読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

「2 政府債務の累積は経済成長を阻害する

 

本節では、「経済成長を先に実現し、財政再建は後にする」という、これまで30年間続いた日本の経済政策の基本哲学を批判的に検討する。まず、きわめて稀に起きる大惨事が平時の経済を悪化させるという経済理論(ディザスターモデル)を紹介し、その応用によって、財政破綻のリスクが日本の低成長の原因になっている可能性を指摘する。

 

 

次に、政府債務増加と成長率低下が相関するという実証研究(パブリック・デット・オーバーハング)を紹介する。さらに、財政破綻を回避するために必要な財政収支の改善は、消費税率を30%増税すること(金額にして約70兆円)に相当するとの研究結果を紹介し、破綻の回避を現実的な政策で実現することがきわめて困難であることを論じる。

 

 

 

財政が悪化するのを甘受してでも財政政策(公共事業や減税)を行って経済成長率を高めるべきだ、という考え方の背景には、「財政が悪化しても、そのこと自体は経済成長に影響しない」という仮定がある。

 

 

近年の研究では、この仮定に疑問符が投げかけられている。この節で論じたいのは、「将来の財政破綻の予想が、現時点の経済成長を低迷させる」という理論仮説である。

招来のいずれかの時点で2010年頃のギリシャ債務危機や2001年のアルゼンチンの財政金融危機のような「財政破綻」が日本でも起きるのではないか、という漠然とした不安を感じている人は数多くいる。

 

 

財政破綻は、起きる確率は非常に小さいが、いったん起きたら日本の国民生活と経済にとてつもない損害と大混乱をもたらす。このような「起きる確率は低いが起きた場合のインパクトは巨大な事象」を「テールイベント」といい、テールイベントが起きるリスクのことを「テールリスク」という。財政破綻はテールイベントであり、財政破綻が起きるリスクはテールリスクである。

 

 

◎テールリスクによる不況:リーマンショック後の米国

財政破綻のようなテールリスクの存在は、企業経営者や消費者が感じる将来の不確実性を大きくする。

 

テールイベントの実現の確率は非常に小さくても、将来の不確実性が、現在において人々の行動を変えることによって、現時点の消費や投資が委縮する、と考えることができる。これが将来のテールリスクが現在の経済を悪化させるメカニズムである。

 

 

 

テールリスクが現時点の経済活動を悪化させることは、最近の米国での学術研究によっても論証されている。(略)

 

 

通常の不況なら、いったんGDPの水準がトレンド線を下回っても、その後すぐにトレンド線に収束する動きを示すはずだった。ところが、リーマンショック後は、GDPがトレンド線から乖離した状態が続いている。

 

 

この点は米国の経済学者の間では謎とされていて、その結果、「米国経済の根本的な性質が変化して、長期的な停滞局面に入ってしまったのではないか」という長期停滞(Secular Stagnation)仮説が経済学界での大きな研究領域となりつつあるほどである。(略)

 

 

金融危機とは、戦前には欧米先進国でも「銀行の取り付け騒ぎ(バンクラン)」として頻発していたものの、戦後60年以上、大規模な金融危機は先進国で起きたことはなく、完全に過去のものと思われていたのである。(略)

 

 

ところが実際にリーマンショックは起きてしまった。この経験から、米国の市場参加者いは、「リーマンショック級の危機は数十年に一回は起きる」と評価を改めた。つまり、リーマンショック前は「テールリスクはゼロ」と考えていた市場参加者たちが、リーマンショック後は「テールリスクは数十年に一回程度」と期待を改めたということである。

 

 

このテールリスクへの期待の変化は、米国の消費者の消費や企業の投資を委縮させる。なぜなら、テールイベント(リーマンショック級の危機)が起きたら、家計や企業が受ける被害はきわめて大きいと予想されるので、いざという時に備えて家計も企業も貯蓄を増やし、消費や設備投資を控えるようになるからである。

 

 

このように、テールリスクが大きくなると現時点の経済活動が顕著に停滞することを、ヴェルドカンプらはコンピューター上の数値シミュレーションでも示すことに成功した。(略)

 

 

◎日本の財政テールリスクが低成長の原因

ヴェルドカンプたちは「金融危機の再来」ときうテールリスクが経済悪化もたらすことを示した。これに対し、日本で将来に想定されるテールリスクは財政破綻である。

 

 

2018年現在、日本の市場参加者の多くは「財政破綻が起きる確率はきわめて小さい」と考えていると思われるが、それでも「テールリスクはゼロではない」というのが暗黙のコンセンサスであろう。また、日本の財政のテールリスクの特徴は、「財政破綻が起きた時に想定される被害の大きさ」が、年々、拡大を続けていることである。

 

 

 

よく知られているように、日本の政府債務の残高は、年々、膨張し続けている。(略)

「テールイベント(財政破綻)が起きた場合のインパクトは、破綻が起きない時間が長く続けば続くほど、大きくなる」という日本財政の特徴は、ヴェルドカンプたちが考察した「金融危機のテールリスク」とは性質が大きく異なる。(略)

 

 

