読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

「4 新しい社会契約論の可能性について

 

世代間協調問題を解決するため、将来世代の利益を代表する行政機関などの組織すなわち「仮想将来世代」を創設すべきだという提案が増えている。本節では、仮想将来世代の創設を政治思想として正当化することを、

ロールズの枠組みの拡張によって試みる。

 

 

仮想将来世代の組織が存在すれば、その構成員がもつ将来世代への利他性は「共感」の作用によって強化され、現在世代の政策決定に将来世代への配慮をもたらす。このことを予測する原初状態の人々は、無知のヴェールのもとでの選択として、仮想将来世代の創設に合意する。即ち仮想将来世代の創設は新しい社会契約として政治的正当性をもつと考えられる。

 

 

 

世代間協調を促す制度改革のアイデアはすでにいろいろなものが出されている。本節では、それらの新制度を新しい社会契約論の枠組みで基礎付けることを試みたい。

 

 

ロールズは「無知のヴェール」を使った格差原理の議論によって、手厚い社会保障制度の創設を「社会契約」であるとして正当化した。ここでは同じように、世代間協調を促す新制度の創設を(新しい)社会契約であると論じ、その正当性を主張したいのである。

 

 

 

◎世代間協調のための制度改革案

財政破綻の危機について書かれた論考では、将来世代へのコストの先送りを防止する制度改革案がいくつも提案されている。実現へのハードルが相対的に低いものから、根本的な統治機構改革まで、三つのグループに分類すると、以下のようになる。

 

 

(1)改革案の中で最も現実的なグループは、中立的な将来予測を広く有権者に知られ、彼らが将来世代のことにもっと配慮した政治的意思決定を選択できるように環境を整えるという考え方である。

 

 

財政問題の分野で具体的な提言を挙げると、政府や政党から中立な、長期将来予測機関の設置(東京財団 2013など)がある。政府から独立した長期予測機関を設置し、100年程度先までの人口動態、財政、経済、環境などの予測を中立的な立場で行い、今日の政策決定と長期予測との連関を公表する。(略)

 

 

 

(2)第二の改革案グループは、行政組織として将来世代の利益代表となる部門を創設するというアイデアである。たとえば、國枝(2011)は、将来世代の護民官ともいうべき「世代間公平確保委員会」の創設を提言している。

 

 

提言の具体的内容は次の通りである。政府から一定の独立性をもった独立行政委員会として世代間公平確保委員会を設置する。世代間公平確保委員会は世代会計を作成して国会に提出し、政策決定に影響を与える。また、国の予算や重要政策について、将来世代の利益確保の観点から、内閣や国会に対して意見を述べることが出来るものとし、さらに、著しい世代間不公平が生じるおそれがある場合には早期是正を内閣や国会に勧告できるものとしている。(略)

 

 

(3)第三の改革案グループは、将来世代の利益を反映するかたちに議会制度を変えるという統治機構改革の案である。例えば次のような参議院の賢人会議化などがありうるが、それには憲法改正を伴う大幅な統治王改革が必要となる。

 

 

参議院を将来世代の利益を大きく反映する少人数の賢人会議のような議員に再編し、議員の任期を長期化するまたは終身議員の仕組みを入れることによって、短期的な政治からの中立性と独立性を確保し、将来世代の利益を代表する長期的な視野の確立を図る。これは、ハイエクの晩年の議会改革論とほぼ同じ精神に基づく構想である(F・A・ハイエク「法と立法と自由」)。(略)

 

 

 

これらの考え方は、現在の政治の意思決定プロセスに、将来世代の利益を代表するアクターを導入することで、将来世代へのコストの先送りを防止しようとする考え方である。

 

 

このような将来世代の利益代表を総称して西條(2015)は「仮想将来世代」と呼んでいる。西條らは、本章でいう世代間協調問題を解決するための社会制度の研究を「フューチャー・デザイン」という研究プロジェクトに束ねて推進しようとしている。(略)

 

 

◎ 共感の作用による利他性の強化

ロールズの社会契約論では、人間の利他性についてきわめて抑制的な仮定を置いている。ロールズは、人間が完全に利己的であったとしても社会の連帯が存在することができる、ということを示そうとしたからである。しかし、前述の通り、世代間の協調の問題を解決することは、ロールズの社会契約では難しい。

 

 

 

以下では、ロールズ人間についての家庭を緩めて、将来世代への「弱い利他性」を仮定し、そのことから、独立長期予測機関の設置などの制度改革で民主主義システムを補正することが、新しい社会契約論として正当化できることを素描する。

 

 

 

人間は、自分の家族でもない将来世代一般のために自分の今日の生活を大きく犠牲にするほどの「強い利他性」は持ち合わせていない。しかし、家族や身近な人など何らかの個人的なつながりがある将来世代への配慮や、一般的な将来世代への組織(’独立長期予測機関や将来省など)を設置することは、次のような「共感」のメカニズムによって、この「弱い利他性」をその構成員の中で強化すると思われる。

