読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(第7章 人間至上主義革命)

「ディックスは第一次世界大戦のとき、ドイツ軍の軍曹として軍務に就いた。リーは「ライフ」誌のために、一九四四年のペリリュー島の戦いを取材した。ヴァルターとネイエルスが戦争を軍事的・政治的現象として捉え、特定の戦いで起こったことを私たちに知ってほしかったのに対して、ディックスとリーは戦争を情動的現象として捉え、それがどう感じられるかを知ってほしかった。ディックスとリーは、将軍たちの天賦の才や個々の戦いの戦術的詳細には関心がなかった。ディックスが描いた兵士は、ヴェルダン、イープル、ソンム(訳註 いずれも第一次世界大戦の激戦地)のどこにいてもおかしくなかった。

 

 

それがどこかは関係ない。戦争はどこでも地獄だからだ。リーの兵士はたまたまペリリュー島アメリカ軍兵士だったわけだが、その兵士とまったく同じ二〇〇〇ヤードの凝視の表情を、硫黄島の日本軍兵士や、スターリングラードのドイツ軍兵士や、ダンケルクのイギリス軍兵士の顔にも見て取ることが出来ただろう。(略)

 

 

 

リーの絵では、トラウマを受けた兵士の大きく見開かれた目が、戦争の恐ろしい真実を直視する窓を開いてくれる。ディックスの絵では、信実はあまりに耐え難いために、兵士はガスマスクで目を覆わざるをえなかった。戦場の上空を舞う天使はいない。腐りかけた死骸だけが、折れた梁にぶら下がって、非難するように指さしている。

 

 

ディックスとリーのような画家たちは、こうして従来の戦争のヒエラルキーを覆すのに加担した。以前にも、二〇世紀の戦争とどう比べても同じぐらいぞっとする戦争は数限りなくあった。とはいえそれまでは、身の毛もよだつような経験でさえもみな、もっと広い文脈の中に収められ、好ましい意味を与えられた。戦争は地獄かもしれないが、天国への入口でもあった。(略)

 

 

ところがオットー・ディックスはそれとは正反対の種類の論理を使った。彼は個人の経験をあらゆる意味の源泉と見ていた。だから、彼の考え方を言葉にすると、こうなる。「私は苦しんでいる。そして、これは悪いことだ。したがって、戦争全体が悪い。それでも皇帝や聖職者がこの戦争を支持するのなら、彼らは間違っているに違いない」

 

 

 

人間至上主義の分裂

これまでは、人間至上主義が単一の首尾一貫した世界観であるかのように論じて来た。だがじつは人間至上主義も、キリスト教や仏教など、栄えている宗教のすべてに共通する運命をたどってきた。広まり、発展するうちに、いくつかの対立する宗派に分裂したのだ。(略)

 

 

人間至上主義は三つの主要な宗派に分かれた。正統派の人間至上主義では、どの人間も、独自の内なる声と二度と繰り返されることのない一連の経験を持つ唯一無二の個人であるとされる。(略)

政治でも経済でも芸術でも、個人の自由意志は国益や宗教の教義よりもはるかに大きな重みをもつべきだ。個人が享受する自由が大きいほど、世界は美しく、豊かで、有意義になる。この正統派の人間至上主義は、自由を重視するため、「自由主義てきな人間至上主義」、あるいはたんに「自由主義」として知られている。(略)

自由主義の教育は、自分で考えることを教える。答えはすべて、自分の中に見つかるからだ。

 

 

 

一九世紀と二〇世紀には、自由主義は社会的な信用と政治的な力をしだいに獲得するうちに、二つのまったく異なる分派を生み出した。じつに多くの社会主義運動と共産主義運動を網羅する社会主義的な人間主義と、ナチスを最も有名な提唱者とする進化論的な人間至上主義だ。(略)

私たちが搾取や圧制をや不平等を避けるべきなのは、神がそう言ったからではなく、それらが人が惨めにするからだ。

 

 

とはいえ、社会主義的な人間至上主義と進化論的な人間至上主義はともに、人間の経験を自由主義の立場から解釈するのは間違っていると指摘する。自由主義者は、人間の経験は個人の現象だと考える。だが、世界には多くの個人がおり、しばしば違うことを感じ、相反する欲求を抱く。

 

 

もしあらゆる権威と意味が個人の経験から流れ出てくるのなら、そのように異なる経験どうしの矛盾をどう解決すればいいのか?