ヴェルドカンプらのシミュレーションでも、経済成長率は下がらない。ただ、危機が起きる前のGDPのyトレンド線に戻れないだけである。(略)

 

 

日本では、バブル崩壊の後始末が終わった2000年代になってからも、経済成長率が非常に低い低成長経済が続いている。なぜ日本でこれほど長く低成長が続いているのか、という問題は経済学上の大きな謎である。本節で、それを説明するひとつの可能性いて定期したいのは、次の仮説、すなわち、公的債務の累増によって人々が「財政テールリスクがだんだん大きくなっている」と考えるために、経済成長率が低迷する、という仮説である。(略)

 

 

◎実例:パブリック・デット・オーバーハング

以上は、理論的な仮説であり、そのことをコンピューター・シミュレーションで確かめた結果であった。現実の経済で、財政の悪化と経済成長の低下に関係があるのか、という点も確認しておきたい。

 

 

ハーバード大学のカーメン・ラインハート教授とケネス・ロゴフ教授たちのグループは、政府債務残高が大きくなると経済成長に悪影響を与えるようになるということをデータから実証した。彼らは政府債務が経済成長に悪影響を与える現象をパブリック・デット・オーバーハング(公的債務過剰)と名づけている(Reinhart,Reinhart,and Rogoff 2012)。

 

 

ロゴフらは先進国で政府債務が累増した26事例を調べ、そのうち23事例において経済成長率が10年以上にわたって停滞していたことを報告している。(略)

同様の発見は、ユーロ圏の国々に対象を限って政府債務を分析した研究でも報告されている(Checherita-Westphal and Rother, 2012; Baum, Checherita-Westphal,and Rother 2013)。

 

 

◎「成長が先、財政再建が後」は成り立つか?

以上のことから、理論的にも実証的にも、政府債務の累増が経済成長の低迷の少なくとも一つの大きな原因となっていることが示唆される。(略)

ここで紹介した経済学的な研究は、いずれも政府債務の増大が成長を阻害することを示しており、「成長が先、財政再建は後」という考え方を一刻も早く転換することが必要であることを意味している。(略)

 

 

長期的な時間を通じた社会厚生を最大化することを目的と考えるならば、目先の短期的な景気悪化を甘受してでも、財政再建を早めに行うべきだということになる。

短期的な目先の社会厚生を重視するならば、財政再建はなるべく先送りするべきだということになる。合理的に考える人間であれば、ある程度は長期的な厚生を重視するはずだから、財政再建の登記着手を選択すると思われる。

 

 

いずれにしても重要なことは、財政再建の痛みを先送りすれば、テールリスクへの不安が高まり、現時点での経済成長が抑圧されるという負の効果がある、というトレードオフの関係である。

 

 

このトレードオフを認識したうえで、経済政策を立案しなければならない。このトレードオフが、今までの30年間の日本の政策決定では認識されてこなかったし

いまも十分に認識されていない。財政破綻の危機は、このトレードオフについての「認識の不在」を改めることをわれわれに求めているのである。

 

 

◎必要な財政再建策(財政破綻前において)

債務が増え続けている現在の日本で、低成長を脱するために財政破綻のテールリスクを取り除くことはきわめて困難である。財政破綻を起こさずに財政が持続可能な状態にするためには、恒久的な増税または歳出カットをしなければならないが、必要とされる増税または歳出カットの規模がとてつもなく大きいのである。

 

 

複数の研究によれば、日本の財政が持続可能になるために、もし、消費税の増税だけで財政収支を改善するとしたら、消費税率をいまの8%から38%程度にまで上昇させ、その税率で永久に固定しなければならない。つまり財政破綻のテールリスクを取り除くためには、消費税率30%分の財政収支の改善が必要なのである(たとえばHansen and Imrohoroglu 2016,Braun and Joines 2015, Kitao 2018 などでは、消費税率40%~60%の増税が必要になるという、もっと悲観的なシナリオが示されている)。(略)

 

 

また、「高い経済成長が実現すれば、税収が自然に増えて、財政再建は容易にできる」という議論が、一部の論者の間に根強くある。しかし、本節で論じたように、財政テールリスクの存在が低成長の原因となっている可能性が高いので、「経済成長率を高めるためには財政再建をしなければならない」。

 

 

この二つの関係をあわせれば「財政再建を実現するためには、(高い経済成長が必要で、その成長を実現するためには)まず財政権を実現しなければならない」という、トートロジーのような論理の自己循環に陥ってしまい、意味のある政策論にならない。われわれはこの点を十分に認識しなければならない。(略)

 

 

また、財政再建の道があまりにも険しいので、「いっそのこと、財政破綻して、ゼロから出直す方が楽なのではないか」という意見もある。しかし、財政破綻財政再建を比べた場合、どちらの方が国民生活にとってより良い選択であるかは、次のように考えることができる。

 

まず、財政破綻というテールイベントが起きた場合、物価は制御不能になって物価が3倍、4倍になるような高インフレになると考えられる。それは、公的債務の価格をインフレによって十分に減価させて持続可能なレベルまで落とすためには、物価は3倍以上になることが必要だからである(詳しくはコラムを参照)。

 

 

