読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

「第十三章  刀・武士の魂

 

武士道は刀をその力と勇気の表徴となした。マホメットが「剣は天国と地獄との鍵である」と宣言した時、彼は日本人の感情を反響したに過ぎない。武士の少年は幼年の時からこれを弄んでいた玩具の小刀の代りに真物の刀を腰に挿すことにより始めて武士の資格を認められるのは、彼にとりて重要なる機会であった。

 

 

 

この部門に入る最初の儀式終わりて後、彼はもはや彼の身分を示すこの徴を帯びずしては父の門をいでなかった。(略)

 

 

史学の祖[ヘロドトス]はスキュタイ人が鉄の偃月刀に犠牲を献げたことを一の奇聞として録しているが、日本では多くの神社ならびに多くの家庭において、刀をば礼拝の対象として蔵している。もっともありふれた担当に対しても、適当の尊敬を払うを要した。刀に対する侮辱は持ち主に対する侮辱と同視せられた。床に置ける刀を不注意に跨ぎし者は禍いなるかな!(略)

 

 

刀鍛冶は単なる工人ではなくして霊感を受けたる芸術家であり、彼の職場は至聖所であった。毎日彼は斎戒沐浴をもって工を始めた。もしくはいわゆる「彼はその心魂気魄を打って錬鉄鍛冶した」のである。(略)

 

 

しかしながら我々のもっとも関心する問題はこれである、 ― 武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて曰く、断じてしからず!武士道は刀の正当なる使用を大いに重んじたるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。場合を心得ずして刀を揮った者は、卑怯者であり法螺吹きであった。重厚なる人は剣を用うべき正しき時を知り、しかしてかかる時はただ稀にのみ来る。

 

 

勝海舟伯は我が国歴史上最も物上騒然たりし時期の一つをくぐってきた人であり、当時は暗殺、自殺その他血腥き事が毎日のように行われていた。彼は一時ほとんど独裁的なる権力を委ねられていたため、たびたび暗殺の目的とせられたが、決して自己の刀に血ぬることをしなかった。

 

 

彼はその特癖はる平民的口調をもって追憶の若干を一人の友人に物語っているが、その中にこう言っている。「私は人を殺すのが大嫌いで、一人でも殺したことはないよ。みんな逃がして、殺すべきものでも、マアマアと言って放って置いた。

 

 

それは河上玄哉が教えてくれた、「あなたは、そういう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜でも茄子でも、あなたは取ってお上んなさるだろう。あいつらはそんなものです」と言った。それはヒドイ奴だったよ。

 

 

 

しかし河上は殺されたよ。私が殺されなかったのは、無辜を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。

 

 

ナニ呑みや虱だと思えばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはしないよ」[海舟座談]。(略)

 

 

 

この高き理想が専ら僧侶および道徳家の講釈に委ねられ、武士は武芸の練習および賞賛を旨としたのは、大いに惜しむべきことであった。これにより彼らは女性の理想をさえ勇婦的性格をもって色づくるに至った。この好機会において、吾人は婦人の教育および地位の問題につき数節を割くであろう。」

 

 

〇 と、次の「第十四章」に続くのですが、刀については、山本七平氏が、何度も取り上げているので、もう一度その個所を振り返りたいと思います。

 

山本七平著「私の中の日本軍 日本刀神話の実態」

 

「これでみると、日本刀の欠陥は、私のもっていた軍刀が例外だったのでなく、全日本刀に共通する限界もしくは欠陥であったと思われる。そこで、この三人の方のお手紙の一部をまず台湾人S氏(文芸春秋編集部あて)のから掲載させて頂こう。氏は次のように記されている。


<例の「百人斬り」の話についてですが、私は議論の当初から、あれは物理的に不可能だと思っていました。(略)


戦前の出版で「戦ふ日本刀」という本をかつて読んだことがあります。これは一人の刀鍛冶の従軍気で、前線で日本刀を修理して歩いた記録です。この中で、日本刀というものがいかに脆いものであるか、という強い印象を得たことを覚えております。


一人斬るとすぐに刃がこぼれ、折れ曲がったり、柄が外れたりするものらしいです。同封の切り抜きは去年の九月二十八日付朝日新聞のものですが、この中にも「日本刀で本当に斬れるのはいいとこ三人」という殺陣師の談話があります。」