読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「明治の政治リーダーシップが安定しなかったのは、彼ら自身が指導者にふさわしいと自らを見なしていなかったからだと思われる。彼らは国民を決して信用しなかった。その意味で、明治の元老たちも、農民をまるで信用しなかった江戸時代の武士となんら変わらない。

 

 

明治政府はときに武力を用い、また絶えずプロパガンダをまくし立て、偽りの現実を作り出しながら、自由民権運動やはじまったばかりのほかの政治運動を弾圧した。

 

 

なかには日本に大変な害悪をんもたらした者もいた。日本にとって望ましい政治を損ねたという意味で、だれにも増して大きな損害を与えた悪者を一人挙げるとしたら、それは山県有朋だ。(略)

 

 

 

また一九四五年以降、アメリカ占領軍が日本の状況を完全に誤解していたことも、日本にとっては不運だった。彼らは日本の政治家も、アメリカと同じように、戦後は官僚を支配するようになると当然のように考えていた。日本が真珠湾攻撃を行ったのは、この国に政治的な空白があったからなのだが、彼らはそれを理解していなかった。(略)

 

 

 

吉田茂は「知っておくべきことがいかに欠如しているかも知らないおめでたさ」ゆえに、アメリカ人たちが手を焼いたと述べていたが、言い得て妙である。たしかに実情を知らないまま日本の民主的な支配が発展しているとアメリカが楽観視していなかったら、そして経済官僚たちがマッカーサー率いる占領軍からこれほど多くの特権を与えられなければ、オリガーキーが苦も無く形を変えて存続することはなかっただろう。

 

 

 

さらに不運だったのは、占領期が冷戦のはじまりに、そして共産党が中国を掌握した時期に重なったことだった。もしマルクス主義に影響された日本の左翼が、政界で思う存分争うことを許されていたら、日本の国民にとって何がベストであるかという問題をめぐって、真の政治闘争が繰り広げられていたかもしれない。

 

 

そしてそのような政治闘争が行われていたら、無限の産業発展などという目標が、なんの抵抗もなく国民に押し付けられることはなかっただろう。占領軍は冷戦がはじまると方針を変え、日本はアメリカ消費者向けの工場という役割を与えられた。

 

 

 

議論の不在

ヨーロッパの国々のなかには、私が生まれたオランダなど、日本と同じように第二次世界大戦が終わった時、経済がすっかり荒廃していたところもあった。そしてこうした国々が最初に取り組んだのも、日本と同様、産業を復興し、健全な経済基盤としてのインフラを再建することであった。しかしそれが再建されると、ヨーロッパ諸国では次になにをなすべきかという政治議論が繰り広げられた。(略)

 

 

 

アメリカが極端に消費者を重視していると見なされているのとは対照的に、日本は「生産者中心」の極端な事例とされ、ドイツやフランスといったヨーロッパ諸国がその中間に位置していると考えられている。

 

 

では生産者中心経済を打ち立てるのに、日本の国会ではどれほどの政治行動がなされたというのだろうか?(略)

日本では生産拡大政策が、国民に目に見えるような利益をもたらさなくなってからも、引き続き行われた。つまりは戦後の復興努力が相変わらず続いているということだ。(略)

 

 

国会は経済発展を無理やり推進するための制度や機構を調整しようと、何百という法律や改正法を承認した。ところがその是非が議論されたことは一度としてなかったのである。(略)

 

 

 

この意味では池田勇人首相は所得倍増計画に寄って、高度経済成長政策に反対する意見を押さえ込むのに重要な役割を果たしたと言える。

しかし特に自民党が結成された一九五五年以降、政治家たちはおしなべてみずからの責任を放棄し、国の目標と、それを達成するためにどうするか、といった問題について真剣に考えようとしなくなったのだった。(略)

 

 

 

一九三〇年代にはそれぞればらばらに天皇の意思を実行してきた省庁の間で、以前から続いて来た対立ももちろん続いた。しかし経済的な使命に対して、これら官僚グループが異議を唱えることはなかった。それ以外の選択肢が考えられなくなるような状況が生まれていたのだ。(略)

 

 

経済大国になるという使命は一度として検証されたことがなかったために、日本人の大半はそれを空気と同じくらい自然なこと長い間受け止めて来た。(略)

だが使命は空気と同じではない。(略)

 

 犠牲に甘んじる日本人の謎

 

(略)

 

