読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

死にゆく人のかたわらで

「第5話  お金の問題

 

自宅で死ねない二つの心配事

 

自宅で死にたいが、不安なのは「お金」と「痛み」であるという。家族に負担をかけるのではないか、ということはもちろん心配なのだが、それと同じくらい「お金」と「痛み」が心配なのだという。「末期ガンの家での看取り」についての新聞記事にそう書いてあった。(略)

 

 

「公的保険でできることだけする」

まず、お金のことを書いてみる。結果から言おう。我が家の場合、ガン患者の夫を家で看取るにあたり、そんなにびっくりするようなお金はかからなかった。

 

 

医療保険介護保険、そして最後の一か月くらいは介護保険で来てもらえるヘルパーさんの合間に、実費のヘルパーさんが必要だったが、それくらいだった。医療保険介護保険には自己負担限度があるから、両方フルに使って、いちばんたくさんお金を払った月でも、我が家ではあわせて八万円くらいだったと思う。

 

 

月に八万円は高いじゃないか、と言われるかも知れないが、日本の暮らしで、「いざというとき」のお金から考えると、そこそこ想定内なのではないだろうか。この八万円の内訳についてはのちほど述べることにする。(略)

 

 

一九四七年生まれ、絵に描いたような団塊の世代で、大学では緑のヘルメットなどかぶって、その世代にふさわしい大学生活をおくり、生涯、「社会派」であることをめざし、金持ちやエライ人は全て悪い奴だと思い、特別扱いをされることを嫌い、現在の社会保障の体制で出来る範囲で生きたい、と思うような人だったから、「生命保険」にも「入院保険」にも、ましてや「がん保険」など、公的な保険以外のプライベートな保険の類には、一切入っていなかった。(略)

 

 

 

特別なことはやらない、この国の公的な保険で、できることだけを受ける。「自分は医療保険の範疇でできることで死ぬ」ということを、いつも言っていた。そしてそれをほとんど全うした。

常々、彼は、「ガン」でお金がかかるのは、保険の利かない「認可されていない”新薬”」だとか、西洋医療ではない「なにか特別な治療」を受けようとするからであると信じており、そんなものは「所詮効かない」のだから、「医療保険」の範疇で治療を受けることが最も正しい、と考えていた。

 

 

医療系の新聞社に長く勤めた編集者であり、現在の医療システムに不満もいろいろ持ってはいたものの、基本的に近代医学の精緻な方法に信頼を置いていて、保険もおりないような治療は、はなから、信じていなかった。(略)

 

 

必死で生き延びて来た世代

 

(略)

夫の母、静子さんは、いま写真を見ても、若い頃は相当な美人で、チャーミングで気の強そうな、いかにも男性が「この人について行きたい」と思うような方であったことがわかる。世田谷の裕福な商家に生まれ、当時の女性はだいたいそうだったと思うのだが、「お嫁になんか行きたくない」と言いながらも親に聞き入れられることはないく、いやいや、見合いで結婚する。

 

この「いやいやながら、まわりに言われてしぶしぶ結婚する」というのが、いかに次世代育成にとって重要な態度であったのか、ということを、非婚化、晩婚化、少子化現代日本で、しみじみと我々は知りつつある。

 

 

若い頃は、おそらく古今東西を問わず、誰も結婚はしたくないのである。ひとりで勝手に好きなことをしていたい。親元にいるのが気楽でいい。なぜ急いで結婚しなけれがならないのか。娘時代というのはよきものだ。(略)

 

 

若い人は家庭など持ちたくない。ほんの少数の、早熟で恋愛上手で、「強者」である男と女が、勝手に恋愛をして、早くその女や男と一緒に暮らしたいから、その便利な理由として、若くして「結婚」するにすぎない。おおよそほとんどの若い男と女は、ほうっておいたら、結婚などする気はないのである。(略)

 

 

 

そんなことは封建的だとか、家父長制の温存だとか、個人の自由の抑圧だとか、女性蔑視だ、とか、声に出して言い始めたのはおもに団塊の世代(夫の世代)だ。それを聞いた段階の親の世代(夫の母、静子さんの世代)は、それもそうだ、自分は無理やり結婚させられて、いやだったもんなあ、と、娘や息子の言い分に反対することなく、子どもたちをあたたかく見守った。

