読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

「第二章  武士道の淵源

 

まず仏教から始めよう。運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。

 

 

ある剣道の達人[柳生但馬の守]がその門弟に業の極意を教え終わった時、これに告げて言った、「これ以上のことは余の指南の及ぶところでなく、禅の教えに譲らねばならない」と。

 

 

 

「禅」とはディヤーナの日本語訳であって、それは「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」。その方法は瞑想である。しかしてその目的は、私の了解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。

 

 

かくのごとく定義してみれば、この教えは一宗派の教義(ドグマ)以上のものであって、何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。

 

 

仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。神道の教義によりて刻み込まれたる主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、ならびに親に対する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。

 

 

神道の神学には「原罪」の教義がない。かえって反対に、人の心の本来善にして神の如く清浄なることを信じ、神託の宣べらるべき至聖所としてこれを崇め貴ぶ。神社に詣ずる者は誰でも観るごとく、その礼拝の対象および道具は甚だ少なく、奥殿に掲げられたる素鏡がその備え付けの主要部分を成すのである。(略)

 

 

神道の自然崇拝は国土をば我々の奥深きたましいに親しきものたらしめ、その祖先崇拝は系図から系図へと辿って皇室をば全国民共通の遠祖となした。我々に取りて国土は、金鉱を採掘したり穀物を収穫したりする土地以上の意味を有する―― それは神々、すなわち我々の祖先の霊の神聖なる棲所である。

 

 

また我々に取りて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである。

 

 

 

ブートミー氏がイギリスの王室について「それは権威の像(イメージ)たるのみでなく、国民的統一の創造者であり象徴(シンボル)である」と言いしことが真であるとすれば(しかして私はその真なることを信ずるものであるが)、この事は日本の皇室については二倍にも三倍にも強調せらるべき事柄である。

 

 

神道の教義には、我が民族の感情生活の二つの支配的特色と呼ばるべき愛国心および忠義が含まれている。アーサー・メイ・クナップ曰く、「へブル文学においては神のことを言っているのか国のことを言っているのか、天のことかエルサレムのことか、救主(メシア)のことか国民そのもののことかこれを見分けることはしばしば困難である」と。真に然りである。

 

 

 

同様の近藤は我が民族的信仰[神道]の語彙の中にも見られる。然り、その用語の曖昧なるにより、論理的なる頭脳の人からは混同と思われるであろうが、それは国民的本能・民族的感情を入れた枠であるから、あえて体系的哲学もしくは合理的神学たるを装わないのである。

 

 

 

この宗教—或いはこの宗教によって表現せられたる民族的感情と言った方が更に正確ではあるまいか?—武士道の中に忠君愛国を十二分に吹き込んだ。これは教義としてよりも刺激として作用した。けだし神道は中世のキリスト教会と異なり、その信者に対しほとんどなんらの信仰箇条をも規定せず、かえって直截簡単なる形式の行為の規準を供給したのである。

 

 

 

厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友間における五輪の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能の認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。

 

 

政治道徳に関する彼の教訓の性質は、平静仁慈にしてかつ処世の智慧に富み、治者階級たる武士には特に善く適合した。孔子の貴族的保守的なる言は、武士たる政治家の要求に善く適応したのである。孔子に次いで孟子も、武士道の上に大なる権威を振った。(略)

 

 

孔孟の書は青少年の主要なる教科書であり、また大人の間における議論の最高権威であった。しかしながらこれら聖賢の古書を知っているだけでは、高き尊敬を払われなかった。(略)

 

 

知識そのものは道徳的感情に従属するものと考えられた。(略)

武士道はかかる種類の知識を軽んじ、知識はそれ自体を目的として求むべきではなく、叡智獲得の手段として求むべきであるとなした。それゆえに、この目的にまで到達せざる者は、注文に応じて詩歌名句を吐き出す便利な機械に過ぎざるものとみなされた。かくして知識人は人生における実践躬行と同一視せられ、しかしてこのソクラテス的教義は中国の哲学者王陽明において最大の説明者を見出した。彼は知行合一を繰り返して倦む所を知らなかったのである。(略)

 

 

西洋の読者は、王陽明の著述の中に「新約聖書」との類似点の多いことを容易に見出すであろう。特殊なる用語上の差異さえ認めれば、「まず神の国と義とを求めよ、さらばすべてこれらのものは汝らに加えらるべし」という言は、王陽明のほとんどいずれのページにも見出されうる思想である。(略)

 

 

彼はその良心無謬説をば極端なる超自然主義にまで押し進め、ただに正邪善悪の差別のみならず、心理的諸事実ならびに物理的諸現象の性質を認識する能力をさえ良心に帰している。彼は理想主義に徹入することバークレイやフィヒテに劣らず、人知の他に物象の存在するを否定するにまで至った。彼の学説は唯我論について非難せらるるすべての論理的誤謬を含むとしても、強固たる確信の力を有し、もって個性の強き性格と平静なる気質とを発達せしめたるその道徳的意義は、これを否定し得ざるところである。

 

 

 

かくのごとく、その淵源の何たるを問わず、武士道が自己に吸収同化したる本質的なる原理は少数かつ単純であった。少数かつ単純ではあったが、我が国民歴史上最も不安定なる時代におけるもっとも不安なる日々においてさえ、安固たる処世訓を供給するには十分でえあった。

 

 

 

我々の祖先たる武人の健全純朴なる性質は、古代思想の大路小路より抜き集めたる平凡かつ断片的なる教訓の穂束から彼らの精神の十分なる糧を引き出し、かつ時代の要求の刺激のもとに、これらの穂束から新しくかつ比類なき型の男性道を形成したのである。(略)

 

 

 

日本においてもイタリーにおけると同様、中世の粗野なる生活風習は、人間をば「徹頭徹尾闘争的抵抗的なる」偉大なる動物となした。しかしてこの事こそ日本民族の主要なる特性、すなわち彼らの精神ならびに気質における著しき複雑性が十六世紀において最高度に発揮せられた理由である。

 

 

 

インドにおいて、また中国においてさえ、人々の間に存する差異は主として精力もしくは知能の程度にあるに反し、日本においてはこれらのほか性格の独創性においても差異がある。さて、個性は優秀なる民族ならびに発達せる文明の徴である。ニイチェの好んだ表現を用うるならば、アジア大陸においてはその人を語るはその平原を語るのであり、日本ならびにヨーロッパにおいては特に山獄によって人を代表せしめる、と言いうるであろう」と。(略)」

 

 

ユダヤ教ユダヤ民族において分かち難くあるように、神道日本民族にとっては、分かち難いものであるという説明に、納得すると同時に、なんとも言えない、嫌な感じがしました。

 

ユダヤ教は、よくも悪くも、言葉で伝えられ、長い歴史の中で様々な批判や検証が加えられ、その言葉の解釈や理解が議論され、伝えられています。

 

それに引き換え神道は、「なんとなくのイメージ」です。それぞれの人の中に、

「わが日本民族は永遠…」というそれぞれのイメージがあって、その時々の権力者が、そのイメージをうまく利用して、民衆を誘導するための道具になっているような気がします。