読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下   第十四章 無知の発見と近代科学の成立

「過去500年間に、人間の力は前例のない驚くべき発展を見せた。 1500年には、全世界にホモ・サピエンスはおよそ5億人いた。

今日、その数は70億に達する。1500年に人類の拠って生み出された財とサービスの総価値は、今日のお金に換算して、2500億ドルと推定される。今日、人類が一年間に生み出す価値は、60兆ドルに近い。

1500年には人類は一日当たりおよそ13兆カロリーのエネルギーを消費していた。今日、私たちは一日当たり1500兆かろりーを消費している(これらの数字を見直してほしい。私たちの人口は14倍、生産量は240倍、エネルギー消費量は115倍に増えたのだ)。」

 

「<無知な人> 人類は少なくとも認知革命以降は、森羅万象を理解しようとしてきた。(略)だが、近代科学は従来の知識の伝等のいっさいと三つの重大な形で異なる。

a  進んで無知を認める意志

b 観察と数字の中心性

c 新しい力の獲得

科学革命はこれまで、知識の革命ではなかった。何よりも、無知の革命だった。科学
革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見だった。」


「<科学界の教義>  近代科学には教義はない。とはいえ、共通の核となる研究の方法はある。そうした方法はみな、経験的観察結果(少なくとも私たちの五感の一つで観察できるもの)を収集し、数学的ツールの助けを借りてそれをまとめることに基づいている。」

 

「1744年に、アレクサンダー・ウエブスターとロバート・ウォーレスという二人のスコットランドの長老派教会の牧師が、亡くなった牧師の妻や子供に年金を支給する生命保険基金を設立することにした。二人は長老派教会の聖職者たちに、各自が収入のごく一部をこの基金に拠出し、基金がそのお金を投資することを提案した。


ある牧師がなくなると未亡人は飢饉の利益の配当を受け取る。そうすれば、死ぬまで、生活に困らない。(略)


この二人の牧師がしなかったことに注目してほしい。彼らは答えを啓示してくれるように神に祈らなかった。聖書や古代の神学者の作品の中に答えを探すこともなかった。抽象的な哲学の議論も始めなかった。

二人はスコットランド人らしく、実際的なタイプだった。」


「二人のスコットランド人牧師が使ったような確率計算は、年金事業や保険事業の拠り所である保険数理学ばかりでなく、人口統計学(これまた、ロバート・マルサスというイングランド国教会の牧師によって創始された)の基盤にもなった。(略)

教育の歴史を見るだけで、この過程のおかげで私たちがどれほど進歩したかがわかる。」


「<知は力>  たいていの人が近代科学を消化するのに苦労するのは、そこで使われる数学的言語は、私たちの心には捉えにくく、その所見が常識に反することが多いからだ。

世界に暮らす70億の人のうち、量子力学や細胞生物学、マクロ経済学を本当に理解している人がどれだけいるだろう?


それでも科学がこれほどの声望を欲しいままにしているのは、それが私たちに新しい力を与えてくれるからだ。(略)知識の真価は、それが正しいかどうかではなく、私たちに力を与えてくれるかどうかで決まる。」


「今日、多くのアメリカ人が、テロリズムの解決策は政治ではなくテクノロジーによるものだと信じている。」


「ローマ軍はとくに素晴らしい例を提供してくれる。ローマ軍は当時の最高の軍隊だったが、技術に関して言えば、ローマはカルタゴマケドニアセレウコス帝国よりも優れてはいなかった。」

 

 

「<進歩の理想> 科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩というものを信じていなかった。人々は、黄金時代は過去にあり、世界は仮に衰退していないまでも停滞していると考えていた。(略)

知るべきことをすべて知っていたムハンマドやイエスブッダ孔子さえもが飢饉や疫病、貧困、戦争をこの世からなくせなかったのだから、私たちにそんなことがどうしてできるだろう?(略)

バベルの塔の話やイカロスの話、ゴーレムの話、その他無数の神話は、人間の限界を超えようとする試みは必ず失望と惨事につながることを人々に教えていた。」


「そして実際、世界の多くの地域が、最悪の形態の貧困からすでに解放されている。歴史を通して、社会は二種類の貧困に苦しんできた。一つは社会的貧困で、他者には得られる機会を一部の人が享受できない状態だ。


もう一つは生物学的貧困で、食べ物や住む場所がないために人々の生命そのものが脅かされる状態だ。社会的貧困は今後もずっと根絶できないかもしれないが、世界の多くの国では、生物学的貧困は過去のものとなっている。」

〇 これは、本当なのかな…と思いながら読みました。いわゆる「政情不安」による難民状態の生物学的貧困はまだまだあると思っていました。


「<ギルガメシュ・プロジェクト> 表向きは解決不可能とされる人類のあらゆる問題のうちでも、最も困難で興味深く、重要であり続けているものがある。ほかならぬ死の問題だ。(略)


これらの宗教の教義は人々に、死を克服してこの地上で永遠に生きようとするのではなく、死を受け容れ、死後の生に望みを託すよう教えた。」


「それが私たちに伝わっている最古の神話、すなわち古代シュメールのギルガメシュ神話のテーマだ。


その主人公は、戦にかけては無敵という、世界で最も強力で有能な、ウルクの王ギルガメシュだ。ある日、ギルガメシュの親友エンキドゥが亡くなる。

ギルガメシュは亡骸のそばに座り、何日も見守るうちに、友の鼻の穴から蛆虫が一匹落ちこぼれるのを目にする。そのとたん、ギルガメシュは酷い恐れに捕らわれ、自分は絶対に死ぬまいと決意する。

なんとかして、死を打ち負かす方法を見つけるのだ、と。そこでギルガメシュは世界の果てまで旅し、ライオンを殺し、サソリ人間たちと戦い、黄泉の国へと足を踏み入れる。そこで彼は意志の巨人たちを打ち砕き、死者の渡る川の渡し守ウルシャナビの助けで、原初の大洪水の最後の生き残りであるウトナピシュティムを見つける。


それでもギルガメシュは、この探求の目的を果たせなかった。そして、相変わらず死すべき運命を背負ったまま空しく故郷に戻るが、一つだけ新しい知恵がついていた。

神々が人間を造った時、避けようのない人間の宿命として死を定めたのであり、人間はその宿命の下で生きて行かなくてはならないことをギルガメシュは学んだのだった。」

 

「真剣な学者の中には、人間の一部が2050年までに「非死(アモータル)」(「不死」ではない。なぜなら、依然として事故で死にうるからだ。「非死」とは、致命的な外傷がない限り、無限に寿命を延ばせることを意味する)になるという人も総数ながらいる。」


〇私自身は、正直なところ「非死」を願う気持ちがあまりありません。死が恐ろしいから死にたくないという消極的な願いはあるのですが。こればっかりは、現実に「そこ」に行ってみないとわからないことだろうな、と思います。

日本人は、桜の花の散り際を称賛します。そして、どこか「滅びの美学」的な消え去り、移ろうものを慈しむ体質があるように感じることもあります。

この辺も、このヨーロッパ人と東洋人との違いなんだろうか、などと感じました。

これで、以前とばした部分の抜き書きを終え、全部繋がったので、この「サピエンス全史 下」を終わりにします。