いずれにせよ、だれかがこんな目標など投げ出したいと考えるかどうかにかかわらず、日本はいずれこれを放棄しなければならなくなるだろう。国際社会が変化したことで、日本は調整を強いられている。しかしそれには痛みをともなう。

 

 

さまざまな国のふるまいは、つねに世界に日本政府の手に余るような問題を生じさせてきた。そして海の向こうで歴史が動く時、それは日本を巻き込まずにはいないだろう。

 

 

一九世紀の半ば、時代遅れとなって孤立した軍事独裁体制が、使命を遂行する政治的な意思も活力も失ったときがそうだった。いまの日本の独善的な官僚は、徳川政権末期の役人と比べれば温厚だろうが、非現実的という点では当時と大差がない、と私はときどき思う。(略)

 

 

すでに述べたように、日本は産業面で部分的に、従来のやり方を変えざるを得なくなってきている。もしこれ以上の変化が起きるとしたら、願わくばこの国の政治が、もっとましなやり方で国民をみちびき、予期せぬ事態や社会的なダメージを最小限にとどめるようであってほしい。(略)

 

 

戦後の日本の社会経済システム、政治化された社会、そして生産マシーンはどのように誕生したのだろうか?なぜ人生を価値あるものにしてくれるはずの多くのものを犠牲にしてまで、日本人はそんな生き方をいまなお変えようとしないのだろうか?(略)

 

 

だが我々は市民であるからには、自分の行動について、そしてなぜ自分の人生や仕事の方向性を他人まかせにするのかについて、疑問を持たないわけにはいかない。我々は自らの社会を、自分たちにとって最善のものへと再建するため、こうした疑問に答えを見つけ出す必要がある。(略)

 

 

しかし大半の人々は相変わらず、日本はこれまでのようなやり方をそのまま続けていくと、当然のように考えているようだった。当時、あるスキーのインストラクターが日本人スキーヤーのレベルについて私に、「彼らは技術面ではうまくなったが、止まり方を知らない点はいただけないな」と言ったのを覚えているが、日本の状況もそれと同じだった。(略)

 

 

我々は国々を人間になぞらえて表現することがよくある。たとえば「日本はなによりも平和を望んでいる」とか「日本は国際社会でもっと責任ある役割を果たすべく決断しなければならない」といったものだ。(略)

 

 

 

しかし我々は個人のふるまいと、国の行動を分けて考える必要がある。なぜならば国を個人になぞらえていては、結論を誤ってしまうことがあるからだ。(略)

 

 

すでに述べたように、日本の政治エリートたちは、これまで日本の人々になにかを相談する習慣を持たなかった。各省庁に設置されている審議会も偽りの現実の一部である。

 

 

 

そのため「日本はこれこれを望んでいる」とだれかが言うと、私はいつも「どういう意味なのか」とたずねることにしている。戦後、国が無限の産業発展という政策を採用するにあたって、日本の人々がそれについての相談を受けたことは一度もなかった。

 

 

しかしこの非公式ながら、きわめて重要な国家政策を、管理者たちが完全に国民の意見を無視して推進してきたわけではなかった。彼らはかなり信頼されてきた。そして恐らくは、これについて深く考えたであろう人々の多くも、この経済戦略を妥当だと認めていたのであった。」

 

〇なぜ「犠牲に甘んじているのか」について、自分自身のことを

振り返ってみました。私も日本人ですので。

 

先日、日本の政治家が北欧の少女の発言に対し、「未熟な者の言葉に振り回されてはいけない」と言ったととり上げましたが、未熟な者、よく分かっていない者は、みだりに発言するべからず、という感覚が、私自身の中にもあるような気がします。

 

様々な問題があっても、大昔の極貧の日本人よりは、マシな暮らしをしているような気がします。そうなると、よくわからないままに、あれこれ不平ばかり言ってもしょうがないのかなぁ、と思って、自分を納得させていました。

 

例えば、アベノミクスの評価に関しても、一方には評価するという見方があり、一方には、あれは「どアホノミクスだ」という身方があります。

多分浜さんの言うことの方が、道理にかなっている、とは

思っていても、結局、私の頭では、本当の所は何もわかりません。

どうなんだろう…とただ不安に思いながら、誰かしっかりしている人が、発言し、行動し、なんとかしてくれますように…と

願うしか出来ないのです。

 

ただ、あの原発事故の時は、保安院をはじめとする官僚や役人たちのいい加減さが、はっきりと目の前に繰り広げられたので、もう黙っていてはいけない、と思ったのです。