読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

前世は兎

吉村萬壱著「前世は兎」を読みました。

短編集です。最初に読んだのは、「前世は兎」。次に「宗教」、「沼」、「梅核」、「ランナー」を読みました。

「前世は兎」は、すぐに物語に引き込んでくれて、ありがたいと思いました。

私は、読書があまり得意ではありません。好きな本は、本当に好きで、趣味は読書、などと思っていた時期もあるのですが、読めない本の方が圧倒的に多いことに、気づき、それほどの読書好きではないのだとわかりました。

 

そんなわけで、先ず物語にスッと引き込んでくれる本は、嬉しいです。

モノには何でも名前がある。だから世界はダメなのだ…(文章は違っています。図書館で借りた本を返してしまったので、記憶を頼りに書いています。)

 

本来は、全てのモノが渾然一体となって、世界は一つであるはずなのに、

名前があるために、わけのわからないものになっている(ここも、原文通りではありません)。

ここを読みながら、あの鈴木大拙の「東洋的な見方」の中の、

言葉のとらえ方を思い出しました。

 

私たち人間も本来は動物なので、自分の中の動物的な面に気づかせてくれる本は、わりと好きです。でも、こちらの精神状態が、あまり良くないと、そうなってしまうのか…。読み終えて、次の作品を読む気になりませんでした。とても絶望的な気持ちになってしまいました。

 

それで、しばらく時間を置き、気をとりなおして次の作品を読みました。返却日が迫り、もっと丁寧に読みたかった「ランナー」は、飛ばし読みのようになってしまい、ちょっと残念です。

 

返却前にコピーしておいたページから、一部メモします。

 

「ランナー」

 

「我々は日々汚染された食べ物を口にし、汚染された空気を吸って生きていくしか生きる術がなく、そしてそのことに慣れ切っていた。

即ち、大きな諦念の帳が我々の生活全てを完全に覆い尽くしていたのである。」

 

〇ここは、まさに今の私の気持ちそのものです。放射能汚染に止まりません。現政権は、民主主義を破壊し、都合の悪い公文書を隠蔽、廃棄し、国民主権や人権を尊重する考え方を葬り去ろうとしています。マスコミに圧力をかけ、経済システムを牛耳って、戦前の日本を取り戻そうとしています。

 

今や、財界も著名人も沈黙し(マスコミが機能不全になっているので、そう見えます)、もうそんな「空気」を吸って生きるしかなくなっています。

 

「ランナーが国家レベルで賞賛され、全国民から英雄視されるのに対して、辞退者は国賊であり、その罰は係累にまで及び、刑期を終えて出所した後も白眼視され、攻撃され、いくら身を隠しても探し出され、誰とも分からぬ群衆の私刑を受けて殺される運命にあることは誰もが知っていた。

 

もし姉が自分がランナーに選抜されたことを誇りに思い、声を上げて喜んだとすれば父も母も私もそれを共に祝わぬ理由は持たなかったろう。しかし彼女はそうではなかった。これに対して父は、少なくとも娘がランナーに選抜されたことに対する喜びの表情は見せなかった。

 

ただ声に出して通知書を読み上げ、蕎麦殻の枕の上に頭を転がしてテレビ画面に向き直っただけだったと記憶する。母は父から通知書を受け取り、破れ目をセロハンテープで張り合わせた筈である。

 

 

ランナーの家族は、着順に応じた年金を支給されることになっていた。この薄っぺらな通知書を受け取った瞬間、我々家族は最底辺の暮らしから抜け出せることが約束された。家庭によっては祝いの宴を催したりするというが、我が家にはそういう空気はなかった。

 

 

しかし決定通知を誰も喜ばなかったかと言えば、それは嘘だった。姉を気の毒に思う気持ちは胸に溢れんばかりだったにも拘わらず、その夜は未来へと続く一筋の光を夢想して私は殆ど寝付くことが出来ず、低い天井を凝視しながら自分の登頂部の  を撫で回し続けた。そしてその未来を手にするには、間違っても姉が自殺や逃亡を企てないということが絶対条件であった。

 

 

 

翌日の月曜日の早朝、姉と私は定刻に二人一緒に家を出た。我々は同じ国営第六工場の労働者だった。姉の様子は、いつもと変わらないように見えた。必要以上の言葉は口にせず、顔の両側に垂らした髪を盾にして世界から身を隠すようにしている様子も普段通りで、我々は決まったバス停の行列に並び、決まった灰色の送迎バスに揺られて第六工場へと向かった。

 

 

我々の暮らすバラックの集合住宅の住人の約六割は、第六工場の工場労働者で占められている。月曜日の午前五時にバスターミナルに集まる人々の顔は、刑場に引かれていく死刑囚の群れのように沈鬱の色一色に塗りこめられていた。

 

 

労働者達は二交代制で一日十二時間拘束される。エリア内の発電施設の建造物や機械部品は、計算上の耐用年数を著しく下回って加速度的に消耗した。その為、発電施設に対する部品補給や補修工事は常に焦眉の急だった。

 

 

部品の製造・修理を行う第一~第七工場のノルマは絶対で、ベルトコンベアや機械を停止させたり故障の原因を作ったりすることは反国家的行為と見做され、遺族年金なしの決死隊への強制異動の対象とされた。不可抗力な理由でもない限り、どんな単純なミスでも命取りとなり得た。」

 

 

〇どの作品も、「絶望」「不幸」が行間からにじみ出ていました。そして、その感覚は、とても馴染みあるものでした。でも、私は、そんな絶望や不幸から逃げたいと思って生きてきました。

 

もし、ものの見方や考え方や受け取り方で、多少なりとも、そこから逃げ出し、「希望」や「幸福」を味わえるなら、そちらに行く努力をして生きようと思って、やってきました。

 

そんな自分の原点を思い出させてくれるような本でした。

 

もう一か所、「ランナー」の中から印象に残った文章をメモしておきたいと思います。

 

「まだ物心つかない頃、狂犬病の犬にくわえられた猫が死に至るまで振り回されるのを、母の足につかまりながらじっと見ていたことがあった。

 

私は自分がいま猫だと思った。こんな無慈悲極まる非道な扱いを受け続けなければならない恐ろしい運命に打ち震えながら目を覚ますと暗闇だった。」

 

〇ここは、地震が起こった時のことだったと思います。

世の中はそんな無慈悲極まる非道な扱いに苦しむ人の悲鳴に満ちています。恐ろしくて苦しくなります。今は免れていても、いつ自分や自分の家族がそんな「猫」になるかわからない…。そう思いながら生きるのは、恐ろしすぎます。

 

少しずつでも、マシな世の中にしよう、と思って生きる生き方。

どうせそんな恐ろしい世界なのだから、今のこの瞬間を楽しんで生きよう、と思う生き方。人権や民主主義は、マシな世の中にしようと思った人がいたから、今、私たちはその恩恵を享受できているんだろうな、と思います。