読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

ロールズの原初状態では、人々は自分がどのような境遇に生まれつくか知らないが、もしそれが確立分析もわからないほどのナイトの不確実性ならば、原初状態の人々の社会契約は(ナイトの不確実性を嫌う)合理的個人の功利的な選択と一致する。すなわち、ロールズのリベラルな社会契約は「拡張された功利主義」と解釈できるのである。

 

 

ロールズに内在する時間整合性の問題

ロールズの「無知のヴェール」の議論を世代間の所得移転の問題(政府債務の問題)について適用すると、大きな難点にぶつかることは当初から経済学者によって指摘されてきた。その難点とは経済学で「時間整合性の問題」として知られている問題である。

 

 

原初状態において「財政再建をすることに合意したとしても、その後に、無知のヴェールが取り去られ、歴史が開始されると、その合意を守る誘因(インセンティブ)は失われ、結果的に財政再建は実施されなくなる、という問題である。「次世代のために財政再建する」という事前の約束は、事後に必ず破られるので、この約束は時間整合的ではないといわれる。このような約束をめぐる問題を「時間整合性の問題」という。

 

 

 

世代間の所得移転の問題について、原初状態で考えてみる。無知のヴェールに覆われている個人は、自分がどの世代に生れ落ちるかわからない。財政再建を先送りできる世代に生まれるか、財政破綻に直面する世代に生まれ落ちるか、わからないなかで世代間の所得移転の制度(政府債務の管理政策)に合意する必要がある。ロールズのmax-min rule によれば、自分が最も不利な財政状況の世代に生まれた場合に、効用が最大になるように世代間の所得移転を決めるべきだということになる。

 

 

 

したがって原初状態では、人々は「財政の持続性を維持する」ことに合意する。つまり、政府債務が増えすぎれば速やかに財政再建に着手することに合意する。ところが、無知のヴエールが取り去られると、この合意は守られない。

 

 

自分がある世代に生まれ、前世代からの遺産も確定している状況で考えると、次の世代に資源を残すことは自分にとって何のメリットもないからである。利己的な現在世代が合理的に考えれば、自分の世代の中ですべての資源を消尽し、将来世代に何も残さないというのが自分の効用を最も大きくする選択である。

 

 

 

そして、そのような選択をしても、将来世代はまだ生まれていない(または政治的な権利をもっていない)から、将来世代からペナルティーを受けることはない。結果的に、原初状態で合意した世代間の所得移転の約束は守られなくなるのである。

 

 

この問題は、世代間の所得移転以外の問題では発生しない。同時点での所得格差の是正う社会契約については、もし合意を破ろうとする者がいれば、同時点で他の物がペナルティーを科すことができるので、合意の履行を確保することは強いペナルティーを設けることで可能となる。

 

 

ところが、財政再建(現在世代から将来世代への所得移転)の合意については、それを破っても、将来世代が現在世代にペナルティーを与えることは物理的に不可能である。そのため、他の合意とは異なり、世代間の所得移転については、原初状態で合意しても、そののちに合意が破られることを防止できないのである。

 

 

 

現代の代表的な社会契約論(ロールズの正議論)の枠組み、すなわち無知のヴェールで覆われた利己的人間による合理的な合意という枠組みでは、財政の持続性を確保することはできないのである。」

 

〇理解力が乏しいただのおばさんの感想を書かせてもらいます。

ここに書かれていることに、スッキリ頷くことができません。現代世代の人間が自分たちのことだけを考え、将来世代(自分たちの子孫)のことを考えられないのは、その人々が今現在、ここで自己主張をしないからだと言っているのでしょうか。将来世代の人は、今はまだ存在しないから、と。

 

でも、その論理で言えば、例えば、戦時中、ガダルカナル島で餓死していった人々も、自己主張はしなかった。誰の声も、大本営には届かなかった。だから、自分たちの利益だけを考えることが当然の人間は、彼らの苦難に想いを馳せることはせず、餓死させて当然だ、という事になります。

 

そして、実際、そういう思考方法でいけば、福島の自主避難者のことも、放置され続けている(らしい)外国人労働者のことも、自分たちの利益を考えるのが人間なのだから、考えられなくて当然なのだ、ということになります。

 

経済とか財政とか政治の問題に、「思いやり」とか「慈悲」とか「想像力」とかいうものを入れてはいけないのでしょう。だからこのような議論で、「正義」考えなければいけないのでしょう。

 

それでも、多分、欧米なら、無謀な人命無視の作戦や、人権無視、人道的に問題ある政策には、ペナルティが科せられる。

でも、この国では、全くペナルティは科せられない。

 

将来世代のことを思いやれない国民に、国を持続する力はない。正議論やペナルティーを持ちだす以前の問題ではないかと感じます。このような冷静な議論に悲しくなってしまうのです。