読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

「第八章  名誉

 

名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。したがってかの生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権とを重んずるを知り、かつその教育を受けたる武士を、特色づけずしては措かなかった。(略)

 

 

これら三つの語はそれぞれ「聖書」において用いらるる「名(ネイム)」、ギリシャ語の面から出た「人格(パーソナリティー)」という語および「聞え(フェイム)」を連想せしめる。善き名ー 人の名声、「人自身の不死の部分、これなくんば人は禽獣である」—は、その潔白に対するいかなる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととなした。

 

 

 

廉恥心は少年の教育において養成せらるべき最初の徳の一つであった。「笑われるぞ」「体面を汚すぞ」「恥ずかしくないのか」等は、非を犯せる少年に対して正しき行動を促すための最後の訴えであった。少年の名誉心に訴えうることは、あたかも彼が母胎の中から名誉をもって養われていたかのごとく、彼の心情(ハート)の最も敏感なる点に触れたのである。(略)

 

 

カーライルが「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である」と言ったことばをば、彼に先だつ数百年にして、ほとんど同一の文句[「羞悪の心は義の端也」]をもって孟子が教えた。(略)

 

 

繊細なる名誉の掟の陥りやすき病的なる行き過ぎは、寛大および忍耐の教えによって強く相殺された。些細な刺激によって立腹するは、「短気」として嘲られた。俚諺に曰く、「ならぬ堪忍するが堪忍」と。

 

 

偉大なる家康の遺訓の中に次のごとき言葉がある、—「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず…堪忍は無事長久の基……己を責めて人を責むるな」。彼はその説きしところを自己の生涯において実証した。(略)

 

 

孟子もまた忍耐我慢を大いに推賞した。或る箇所において彼は、「汝裸体となって我を侮辱するとも、我に何かあらん、汝の乱暴によって我が魂を汚す能わず」との意味のことを書いている。(略)—まら他のところにおいて小事に怒るは君子の愧ずるところにて、大儀のための憤怒は義憤であることを教えた。

 

 

 

武士道がいかなる高さの非闘争的非抵抗的なる柔和にまで能く達しえたるかは、その信奉者の言によって知られる。例えば小河(立所)の言に曰く、「人の誣うるに逆らわず、己が信ならざるを思え」と。また熊沢(蕃山)の言に曰く「人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと慾とを棄ててこそ常に心は楽しめ」と。

 

 

 

今一つの例を、彼の高き額の上には「恥も坐するを恥ずる」西郷(南洲)から引用しよう。曰く「道は天地自然のものにして、人はこれを行なうものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する心をもって人を愛するなり。

 

 

 

人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と。これらの言は吾人をしてキリスト教の教訓を想起せしめ、しかして実戦道徳においては自然宗教もいかに深く啓示宗教に接近しうるかを吾人に示すものである。以上の言はただに言葉に述べられたるに止まらず、現実の行為に具体化せられた。

 

 

寛大、忍耐、仁恕のかかる崇高なる高さにまで到達したる者の甚だ少数ったことは、これを認めなかればならぬ。何が名誉を構成するかについて、何ら明瞭かつ一般的なる教えの述べられなかったことは頗る遺憾であり、ただ少数の知徳秀でたるに人々だけが、名誉は「境遇より生ずるのでなく」、各人が善くその分を尽すにあることを知った。(略)

 

 

 

富にあらず、知識にあらず、名誉こそ青年の追い求めし目標であった。多くの少年は父の家の敷居を超える時、世にいでて名を成すにあらざれば再びこれを跨がじと心に誓った。しかして多くの功名心ある母は、彼らの子が錦を衣て故郷に還るにあらざれば再びこれを見るを拒んだ。

 

 

 

恥を免れもしくは名を得るためには、武士の少年はいかなる欠乏をも辞せず、身体的もしくは精神的苦痛の最も厳酷なる試練にも堪えた。少年の時に得たる名誉は齢とともに成長することを、彼らは知っていた。(略)

 

 

もし名誉と名声が得られるならば、生命そのものさえも廉価と考えられた。それ故に生命よりも高価であると考えられることが起れば、極度の平静と迅速とをもって生命をすてたのである。

いかなる生命をこれがため犠牲にするとも高価なるに過ぎずとせられし事由の中に、忠義があった。これは封建の諸道徳を結んで一の均整美あるアーチとなしたる要石(キーストーン)であった。」

 

 

〇 この名誉と忠義を重んじる心が、あの昭和の企業戦士の中にあったから、彼らは家庭も命も顧みず、仕事に突き進んでいった…と思いながら読みました。