読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「実体なき経済の魔力

 

経済のことなどほとんど関心のない人であっても、製品をつくり、穀物を生産してそれらを売る活動と、金や株式を売買し、あるいはゴルフクラブの会員権に投資するといった活動との間に違いがあることは知っている。これらはふたつの別個の経済のように見えるし、その違いははっきりしている。(略)

 

 

だが後者の経済では、我々は自分たちが取引する物に触れることができない。こうしたものには、ある瞬間にはとてつもない価値があるかもしれないが、次の瞬間にはほとんど無に等しくなることもある。(略)

 

 

こうして人々は実体のない「ペーパー経済」と「実体経済」とを区別するようになった。(略)

 

 

日本の不動産の名目上の価格が膨れ上がるにつれて株価も上昇し、それが公式の地価を押し上げたために、読者も知ってのように生産能力のさらなる向上拡大が可能になったのだった。こうして互いに密接に結びつく日本企業は、コストを削減するため、そして新しい製品をつくるため、大規模な設備投資をする手段が与えられたのだった。

 

 

不足と価値について

 

仮に二〇〇〇年のある時点で、経済史の専門家が二〇世紀の経済システムの大きな変化を振り返り、日本の管理者たちが手掛けた新しい手法のなかで、もっとも重要な意味があったのはなんだったかを自問したとすれば、ほぼ無の状態から資本を生み出したこと、というのがその答えとなるはずだ。

 

 

 

新手法を手掛けた彼らの中心をなすエリート集団は、かつて古くて質素な東京中心部のビル、つまり大蔵省で日々を過ごしていた。私が見る所、ほとんどが東京大学法学部卒業で、金持ちの娘と結婚し、連日遅くまで働く彼らは、現実を作り出す手腕にかけては世界でも選りすぐりの人々であろう。

 

 

この「現実」という問題について、ここで言っておきたいことがある。すでに述べたように、政治化された日本社会を維持してきたのは偽りの現実である。つまりウソや幻想によって日本社会が保たれているということだ。

 

 

もうひとつこれとは別に、架空の現実ではあっても、しっかりした現実となり得るものがある。それは、誰もが通常の現実はこういうものだ、という想像にしたがって行動するようになるからだ。

 

 

これが一番よく当てはまるのは経済活動である。人々が信じるからこそ、それは経済の現実となるのである。つまり経済的な現実は心理的な要因に大きく左右される、ということだ。(略)

 

経済学というのは価値について考える学問である。(略)

初期の経済理論のなかで一番よく知られているのが労働価値説である。物質面で生活を豊かにするものは、すべて人々の労働から生み出されるという考え方である。

 

 

それに関連するのが、不足という概念である。(略)物が不足していなければ、経済学という学問も存在しないわけである。(略)

 

 

諸国政府も財政や国の経済全般ができるだけ豊かであってほしいと望むものだ。しかしどんな階層の人間であろうと、その経済生活にも限界はある。(略)

 

この限界を打破できればどんなにいいことだろうかと思うが、個人でそれを打ち破るのは不可能だ。そして多くの人々は仕事を続けざるを得ず、エネルギーをすべて会社に吸い取られてしまうのだから、そんなことはすっかりあきらめるより他ない。しかし経済の限界を克服するという、終わりなき難問に取り組む政府は、つねに足りないものを減らし、価値を生み出そうとする。

 

 

そして日本の官僚よりもこの問題にうまく対処できた政府を私は知らない。一見すると、日本の官僚は世界中の政府やエコノミストたちがつねづね不可能だと考えて来たことを達成したかに思える。完全なる無に見えるものから価値を創造することにかけて、彼らほどすぐれた手腕を発揮した者はいない。

 

 

 

日本の偉大なる経済的成功を可能にした要因は、ただひとつというわけではない。そこには無数の要素がかかわっていた。既に述べた組織的な要因、満州で推進した強引な産業開発から得た多くの教訓、傑出した官僚たちの能力と献身ぶり、そしてとりわけ厖大な数の日本人労働者がひたむきに職務にいそしんだことなどだ。

 

 

 

しかしこうしたプラスの要因があるにせよ、コストが非常に安い資本を経済にふんだんに投入するという驚くべき手法を用いなかったら、無理を重ねて産業システムを発展させ、世界市場の多くを支配するにいたる力を発揮できたかどうかは疑わしい。

 

 

しかもその間、銀行が預金を企業にせっせとまわすことで、つねに家計部門から産業部門へと富は移転していた。その一方では、消費者金融制度が未発展なままに取り残されていたのだ。

 

 

しかし大がかりな低コストの資金調達は二度にわたって、しかも長期間、行われた。それは海外の目には、強力な魔術でも使ったかのように映ったのだった。」