読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

「戦争についての真実

 

知識=経験×感性 という公式は、大衆文化だけではなく、戦争のような重大な問題についての私たちの認識さえも変えた。歴史の大半を通じて、ある戦争が公正かどうかを知りたい時には、人々は神にたずね、聖典に尋ね、王や貴族や聖職者に尋ねた。

 

 

一兵卒や一般市民の意見や経験を気にする人などほとんどいなかった。

ホメロスウェルギリウスシェイクスピアのもののような戦争の物語は、皇帝や将軍や傑出した英雄の行動に的を絞り、戦争の悲惨さを隠しはしないものの、それを埋め合わせて余りあるほど栄光や武勇をたっぷり描いていている。(略)

 

 

王は軍神さながら、戦場の上に威容を見せる。まるで、チェスのプレイヤーがポーンを動かすように、戦いを支配しているかのようではないか。ポーンたちは個性などほとんど感じさせず、背景の中の小さな点にすぎない者たちもいる。

 

 

ヴァルターは彼らが突撃したり、逃げたり、殺したり、死んだりするときにどう感じていたかには興味がない。彼らは顔を持たない集団だ。(略)

 

 

 

とはいえ、こうした光景は、それが全体像の中に占める位置から意味を与えられている。砲弾が兵士の身体を木っ端微塵にしているのを目にした私たちは、それをカトリック側の大勝利の一部として解釈する。もしその兵士がプロテスタント側で戦っているのなら、彼の死は反逆と異端に対する報いに過ぎない。

 

 

 

もし彼がカトリック側の軍で戦っているのなら、その死は尊い大儀のための気高い自己犠牲の行為となる。視線を上げると戦場のはるか上空に天使たちが浮かんでいる姿が目に入る。天使たちが手にした白い横断幕には、この戦いで何が起こったか、そしてそれがなぜ重要なのかがラテン語で説明されている。

 

 

 

それは、神の助けで皇帝フェルディナント二世が一六二〇年一一月八日に手k辞を打ち負かしたという内容だ。

何千年にもわたって、人々は戦争を眺める時には、神や皇帝、将軍、偉大な英雄を目にした。だが過去二世紀の間に、王や将軍はしだいに脇へ押しやられ、スポットライトは一兵卒やその経験に向けられるようになった。(略)

 

 

戦争は輝かしく、その大義は公正で、将軍は天才だと彼は信じている。

ところが、本物の戦争 ― 泥と、血と、死臭 ― を数週間経験するうちで、そうした幻想は次々に打ち砕かれる。

 

 

かつてのうぶな新兵は、もし生き延びればずっと賢くなって戦場を後にするだろう。教師や映画製作者や雄弁な政治家が謳う決まり文句や理想を、もう鵜呑みにしない人間になって。

っこのような物語はあまりに大きな影響力を持つようになったために、今日では教師や映画製作者や雄弁な政治家までもが繰り返し語るのだから、皮肉なものだ。(略)

 

 

 

画家たちも、馬にまたがった将軍や戦場への関心を失った。そしてその代わりに、一兵卒の心情を描こうと懸命に努力する。画家たちも、馬にあがった小b軍や戦術への関心を失った。そしてその代わりに一兵卒の心情を描こうと懸命に努力する。」