読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「「調和」から抜け出せない日本人

 

大勢の人々が体制を変えたがっているのに、それがほとんどなんの変化もなく続いているのはなぜかという疑問に対する答えはいくつかある。その中でも重要な意味を持つのは、政党が国民の不満を政策に反映させるという役目を果たしていないことだろう。

 

 

もうひとつは、日本では公的領域が発達しなかったことだ。

公的領域とは市民たちが互いに意見を述べ合えるような場所、人々に共通の懸念を表現し、それを伝える場所である。新聞の論説もそのひとつだ。これは政治システムの一部ではあっても、政府とは関係がない。

 

 

公的領域の欠如をある程度、埋め合わせようと、日本の人々は抗議デモや抗議集会を通じて存在感を示し、自分たちという政治勢力を表現してきた。こうした行動には多大な時間とエネルギーを要するばかりでなく、絶えず失望を味わわされることにもなる。(略)

 

 

ここで読者が一歩退いて、遠くから日本の政治システムを眺めてみるとき、日本社会にはいつの時代にも、どんな形であれ政治にかかわるのはよくないという根強い見方があったことがわかるだろう。(略)

 

 

既存の社会体制を改善しようのないものに見せかけるのは、古今東西を問わず、支配者たちの常套手段だった。しかしこの点で徳川幕府は圧倒的に有利だった。なぜなら、もっと暮らし向きをよくすることができるはずだと、それに反論する外国人が周囲にひとりもいなかったからだ。日本人自身も国外に出ることを禁じられていた。国外に出ようとして捕えられれば死罪になった。

 

 

しかしこの江戸時代にも徳川家の将軍やその侍たちが生み出したのは最高の社会であるなどと、考えようとしない思想家たちがいたことを我々は知っている。その一人が安藤昌益である。(略)

 

 

みずからの権力維持をはかろうと、明治の当局者たちが講じたやり方は、目的の達成に効果的だったばかりでなく、現在まで続く日本の政治をほぼ決定づけた。彼らは完璧な秩序を一層明確に打ち出したのだ。そのために「調和」と「たぐいまれさ」という考えにもとづく、巧みなイデオロギーを生み出した。

 

 

 

これは徳川という権力構造の正当化のために書かれた、体制側の著作者の作品を下敷きとしてはいたが、その大半は明治時代の政治家たちの創意工夫が生み出したものだった。

 

 

すなわち「国体」「天皇を中心とした秩序」として知られるに至るイデオロギーである。(略)

 

 

一九四五年以降、日本はたてまえのうえでは国体思想を捨てたことになっている。アメリカの占領当局はそのようにとりはからった。しかし日本を独自の存在見なす傾向や、均質な社会といった、国体思想にまつわる多くの考え方は国民すべての脳裡に確固と刻まれたまま、受け継がれていった。そしてそのことを疑いもしない教師たちによって子どもたちに伝えられていった。(略)

 

 

そうした考え方のひとつに、日本人はいちいち言葉にしなくても相手の言わんとすることがわかる、というものがある。それを一番顕著に表現するのが「腹芸」だ。日本人に固有とされるこの能力は、ほとんどテレパシーに近いのではないか、と思えるほどだ。日本人にはすぐれた知的能力があると信じるからこそ、日本人同士なら相手の感情や考えが察知できる、などと言えるのだろう。(略)

 

 

ところが予期せぬ事態に直面した場合、他者を理解しようと大いに苦労する点では日本人も他諸国の人々と何ら変わりはない。(略)

 

 

しかしヨーロッパといった国々と比較して見ると、日本人同士が特に似通っているとは思えない。そう主張したのでは、朝鮮やアイヌ民族被差別部落の人々、帰化した日本人、そして日本人との国際結婚で生まれた子どもたちなど、日本に

少数グループの存在を無視することになる。

 

 

それに北海道出身の人と、東京出身の人、あるいは私が良く知る茨城県北部の村の人々と、たとえば大阪の人を比べた時に、彼らの間によく似ていると感じさせるようなものは見当たらない。(略)

 

 

それから日本人は生まれつきみな自分たちが所属する集団の命令に喜んで従おうとする、という主張がある。しかし私はそう思ったことは一瞬たりともない。日本人も人間である。ほかのあらゆる人々がそうであるように、日本人も集団に加わることを嬉しいと感じることもあれば、運が悪いと思うこともあるだろう。(略)

 

 

 

日本の集団、いわゆる集団の倫理や集団生活は、個々の日本人に人為的で不快な力を加え、彼らを束縛する。その心理的影響は日本であろうとヨーロッパ、あるいはどこであろうと変わらない。

 

 

私は八つの異なる社会で暮らしたことがある。そして長年日本に暮らした私は、日本人の方がこれに関して他国の人々に比べてましだなどと言えないことを知っている。

 

 

事実、日本社会の一番大きな問題のひとつは、見知らぬ人々同士が互いに本当の意味で信頼し合えないことだ。このことは特に政治エリートに当てはまる。お互いに信頼できないのであれば、真の意味の社会の調和が生まれるはずはない。(略)

 

 

 

徳川幕府の当局者は戦闘やだれの目にもそれとわかる深刻な紛争を最小限にとどめるにはどうしたらいいかが、よくわかっていた。だれかが対立すれば、即座に両当事者に非があるとされたのである。

 

 

このようなあつかいをした徳川政権下の日本社会が平和だったと見なされるのは当然だろう。しかしそのような見方は適切ではない。なぜなら当局に対する反乱は何度も起きていたからだ。

 

 

もし普通の状態にあれば、人々はそんな簡単に互いに争い合ったりはしないものだ。なぜなら徳川政権下では苦痛を受けた側も罰せられることになっていたからだ。こうした制度があったからこそ、弱い人々は強者にすぐに屈するようになったのである。」