者を殺し、傷つけ、虐げたが、彼らはまた、相争う藩王国や部族などの、途方に暮れるほどの寄せ集めを統一し、インド人が共有する国民意識と、おおむね単一の政治的単位として機能する国家を生み出した。」


「以前の「純正」な文化を再建し、保護することを願って、残酷な帝国の遺産を完全に拒否することにしたとしても、それによって守っているのは、さらに古くておなじぐらい残酷な帝国の遺産以外の何物でもない可能性が非常に高い。


イギリスによる支配でインド文化が台無しにされたと憤慨する人は、ムガル帝国の遺産と征服者であるデリーのスルタンの権力を、図らずも神聖視することになる。」


「文化の継承にまつわるこの厄介な問題をどのように解決すればいいのかは、誰にもはっきりとはわからない。どの道を選ぶにしても、問題の複雑さを理解し、過去を単純に善人と悪人に分けたところでどうにもならないのを認めるのが、第一歩だろう。

もちろん、私たちはたいてい悪人に倣うと認める気があれば、話は別だが。」

 

 

<新しいグローバル帝国>

 

「紀元前200年ごろから、人類のほとんどは帝国の中で暮らしてきた。将来も、やはり人類の大半が帝国の中で暮らすだろう。だが、将来の帝国は、真にグローバルなものとなる。全世界に君臨するという帝国主義のビジョンが、今や実現しようとしているのだ。


21世紀が進むにつれ、国民主義は急速に衰えている。しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきている。


だとすれば、200近い独立国があるというのは、その邪魔にこそなれ、助けにはならない。スウェーデン人も、インドネシア人も、ナイジェリア人も同じ人権を享受してしかるべきなのだから、単一のグローバルな政府が人権を擁護する方が簡単ではないか?


氷冠の融解のような、本質的にグローバルな問題が出現したために、独立した国民国家に残された正当性も、少しずつ失われつつある。どのような独立国であれ、地球温暖化を単独で克服することは出来ない。中国の天命は、人類の問題を解決するために天から授けられた。現代の天命は、オゾン層の穴や温室効果ガスの蓄積といった、天の問題を解決するために人類から授けられる。

グローバル帝国の色はおそらく緑なのだろう。


2014年の時点で、世界はまだ政治的にばらばらだが、国家は急速にその独立性を失っている。独立した経済政策を実施したり、好き勝手に宣戦を布告して戦争をおこなったりすることや、自らが適切と判断する形で内政を実施したりすることさえも、本当に出来る国は一つとしてない。


国家はグローバル市場の思惑や、グローバルな企業やNGO(非政府機関)の干渉、グローバルな世論や国際司法制度の影響をますます受けやすくなっている。資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見はしだいに顧みられなくなっている。

私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。

世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠をつくし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。」


〇<新しいグローバル帝国>については、全文を抜き書きしました。
これで、「サピエンス全史 上」のメモを終わります。

(上巻を読み終えた感想)

グローバル経済という言葉は既に定着していますが、グローバル帝国というのは、具体的にはどういう国になるのか、はっきりイメージ出来ません。

最初は、一つの国ということで、地球国、と思い浮かべました。
でも、著者は「世界中の起業家や専門家、学者たちは、この帝国に参加するか、自分の国と民族に忠誠をつくし続けるかの選択を…」と言っています。多分、そのような意思を持って動いてゆけば、きっと道が拓け、いつかグローバル帝国が実現する、ということを言っているのだと思いました。

キリスト教イスラム教的な価値観、仏教的な価値観、更にはもっと様々な違う文化の国が一つになるというと、とても難しいことで、絶対に無理だ、と感じます。

でも、例えばアメリカに占領され、民主主義を取り入れた社会で育った私は、戦前の日本が良いか、占領後の民主主義国家の日本が良いかというと、間違いなく、占領後の基本的人権の認められている日本を選びます。

そんな風に、様々な価値観を知り、国民が選ぶことが可能になれば、自ずと行きつくところに行きつく、と思います。

私たちホモ・サピエンスの未来がどうなるのか、どうするのか、まだまだ先が長い道のりですが、その方向性の一つを示したということで、大きな意味を持つ提案だと思いました。

一番感心したのは、問題点や悲観的な面はきちんと押えながらも、前向きにプラス思考で良い面を見出して、道を探っている姿勢です。若いなぁと思いますし、若さっていいなぁと思います。

 

※ このあと、「サピエンス全史 下」に続きます。