読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「資本を安く生み出す

 

非常にコストの安い資金調達を大々的に行なった第二の時期が、「バブル経済」であった。これは本書の第二部の核心に触れる問題である。このことをもっとよく理解するには、「オーバーローン[銀行の貸し出しを含む全運用資金が自己資本の合計額を大きく上回り、その差額を中央銀行の貸し出しによって穴埋めしている状態]」として知られる第一期がどうであったか、という視点になって検討する必要があるだろう。

 

 

 

一九五〇年代と六〇年代に、戦後の産業グループのかなめとなった系列銀行がそれを行ったのは、十分な理由があってのことだった。彼らは単なる銀行以上の、「資金ポンプ」と呼べるような役割を果たしていた。

 

 

「奇跡の経済」の初期の段階では資金が非常に不足しており、その乏しくも貴重な資本を手に入れられる企業だけが、日本の重工業や消費者向け輸出産業の主力へと育っていった。そうした企業はもっぱら今日の系列組織へと、やがて進化することになるグループに所属していた。

 

 

戦時経済の運営にかかわったことのある人々は、一九五七年頃、すばらしく効率のいい金融システムを計画した。このシステムでは市中銀行は同じグループのメンバーに対しては、先進国の銀行の規準からすれば、通常よりずっと多くの融資をすることができた。

 

 

普通、銀行は相手に確かな資産がなければ融資はしない。資産の裏付けを要求しないような金融システムは信用できず、そのような経済は絶えず危機的な状況に陥りかねないだろう。中央銀行は融資の裏付けとなる市中銀行の財政状況を確認しなければならないため、彼らに準備預金を要求する。

 

 

日本の中央銀行市中銀行に対して非常に寛大な態度で臨んだことは、奇蹟の経済成長を二〇年にわたって促し続けたこの国の金融システムのなかでは、決定的に重要な意味を持っていた。(略)

 

 

 

財閥の持ち株会社(当時、民間企業の利益に寄与していた)がなくなると、それにとって代わった銀行はネットワークを築き、実質的に無尽蔵に資金をていきょうしながら、政府官僚やビジネス官僚を支える一方、中央銀行は彼ら銀行が生き残れるようとりはからった。

 

 

 

この「オーバーローン・システム」のはじまりは、明治時代に工業化を急速に進めた頃にさかのぼる。(略)

 

 

戦争中、健康な日本男性は兵士になるしかなく、ほかのすべての日本人が「天皇への敬愛」から当局に従わされていた時でも、そうした風潮に反発する企業が民間部門には残っていた事実を忘れてはならないだろう。(略)

 

戦前の日本では、世間は利潤を求める実業家たちを見下していた。金儲けはつねに愛国精神に反するものとされていた。すべての国民は天皇の、そして国の栄誉あめに尽力すべきときに、利潤を追求することは流れに逆らうも同然だった。(略)

 

 

しかし太平洋戦争が終結するまで、日本の戦争能力を最大化しようとする役人の意向に無条件でしたがおうとはせず、力強く独立性を保った民間部門はあったのである。(略)

 

戦後の「オーバーローン」のモデルとなったやり方が整ったのは一九四三年末のことだった。当時、軍部は当初の予想を上回る莫大な物資を消費していた。そしてすでに述べたように、民間企業は当局の意向に反してあまり協力的ではなかった。

 

 

 

そこで特別な措置が必要となり、「軍需融資指定金融機関制度」が儲けられた。これによって実質的に日本のあらゆる金融機関は有無を言わせず資金面で協力させられることになった。(略)

 

 

いまやオーバーローンは過去のものとなったが、後の手法もこれと同じ考え方を受け継いだ。つまり物価を十分にコントロールし、消費者経済を混乱させるようなインフレを予防できるのであれば、どんどん金を刷るだけで問題は解決できるというものである。

 

 

 

バブルの英雄たち

 

「オーバーローン」に続く「バブル経済」が登場すると、不動産の価値を二倍、三倍、四倍に膨らませることで、コストのかからない資金が生み出せるようになった。(略)

 

ただし誤解しないでほしいのだが、これは不動産ディーラーたちが会議室で考えて起きたことではなかった。大蔵省が暗に銀行に融資を増やすように勧めたことから始まったのである。(略)

 

 

欧米のエコノミストやビジネスマンたちはなおも、日本の金融当局が本当にそれをやった(つまり市場とは関係なく地価や株価を吊り上げた)とは信じられずにいる。というのも彼らには非公式な権力関係こそが日本の政治システムを支えている事実が理解できないからだ。

 

 

もし純粋な市場経済のなかで、「バブル経済」時のような金を生み出すやり方を実行したのなら、惨憺たる結果が生じることだろう。資産価値の高騰は一般経済お波及しかねなかった。だが円高がそれを防いだ。

 

 

さらにもうひとつ重要だったのは、日本の金融当局や金融業者、また産業界の有力者たちは、非公式ではあるが経済プロセスを強力に支配しているので、資産価値の高騰が消費経済に影響を及ぼさないよう、防ぐことができると気づいていた点だ。きわめて複雑な日本人の個人的なつながりや、企業間の非公式な結びつきれば、物価をコントロールし、経済に有害なインフレを避けるには十分だった。

 

 

つまりこのように舞台裏では、経済的な現実を生み出す「バブル経済」の英雄たちがきわめて効率よく管理していたのであった。

 

 

ヨーロッパ諸国やアメリカの金融当局なら、霞が関の当局者たちがやったようなことは、決してできなかっただろう。欧米諸国にはなにが経済の現実であるかについて独自の意見を持つグループがあまりにも多すぎる。また彼らには経済破綻を防ぐために株価を人為的に高く維持するなどということは決してできなかっただろう。