 

 

そして「結婚」は、まわりが無理やりさせるものではなく、しかるべきときに、しかるべき相手を自ら見つけてするもの、ということになった。しかし、繰り返すが、そんなことができる、しかも若いうちにできる男と女は「強い個体」で少数派なのだ。

 

 

ほとんどの若い男と女は、自分たちでは結婚できないから、まわりが結婚させようとしなくなったいま、結婚することができなくなった。結婚、とは、収入もあり、それなりの容姿もあり、恋愛もできる、一部の強者にのみゆるされる、特権階級の行動となりつつある。

 

 

まわりが若い人を結婚させなくなったいま、非婚化、晩婚化が進むのは、もう、仕方がないことだ。ひとりで生きること。性と生殖の暮らしなしに老いること、はそんなに楽なことではないのに、先の世代の「対の暮らし」に責任を持たないことにしたのだ。(略)

 

 

婚家から捨てられた義母

 

(略)

静子さん一家はその店に住んでいたようで、食事時には、子どもたちはご飯のおかずが好きなものでない時は、母も忙しいので、店で、好きなものをちょっとずつ選んで、もらってきて、食べていたらしい。だから、亡くなった夫、金蔵は、食糧難の時代に育ったというのに、ものすごく好き嫌いが多い。無理やり嫌いなものを食べなくても、常に、自分で適当に選んで食事をとることが出来たのだ。これが彼の背景である。

 

 

「ナントカ療法」は全て挫折

 

(略)

まずは「ガンの患者には混載をたくさん食べさせるといい」と聞いた。大根、にんじん、蓮根、長いも、ごぼう、などの根菜をたくさん食べさせるといい」と聞いた。大根、にんじん、蓮根、長いも、ごぼう、などの根菜を一挙にたくさん煮ておき、それを筑前煮にしたり、けんちん汁にしたりして、とにかく毎日、根菜がある状態にしておき、それを日々、食べるとよいらしい。わたしにそのことを伝えてくれた友人の知り合いは、ハワイでその食事療法をやって、ガンが消えた、という。

 

 

 

根菜を毎日食べる、ということに、なにか問題があるとも思えない。好き嫌いの多い夫も、煮物は嫌いではなかった。わたしは早速、常に根菜を煮たものを冷蔵庫にストックするようにし、毎日けんちん汁がある状態にした。

 

夫に、是非これを毎日食べるように、と言ったのだが、夫は食べない。母親のつくってくれていたけんちん汁は、ちょっと味が違う。これはまずい、と、わりと平気でわたしのつくったものを、食べない。

 

 

わたしがつくったものを食べないことは、好き嫌いの多い彼にとって日常茶飯事のため、わたしはいまさら傷ついたりはしないが、せっかく友人にすすめてもらったのに、と残念であった。(略)

 

 

さらに別の友人女性は、父親が末期ガンと診断されたが、生のにんじんを中心とした生野菜と果物をジュースにしてその場で飲む、それも一日にたくさん飲む、という「生ジュース療法」みたいなのをやったら、めきめき元気になってきて、もう二年過ぎた、と言う。(略)

 

 

飲んでほしい夫は、緑の野菜が大嫌いなので、色が緑だと飲まないから、なんとか緑にならないものだけで作って、はい、すぐに飲んで、と言っても、これまた、飲まなかった。(略)

 

 

あとは、梅干を焼いたものの粉末とか、玄米の重湯とか、さまざまな健康食品系を送っていただいたが、全て、拒否。「ナントカ療法」の全ては挫折した。わたしがおいしくいただいた。

 

 

「多いときで八万円」のありがたさ

 

(略)

要するに、我が家のガン患者の方針は、「医療保険介護保険」でできること以外は、やらない、であったのだ。すべての代替療法、食餌療法は、拒否。保険診療以外の薬も拒否。だから、我が家でやったことは、結果として、ある意味、「日本の制度で可能な感患者の看取り」となった。

 

 

