読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下 第十七章 産業の推進力

「これほどの規模の生産を行えば、製造に必要なエネルギー資源も原材料も尽き果て、今では辛うじて残ったものをかき集めて使っているのではないかと思う向きもあるだろう。

ところが実はその逆なのだ。1700年には世界の輸送手段の製造業界は圧倒的に木と鉄に頼っていたのに対して、今日ではプラスティックやゴム、アルミニウム、チタンといった新たに発見された多様な材料が使える。」


「<熱を運動に変換する> 「1825年、あるイギリスの技術者が、石炭を満載した炭鉱の貨車に蒸気機関車をつないだ。この蒸気機関は、20キロメートルほどの鉄の線路に沿って、炭鉱から最寄りの港まで貨車を引いていった。これが史上初の蒸気機関車だった。(略)それ以降人々は機械と機関を使えば一つの種類のエネルギーを別の種類のエネルギーに変換できるという発想に取り憑かれるようになった。」

決定的に重要な発明は他にもある。内燃機関の発明もその一つだ。内燃機関はたった一世代ほどのうちに、人類の輸送手段に大変革をもたらし、石油を液状の政治権力に変えた。

石油は既に何千年も前から知られており、防水のために屋根に塗ったり、動きを滑らかにするために車軸に塗ったりされていた。だが、ほんの一世紀前まで、せいぜいその程度の役にしか立たないものと誰もが思っていた。」


「石油よりもさらに驚異的なのが、電気の歴史だ。(略)それが、一連の発明のおかげで、私たちにとってなんでも願い事をかなえてくれるランプの魔人となった。」

 

 

「<エネルギーの大洋> 私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。それなのに、エネルギーを使い果たしてしまうことを恐れる人がこれほど多いのはなぜか?(略)

この世界でエネルギーが不足していないことは明らかだ。私たちに不足しているのは、私たちの必要性を満たすためにそのエネルギーを利用し、変換するのに必要な知識なのだ。」

 

〇現在の知識で利用できるエネルギーには、限界がある、と考えるのが、一般的だと
思うのですが。


「人間の活動と産業をすべて合わせても、消費するエネルギーは毎年約500エクサジュールで、これは地球が太陽からわずか90分で受け取るエネルギーの量でしかない。しかも、これは太陽エネルギーだけを考えた場合だ。」


「私たちは産業革命の間に、自分たちが実は途方もないエネルギーの大洋に接して生きていることに気付き始めた。その大洋は莫大なエネルギーを秘めていた。私たちは、これまでよりも性能の良いポンプを発明しさえすればいいのだ。」


「(ハンドクリームの成分リスト) 脱イオン水、ステアリン酸グリセリン、カプリリック/カプリックトリグリセリド、プロイレングリコール、ミリスチン酸イソプロピル、(……他)これらの成分のほぼすべてが、過去二世紀の間に発明されたり発見されたりしたものだ。」

 

<ベルトコンベヤー上の命> だが産業革命は、何よりもまず、第二次農業革命だったのだ。(略)動植物さえもが機械化された。ホモ・サピエンスが人間至上主義の宗教によって神のような地位に祭り上げられたのと同じころ、家畜も痛みや苦しみを感じる生き物と見なされることがなくなり、代わりに機械として扱われるに至った。

今日こうした動物たちは、工場のような施設で大量生産されることが多い。その体は産業の必要性に応じて形作られる。彼らは巨大な製造ラインの歯車として一生を送り、その生存期間の長さと質は企業の損益によって決まる。


業界は動物たちを生かして置き、そこそこ健康で良い栄養状態に保つ配慮をするときにさえ、彼らの社会的欲求や心理的欲求には本来関心を持たない(ただし、それが生産に直接影響する時は話が別だ)。」


〇この後に、メンドリやブタ、乳牛の悲惨さを具体例を挙げて説明しています。


〇また、民間の孵化場でベルトコンベヤーに乗せられたヒヨコたちの写真が載っています。「オスのヒヨコと不完全なメスのヒヨコはベルトコンベヤーから降ろされ、ガス室で窒息死させられたり、自動シュレッダーに放り込まれたり、そのままごみの中に投げ込まれ、潰されて死んだりする。このような孵化場では毎年何億羽ものヒヨコが死ぬ。」という解説がついています。


「複雑な感情の世界を持っている生き物を、あたかも機械であるかのように扱えば、身体的不快感ばかりでなく、多大な社会的ストレスや心理的欲求不満を引き起こす可能性が高い。

大西洋奴隷貿易がアフリカ人に対する憎しみに端を発したわけではないのと丁度同じで、今日の畜産業も悪意に動機づけられてはいない。

これもまた、無関心が原動力なのだ。卵や牛乳、食肉を生産したり消費したりする人の大半は自分が飲食しているもののもとであるニワトリや牛や豚の運命について、立ち止まって考えることは稀だ。

また、しばしば考える人は、そのような動物はじつは機械とほとんど変わらず、感覚も感情も、苦しむ能力もないと主張する。」


進化心理学では、家畜の感情的欲求や社会的欲求は、野生の時代に進化したと主張する。それが生存と繁殖に不可欠だったからだ。たとえば、野生の牛は他の牛たちと親密な関係を結ぶ術を知っていなければならない。さもないと、生存も繁殖もできないからだ。

必要な技能を学ばせるために、進化は遊びたいという強い欲求を、他のあらゆる社会的哺乳動物の子供と同様に子牛たちにも植え付けた(遊びは、哺乳動物が社会的行動を学ぶ方法だ)。

そして、母親と結びつきたいという、なおさら強い欲望も植え付けた。母親の乳と世話がなければ生き残れないからだ。」

 

「その後も研究を続けると、ハーロウのサルの孤児たちは、必要な栄養はすべて与えられていたにもかかわらず、成長後に情緒生涯の症状を見せた。彼らはサルの社会に溶け込めず、他のサルたちと意思を疎通させるのが難しく、不安と攻撃性のレベルが高かった。」


「今日、合計すると何百億もの家畜が機械化された製造ラインの一部と化して暮らしており、毎年そのうち約500億が殺される。このような工業化された畜産法は、農業生産と人間の食糧備蓄の急激な増加につながった。」


「さらに、電球や携帯電話、カメラ、食器洗い機など、かつては想像すらできなかった、気が遠くなるほど多様な品物を生み出している。人類史上初めて、供給が需要を追い越し始めた。そして、全く新しい問題が生じた。いったい誰がこれほど多くのものを買うのか?」

 

「<ショッピングの時代>  現代の資本主義経済は、泳いでいなければ窒息してしまうサメのように、存続するためにはたえず生産を増大させなければならない。」


「人々は歴史の大半を通して、このような文句には惹かれるよりも反発する可能性のほうが高かった。彼らはきっと、こんなものは手前勝手で、退廃的で、道徳的に堕落していると決めつけただろう。(略)


私たちは、本当は必要なく、前日まであることすら知らなかった無数の製品を買う。」


アメリカ人は毎年、世界の他の地域の飢えた人全員を養うのに必要とされる以上の金額をダイエット食品に費やす。」

 

「中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。


豊かな人々は、細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福ではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。」


「倫理の歴史は、誰も達成できない素晴らしい理想の悲しい物語だ。(略)それとは対照的に、今日ではほとんどの人が資本主義・消費主義の理想を首尾よく体現している。

この新しい価値体系も楽園を約束するが、その条件は、富める者が強欲であり続け、さらにお金を儲けるために時間を使い、一般大衆が自らの渇望と感情にしたい放題にさせ、ますます多くを買うことだ。

これは、信奉者が求められたことを実際にやっている、史上初の宗教だ。」