読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

新渡戸稲造著 「武士道」を読みました。

矢内原忠雄訳の岩波文庫です。

 

サブタイトルとして、日本の魂 ―日本思想の解明― とあります。

 

「過去を敬うことならびに

武士の徳行を慕うことを

私に教えたる

我が愛する叔父

太田時敏に

この小著を

ささぐ」

 

となっていて、第一版序の最後に、

一八九九年一二月 ペンシルヴァニア州マルヴェルにて と書かれています。

 

一番印象的だったのは、武士道を桜の花になぞらえている所です。

とても受け入れやすく、武士道という言葉のイメージが一二割増し、

アップするようななぞらえ方だと思います。

 

読みながら、新渡戸が日本の魂や思想の良い面をなんとか

適切に表現しようと、言葉を尽して努力している様子が

こちらに切に伝わってきて、そのことに感動しました。

 

もともとは英語で書かれていたものを、桜井鷗村という人が訳し、

その訳は、漢文調だったそうです。矢内原忠雄氏がそれをさらにわか

りやすく訳して、この本になっているのですが、

文章が本当に簡潔できれいなのに、びっくりしてしまいます。

これは、新渡戸稲造の素晴らしさなのか、矢内原忠雄しの素晴らしさなのか、

それとも、漢文調の文章の素晴らしさなのか…

 

などと思いながら、わからない部分も多々ありながら、感心しながら読みました。

 

印象に残った所を、メモしていきます。

 

「第一章  道徳体系としての武士道

 

武士道(シヴァリー)はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代の徳が乾からびた標本となって、我が国の歴史の柵用集中に保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。

 

 

それはなんら手に触れうべき形態を取らないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。それを生みかつ育てた社会状態は消え失せて既に久しい。しかし昔会って今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道(シヴァリー)の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。

 

 

ヨーロッパにおいてこれと姉妹たる騎士道が死して顧みられざりし時、ひとりバークはその棺の上にかの周知の感動すべき讃辞を発した。いま彼バークの国語(英語)をもってこの問題についての考察を述べることは、私の愉快とするところである。

 

 

 

極東に関する悲しむべき知識の欠乏は、ジョージ・ミラー博士のごとき博学の学者が、騎士道(シヴァリー)もしくはそれに類似の制度は古代諸国民もしくは現代東洋人の間には嘗て存在しなかったと、躊躇なく断言していることでも解る。(略)

 

 

その後十年以上をへて我が国の封建制度が最後の息を引き取ろうとしていたころ、カール・マルクスはその著「資本論」において、封建制の社会的政治的諸制度研究上の特殊の利便に関し、当時封建制の活きた形はただ日本においてのみ見られると述べて、読者の注意を喚起した。私も同様に西洋の歴史および倫理研究者に対し、現代日本における武士道の研究を指摘したいと思う。(略)」

 

 

 

「武士道は上述のごとく道徳原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、もしくは教えられたるものである。それは成文法ではない。精々、口伝により、もしくは数人の有名なる武士もしくは学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない。

 

 

むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多い。不言不文であるだけ、実行によっていっそう力強き効力を認められているのである。それは、いかに有能なりといえども一人の人の頭脳の創造ではなく、またいかに著名なりといえども一人の人物の生涯に基礎するものではなく、数十年数百年にわたる武士の生活の有機的発達である。

 

 

道徳史上における武士道の地位は、おそらく政治史上におけるイギリス憲法の地位と同じであろう。(略)」

 

 

「「武家」もしくは「武士」という語も普通に用いられた。彼らは特権階級であって、元来は戦闘を職業とせる粗野な素性であったに違いない。この階級は、長期にわたり絶えざる戦闘の繰り返されているうちに、最も勇敢な、最も冒険的な者の中から自然に徴募せられたのであり、しかして淘汰の過程の進行するに伴い怯懦柔弱の輩は捨てられ、エマスンの句を借用すれば、「まったく男性的で、獣

ごとき力をもつ粗野なる種族」だけが生き残り、これがサムライの家族と階級とを形成したのである。(略)

 

 

戦闘におけるフェア・プレイ!野蛮と小児らしさのこの原始的なる感覚のうちに、甚だ豊かなる道徳の萌芽が存している。これはあらゆる文武の徳の根本ではないか?

 

「小さい子をいじめず、大きな子に背をむけなかった者、という名を後に残したい」と言った、小イギリス人トム・ブラウンの子どもらしい願いを聞いて我々はほほえむ(あたかもわれわれがそんな願いをいだく年輩を通り過ぎてしまったかのように!)。けれどもこの願いこそ、その上に偉大なる規模の道徳的建築を建てうべき隅の首石であることを、誰か知らないであろうか。

 

 

最も柔和でありかつ最も平和を愛する宗教でさえこの願求を裏書きすると私が言えば、それは言い過ぎであろうか。トムの願いの基礎の上に、イギリスの偉大は大半打ち建てられたのである。しかして武士道の立つ礎石もこれより小なるものでなきことを、我々はやがて発見するであろう。

 

 

友教徒(クェイカーズ)の正しく証明するごとく、戦闘そのものは攻撃的にせよ防禦的にせよ蛮的であり不正であるとしても、我々はなおレッシングと共に言いうる、「我らは知る、欠点いかに大であるともそれから徳が起こる」と。「卑劣」といい「臆病」というは、健全にして単純なる性質の者に対する最悪の侮辱の言葉である。

 

 

少年はこの観念をもって生涯を始める。武士もまた然り。しかしながら生涯がより大となり、その関係が多方面となるや、初期の信念はおのれを是認し、満足し、発展せしむるため、より高き権威ならびにより合理的なる淵源による確認を求める。

 

 

もし戦闘の規律が行われただけであって、より高き道徳の支持を受けることがなかったとすれば、武士の理想は武士道に遥か及ばざるものに堕したであろう。

 

 

ヨーロッパにおいてはキリスト教が、その解釈上騎士道に都合の良き譲歩を認めたにかかわらず、これに霊的素材を注入した。「宗教と戦争と名誉は、完全なるキリスト教武士の三つの魂である」とラマルティーヌは言っている。日本においても武士道の淵源たるものが幾つかあったのである。」