冒頭に書いた「多いときで八万円」について書いておくことは、いくばくかの人たちの不安を和らげることになろうか、とも思う。もちろん、多いときで月八万円、という額も、払えない、という方々ももちろんたくさんおいでになるわけで、それはそれで別の対処となるが、多くの、働いている間じゅう、医療保険と年金と介護保険を天引きされてきている、日本の給与生活者とその家族は、そのくらいはなんとか払う覚悟をしている人も少なくあるまい。(略)

 

 

各家庭の収入によるので、一概には言えないが、我が家の場合、月々の医療費はだいたい五万円台だった。つまりはだいたい五万円以上自己負担がかかると、それ以上は、役所の医療保険課に行って手続きすれば、払い戻してくれるのである。

 

 

簡単に書くが、これはすごいことだ。(略)

自宅での看取りをする、ということは、結果として大げさな医療措置はやらない、ということも意味している。「切開」とか「手術」とか「集中治療室」などという、病院にいたら起こりそうなお金のかかる医療措置は、何と言っても、「できない」からである。(略)

 

 

介護保険のヘルパーさん

 

(略)

わたしは外で仕事をしていたし、昼間は多くの場合、彼がひとりになった。もともと他人に家に入ってもらうことが嫌いな人だったこともあり、最後の最後まで、自分で立ち上がってトイレを使うことが出来たこともあり、「緊急」のときにはボタンを押せば三〇分以内にヘルパーさんが飛んで来る、という介護保険のシステムを使っていたこともあり、「二四時間誰かがいなければならない」という体制になったのは、最後の三週間だけだった。

 

 

夫が亡くなったのは二〇一五の六月二七日だったが、六月に入った頃、本人のいないところで、訪問診療の主治医、新田國夫先生は、「もう、週単位だと思います。月単位はないと思って下さい。二四時間、誰かが

体制になさったほうがいい」と言われた。まだ本人は立ち上がれるし、十分話もできる。下げ止まりながらこの状態はもっともっと長く続く様にわたしには思われていた。

 

 

本人もずっと誰かがいる、なんていやだ、と言っていたが、先生のすすめにしたがい、わたしは仕事に出て行くときには、常に、実費でヘルパーさんをやとうことにした。(略)

 

 

週末や、夜などは、ヘルパーステーションのヘルパーさんたちには来てもらえないので、「ダスキン」のヘルパーサービスを使った。こちらは二時間は八〇〇〇円を超えるが、二四時間いつでも来てくれて、なんでもやってくれる。

 

 

「いざというとき」とはどういうとき?

 

夫は、この「介護保険のh時間外でヘルパーさんを頼む」とか、「ダスキンさんを頼む」ということにあまり納得していなかった。もともと家に他の人がいるのがいや、ということもあったのだが、それよりなにより、彼はお金のことを気にしていたのだ。

 

 

「いざというときのために、お金はとっておいたほうがいいんじゃないか。こんなにお金を払ってヘルパーを頼むのはやめたほうがいいんじゃないか」と言うのである。

 

いざというとき……、いざというときっていつだ?(略)

 

 

度重なる天災からのよみがえりの歴史を持つこの国の人たちのエトスには、将来のよきからだのために、いま、危険因子になりそうなものをできるだけ排除するという近代予防医学の発想が、深く根付き過ぎたのかもしれない。

 

 

わたしたちは、「備えよ常に」という本来は美しいはずの態度を、「いま楽しむことは堕落である」という、禁欲的で他人に迷惑な態度に、静かに変えてしまったのかもしれない。

それが同時に、今、このときに集中することを妨げ、いま何をやるべきか、今何がなされるべきかを判断する明晰さを鈍らせること、につうじていないと、どうして言えよう。(略)

 

 

だが、本人が何と言おうと実費ヘルパーを頼もうと、わたしが実際に決断したのも、新田先生に「そうしたほうがいい」と言われたからである。「いざというとき」は、実は自分たちにはわかりにくいからこそ、訪問診療医が頼りになる。

 

最後の三週間は、結果としてこのような実費ヘルパーさんのお世話になったので、医療保険介護保険の八万円以外にもお金がかかりはした。が、主治医の見立ては正しく、たしかに、もう、月単位、はなかった。(略)」