 

 

 

仮想将来世代の組織では、将来世代への利他性を発揮することが職責と規定されており、将来世代への利他的行動は、世間からの(または組織の構成員相互の)「共感」を得やすい。つまり、仮想将来世代の構成員の「あるべき姿」または「与えられた役割」は、将来世代の利益を擁護うことであり、そのような行動をとると、当該構成員は正しい行動をしたと(世間一般から、または構成員相互に)是認され、「共感」を受ける。

 

 

アダム・スミスが「道徳感情論」で重視した「共感」の作用も、ある人が他者(世間一般)から期待される正しい行いをすると、他者はその人に共感(是認)の感情をもつ、ということが基本にある。

 

 

 

この共感の作用によって、仮想将来世代の組織の構成員の利他性は(世間一般から、または構成員相互に)是認を受け、強化される。その結果、仮想将来世代の組織としては、通常の個人がもつ利他性よりももっと強い「将来世代への利他性」を組織文化として形成し維持するようになる。

 

 

 

そのため、現在世代しかいない政策決定のプロセスにおいても、将来世代の利益を擁護する一定の役割を果たすことが出来るようになると思われる。(略)

 

 

 

◎ 新しい社会契約論の考え方

ロールズの仮定を緩めて、人間は将来世代に対する「弱い利他性」をもち、また、アダム・スミス的な「共感」の作用によってその利他性を強化する能力がある、と考えよう。

 

 

この新しい仮定のもとに、無知のヴェールに覆われた原初状態の人々が、財政運営について考察するとき、最悪の境遇に生まれたとしても、財政破綻に遭遇することは避けたいと考えるので、持続性を維持するような財政運営を各世代が実施するべきである、と人々は合意する。

 

 

しかし、その合意は時間整合性を満たさず、空手形であることも、これらの人々は理解している。なぜなら、無知のヴェールが取り去られ、歴史が始まると、すべての人にとって(前世代からの遺産を所与とすると)、自分の後続世代に何も遺さないこと(財政運営についていえば、政府債務のコストを先送りすること)が最適な戦略となってしまうからである。

 

 

一方、原初状態の人々は、人間が「弱い利他性」と「共感」の作用をもつことをも知っている。仮想将来世代の組織を設立すれば、弱い利他性共感の作用によって強化されるので、各時代において、将来世代の利益を重視するよう政策決定に影響を与えることが予想される。

 

 

 

そうなれば、後続世代に一定の資源を遺すこと(財政運営についていえば、財政の持続性を維持すること)が各世代において実現するはずである。原初状態の人々はこのように推論するので、持続的な財政を実現したい彼らは、政治制度として仮想将来世代の組織の創設に合意することになる。こうして、仮想将来世代の創設が社会契約として合意されるのである。

 

 

このようにして、ロールズが手厚い社会保障制度という福祉国家モデル

を「無知のヴェール」の議論を使って社会契約論として基礎付けたのと同じように、将来世代の利益擁護の組織(仮想将来世代)を現代の政治システムに付け加えるという民主主義の補正を、新しい社会契約論によって基礎付けることができる。(略)

 

 

 

世代間協調問題という新しい問題に対処するために、弱い利他性をもった合理的個人からなる社会でいかなる合意が可能か再定義することによって、「長期予測機関や将来省などの仮想将来世代組織を創設すること」が新しい社会契約の重要な構成要素として現れるのである。

 

世代間協調問題の典型例として、日本の財政破綻の危機は、現代政治システムの進化とそれを基礎付ける政治哲学の進化とを、われわれに要請えいると言えるのではないだろうか。」

 

〇 ここで、小林慶一郎氏の文章は終わっています。

学者の方々は、「しっかり考えて」この提言をしています。

この提言通りに、その役割を果たす「将来省」のようなものが出来れば、どんなに良いか…と私も思います。

 

でも、問題は、私たちの国では、学問的な「知」が実際の暮らしに少しも生かされていかない、ということです。

 

例えば、三権分立という誰でも知っている制度があります。でも、私たちの国においては、そのような形はあっても、内実は少しもそうなっていません。

 

原子力保安院というのもありましたが、「ほあんいんあほ」とバカにされ、今の原子力規制委員会も、結局メンバーを入れ替えることによって、政府の言いなりになる組織に成り下がってしまった感があります。

 

更に、あの児童相談所も、教育委員会も、本来は子どもを守る立場の組織のはずなのに、現実にはそうなっていない、ということも聞きます。

 

内実が伴った組織にするために、学問的な知をもっと一般社会に生かせる形にできないものか、と切に思います。

放射能についても、児童心理についても、財政や経済についても、その他、様々な「深い知」が、少しも社会に生かされて行かないというのは、不幸なことではないかと思います。

 

愚かな政治家や世間知らずで傲慢な官僚が好き勝手なことをするのを放置していては、拙いのではないかと思います。