 

 

金融専門のうるさいジャナリストたちの質問に答えなければならず、さらには自分たちが何をしているかを首相なり大統領なりに対して説明しなければならない。(略)言い換えれば、彼らには説明責任があるということだ。

 

 

 

日本の財務官僚たちはそんなことに頓着する必要はない。彼らは非公式な権限をふるって、日本の大きなビジネス上の取引に干渉できる。しかもどの企業が融資を受け、どこが受けられないかを最終的に決めるのも彼らである。

 

 

また彼らは利率を決定し、資産価格をコントロールする。恐らくそれ以上に重要な意味があるのは、経済的な現実を生み出す際の、メディアとのすばらしい関係だろう。

 

 

日本では財務省に付随する記者クラブに所属していなければ、新聞で定期的に金融ニュースを伝えることはできない。(略)

財務官僚は公式見解に沿った記事を書いてくれるのであれば、すぐれたアナリストと目をつけた人間や、影響力が高いと見た者には、「内部」情報を与えてやる。

 

 

そのため日本経済新聞は「バブル経済」を生み出した高級官僚の見解をさかんに宣伝する役割を果たすようになった。日本の経済評論家や大学の経済学教授のほとんどは、同紙というアンプにつないだスピーカーのようなものである。

 

 

彼らのほとんどは恐らくそれ以上のことを知らないのだろう。なかには偽りの現実であるとよくわかっている人間もいるのだろうが、もし私がいま論じているような分析を披露すれば、名のある機関で仕事を続けられなくなってしまうだろう。

 

 

日本の金融官僚たちがこのようにしっかりと政治権力を握っていられる理由のひとつは、単に彼らがだれよりも詳しく情報に通じているからにすぎない。(略)

たとえば彼らはどの大手銀行が実質的に破綻しているか、独立の公認会計士が監査すれば、不健全であるとしてとっくに倒産していたに違いない企業がどこかを知っている。

 

 

 

彼らのおかげで、平成ブームという世界市場からしても最大規模の設備投資が可能になった。しかしそのために日本の市民は大変なつけを支払わされた。(略)

日本の大手企業が投資するのに必要な金の最終的な供給源となったのは、日本の一般の人々の預金だった。それが保険会社や信託銀行を通じて株式市場に流れた。日本企業はいまもこのときの投資で購入した資産を保有している。

 

 

 

しかし官僚たちが膨らんだ風船から空気を抜くことにし、市場が「崩壊」した後、何兆円もの金が日本の家計や金融機関から失われてしまった。家計部門から産業部門への富の移転は一九八〇年代の後半から着実に加速していった。(略)

 

 

いまこの文庫版に加筆・修正している時点で、いまだに日本のバブルと欧米のそれは比較されているわけだが、その分析の殆どは正確ではない。既に述べたように日本とアメリカのバブルの目的は違っていたし、その始まり方も異なっていた。

 

 

どのように違っていたかをもっと明らかにするには、もう少し説明が必要だろう。それにはまずいわゆる経済の金融化という重要な展開に目を向けなければならない。つまりは政治経済のなかでもっとも重要な活動が製造やサービスの生産ではなく、資金運用にシフトしたことである。

 

 

 

それは一九九〇年代になって極端に加速したために、経済の現実を理解しようとしてきた人々の大半が、その展開についていけなくなったほどだった。

アメリカはその先駆けであった。ヘッジ・ファンドやそのほかの非銀行系金融機関や、従来の銀行が、そのはじまりの段階では日本では財テクと呼ばれたこの手法を取り入れるようになっていった。(略)

 

 

金やその代替物の取引は、二〇世紀の終わりにかけて、いまだかつてないほど極端なまでに過熱していった。それが可能になったのはパソコンの性能が向上して超高速演算が可能になったからだが、経済は社会にどのように貢献すべきか、という政治の基本的な問題が忘れ去られてしまったことが災いしていた。

 

 

これはきわめて重大な点である。(略)

金融機関が金からさらに金を生み出すために、前代未聞の途方もないやり方に手を染める一方では、製造業やサービス業といった「実体経済」は停滞していった。すると人々の給料や賃金も横ばいになった。(略)

 

 

アメリカではバブルに次ぐバブルを生むことで、こうした流れのすべてを循環させなければならなかったのだ。(略)

 

 

こうして金融システムはとてつもなく拡大し、しかも脆弱となっていった。そして銀行はどこもクズ同然の莫大な金融商品を抱え込むようになっていた。ところがそれまで疑わしい資産に金を賭けていた銀行が、同じように詐欺同然の手口を駆使する同業者への疑心暗鬼から、互いに融通し合うのを止めると、金融システムの崩壊がはじまった。

 

 

ここでも忘れてならないのは、これに関わった銀行家や投機を行っていた者たちが、信じがたいほどの金持ちとなり、途方もない報酬を自分でも得、互いにも与え合っている一方では、生産という経済活動は止み、後退し続けていることである。このように日本の「バブル経済」がたどった道とはまったく違うのである。」

 

 

〇ここを読むと、今の政府が市場や株価をコントロールして、見せかけの好景気を演出している手口は、もうずいぶん前からの官僚のやり口だったのだということが、よくわかります。

 

筋の通らないやり方に黙って「従う」政治家でなければ、このようなやり方は、

出来ないわけで、自民党の政治家が何故あれほどに、「低レベル」なのかも、

納得できるような気がしました。

 

それにしても、せめて、犯罪は、取り締まらなければ、社会の根幹が、崩れてしまいます。