二〇一五年七月一五日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相に、レバノンから逃れて来た一〇代のパレスティナ難民の少女が詰め寄った。家族がドイツに亡命を求めているのに受け容れてもらえず、国外追放を目前にしているという。(略)

 

 

するとメルケルは、「政治は、ときに厳しいものです」と答え、レバノンには何十万ものパレスティア難民が居るので、ドイツは全員を受け容れることができないと説明した。この冷徹な答えにあっけにとられたリームは、涙を流し始めた。メルケルは絶望に打ちひしがれた少女の背中を撫でてやったが、自分の意見は曲げなかった。

 

 

 

その結果、世間が大騒ぎになり、メルケルは薄情で無神経だという非難の声が多数上った。それを静めるためにメルケルは方針を変え、リームは家族とともに亡命を許された。その数か月のうちに、メルケルは門戸をさらに開き、何十万もの難民をドイツに迎え入れた。だが、すべての人を満足させることはできない。

 

 

 

ほどなく彼女は、感傷に流され、断固たる態度を取り切れていないと、激しく攻撃された。(略)

絶望的な難民の気持ちと不安なドイツ人の気持ちという、相容れないものの折り合いを、どうつければいいのか?

 

 

 

自由主義はそのような矛盾について永遠に苦悩する。ロックやジェファーソンやミルと彼らの同輩がどれだけ頑張っても、この手の難問に対する迅速で手軽な解決策は提供できなかった。(略)

 

 

人が民主的な選挙の結果を受け容れる義務があると感じるのは、他のほとんどの投票者と基本的な絆がある場合に限られる。他の投票者の経験が私にとって異質のもので、彼らがこちらの気持ちを理解しておらず、こちらの死活にかかわる利害の問題に関心がないと私が思っていたら、たとえ一〇〇対一という票数で負かされても、その結果を受け容れる理由はまったくない。

 

 

民主的な選挙は普通、共通の宗教的信念や国家の神話のような共通の神話のような共通の絆をあらかじめ持っている集団内でしか機能しない。選挙は、基本的な事柄ですでに合意している人々の間での意見の相違を処理するための方法なのだ。

 

 

したがって、自習主義は多くの場合、昔ながらの集団的アイデンティティや部族感情と融合して近代以降の国家主義を形作ってきた。(略)

自由主義者は、個々の人間の唯一無二の経験を賛美する。一人一人の人間には、独自の気持ちや好みや癖があり、他人を傷つけないかぎり、それを自由に表現したり探求したりできてしかるべきだ。

 

 

同様に、ジュゼッペ・マッツィーニのような一九世紀の国家主義者は、個々の国の独自性を賛美した。彼らは、人間の経験の多くが共有されるものであることを強調した。ポルカは一人では踊れないし、ドイツ語を一人で発明して維持することもできない。それぞれの国は、単語、踊り、食べ物、飲み物を使い、国民が同じ経験をするように促し、その国特有の感性を発達させる。

 

 

 

マッツィーニのような自由主義国家主義者は、そうした特有の国家的経験が不寛容な帝国に抑圧されたり消し去られたりしないように守ろうとし、それぞれが隣国を傷つけることなしに自国民が共有する感情を自由に表現したり探求したりできるような、平和の諸国家を思い描いた。これは欧州連合の公式のイデオロギーであり続けている。(略)」

 

〇 この太字の部分は、私が太字にしました。これは、とても重要なことではないかと、感じています。私たちの国、日本でも、どこまで同じアイデンティティーを共有しているのか…

 

あの「いまだ人間を幸福にしない日本というシステム」の中でも「管理者」という言葉で説明されていました。

 

引用します。

 

「我々はもう少し詳しく日本の官僚独裁主義について検証する必要がある。社会が徹底的に政治化され、しかも公共部門と民間部門の境界が見分けがつかなくなってしまった日本では、我々には政府省庁の官僚と、高度に官僚化された業界団体や系列企業や銀行の幹部たちを総称する言葉が必要である。彼らを「管理者」と呼ぶべきだろう。」

 

〇 「権力者=管理者」と私たち非力な一般庶民は、平等な法律の下にいません。彼らは見せかけの法の陰で、自分たちだけが何をやっても許される状態を作り出しています。そしてそれを誰にもどうにもできない体制になっているのです。こんな社会で、民主的な選挙など出来るのでしょうか。