財政破綻させずに、消費税を30%上げるという財政再建策を実行したとしたら、物価は1・3倍になるだけである。このように比較すると、国民生活に与える経済的なコストは、おそらく財政再建のほうが小さくなるだろうと推測できる。(略)」※ この後に、コラムがありますが、省略します。

 

 

「3 世代間の協調と民主主義システム

本節では、世代間協調問題(現在世代が政策実施コストを支払うと、将来世代がリターンを得るような政策課題)を通常の民主主義の政治システムでは解決できないことを論じる。

 

 

このような問題は、保守主義の政治思想(エドマンド・バークなど)ではよく知られた政治のテーマであるが、リベラルな政治哲学、とりわけ、社会契約論の文脈では適切に取り扱われていない。

 

その例としてロールズの「正議論」を取り上げる。ロールズの有名な「無知のヴェール」を使った格差原理は、経済学における「ナイトの不確実性」のもとでの利己的な効用最大化と同等であることを指摘する。さらに、ロールズの格差原理で世代間協調問題を解こうとしても「時間整合性の問題」に阻まれ、適切な解決ができないことを論じる。

 

財政破綻の問題は、現代の政治システムの欠点を提起している。政策決定の時点とその結果が実現する時点までの間に、世代を超えるほどの超長期の時間経過が横たわっているために、民主主義のシステムでは、適切な意思決定が出来ないのである。

 

◎世代を超えた時間:民主主義の弱点

財政を悪化させる政策決定(社会保障制度の拡充、財政出動や減税の実施、財政再建の先送りの決定)は、30年以上も前の過去から行われており、それが現在も継続している。

 

 

そして、財政破綻はいまから数年以上も先の未来、おそらくは20年~40年ほども先の未来に到来する。これだけ長期の時間差があるときには、財政再建を先送りするかどうかを選択する世代(現在世代)と、財政破綻の被害を現実に受ける世代(将来世代)が、お互いの意見を交換して、政治的な合意達するにという民主主義的な議会政治のプロセスは実現できない。

 

 

現在の財政再建のコスト(増税の痛みや慢性的不況など)と、将来の財政破綻のコスト(ハイパーインフレや経済危機)とを、政治の場で比較しようとしても、現在世代と招来世代とは同じ時間を生きていないのだから、議論の関に着くことが物理的に出来ない。

 

 

また、現在世代が将来世代の不利益となる決定(財政再建の先送り)をしたからといって、将来世代が現在世代にペナルティを与えることも 物理的に不可能である。将来世代が現在世代を罰したいと思う頃には、現在世代の人間はことごとくこの世を去った後だからである。

 

 

この問題は、近代から現代の政治のフレームワークである民主主義は、超長期の「時間」の扱いがきわめて不得手である、ということを端的に示している。(略)

 

 

超長期の時間軸をもったこれらの世代間協調の問題に適切に対処できないことによって、いまわれわれの社会では、社会の長期的な持続性が脅かされている。(略)

 

 

ところが、20世紀後半からこの前提が無条件には成り立たなくなった。将来世代の利益を的確に反映した意思決定を現在世代のわれわれができなければ、社会の持続性がおぼつかないということになってきた。時間の問題に弱い、という一見無害だった民主主義の弱点が、21世紀の今日において、政治システムが抱える問題としての重要性を増してきたのである。そのことを最も先鋭的に表しているのが、財政破綻をめぐる現在の日本の危機である。

 

 

 

保守主義と世代間協調問題

超長期の時間んを通じた社会の持続性は、昔も今も政治の関心事である。まだ生まれていない将来世代が現在の政治決定の場に意見を言えないのは、物理的な制約であり、民主主義の血管と見るべきではないかもしれない。

 

 

どのような政治システムでも同じ問題はあるが、将来世代の利益を擁護する仕組みは、伝統、文化、宗教などの(政治的意思決定のシステムに対する)補完物というかたちで存在していた。それは近代民主主義国でも同じである。

 

 

 

保守主義の政治思想が、権力者や議会による意思決定よりも伝統や慣習を重視するのは、どのような政治システムによる意思決定であってもそれだけでは世代間の時間を超えた問題を適切に扱えない、という判断が背景にあったからである。このような思考は、エドマンド・バークの次のような言葉から、保守系の論者にはなじみ深い考え方である。

 

 

「社会は、まさしくひとつの契約である。(中略)しかし、国家は(中略)すべての科学における合同事業(パートナーシップ)であり、すべての学芸における合同事業、あらゆる徳、まったくの完成における、合同事業である。このような合同事業の目的は、多くの世代によっても達成されえないから、それは生きている人々だけのあいだの合同事業ではなく、生きている人々と死んだ人々と生まれて来る人々とのあいだの、合同事業である」(「フランス革命についての省察ほかⅠ」水田洋・水田珠枝訳、中公クラシックス版)

 

 

時間をめぐる問題が顕在化したのは、伝統や慣習、宗教が政治の意思決定を制約しなくなってきたからといえる。伝統や宗教の負荷から解放された「白紙」の社会に民主主義のシステムを作ったとしたら、それが時間をめぐる問題に対処できないことは、ジョン・ロールズの「正議論」を検討することによって理解できる。」