読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

ベートーヴェンチャック・ベリーよりも上か?

 

人間至上主義の三つの分派の違いを確実に理解するために、人間の経験をいくつか比較しよう。

経験その1 —  音楽学の教授がウィーン国立歌劇の客席でベートーヴェン交響曲第五番の出だしに耳を傾けている。(略)

 

 

経験その2 ―  一九六五年。一台のマスタングコンバーチブルがサンフランシスコからロサンジェルスに向かってパシフィック・コースト・ハイウェイを全速力で疾走している。マッチョな若いドライバーがチャック・ベリーの曲をボリュームいっぱいにかける。(略)

 

 

経験その3 —  コンゴ熱帯雨林の奥深くでピグミーの狩人がじっと立っている。娘たちが儀礼の歌を声を揃えて歌うのが近くの村から聞こえてくる。(略)

 

 

経験その4 —  ある満月の晩、カナディアン・ロッキーのどこかの小山の頂上で、一頭のオオカミが盛りのついたメスの遠吠えに聴き入っている。(略)

 

 

この四つの経験のうち、どれが最も価値があるのか?

自由主義者なら、音楽学の教授と若いドライバーとコンゴの狩人の経験はみな等しく価値があり、したがって、等しく大切にされなければならないと言う傾向をみせるだろう。(略)

 

 

社会主義者は、狼の経験にはほとんど価値がないという点ではおそらく自由主義者に同意するだろう。だが、三つの人間の経験に対する態度は完全に違うはずだ。社会主義者の熱狂的な支持者なら、音楽の真の価値は個々の聴き手の経験ではなく、他の人々の経験や社会全体の経験に対する影響で決まると説明するだろう。毛沢東が言ったとおり、「芸術のための芸術、階級を超越した芸術、政治から切り離されたり独立したりした芸術などというものはない」のだ。(略)

 

 

 

というわけで、どの音楽がいちばん優れているのか?(略)

自由主義者はうっかり差別的な言動をするのを恐れて、文化比較の地雷原を用心深く避けて通り、社会主義者はこの地雷原を通り抜ける正しい道を見つけるのは党に任せておくのに対して、進化論的な人間至上主義者は大喜びで思い切り良くそこに飛び込み、地雷をすべて爆発させ、大混乱を楽しむ。(略)

 

 

進化論的な人間至上主義者によると、あらゆる人間の経験は等しく価値があると主張する人はみな、間抜けか腰抜けということになる。そのような無教養と臆病は人類の退化と絶滅につながるばかりだ。文化的相対主義あるいは社会的平等の名の下に、人間の進歩が妨げられてしまうからだ。もし自由主義者社会主義者石器時代に生きていたら、ラスコー洞窟やアルタミラ洞窟の壁画にはおそらくほとんど価値を認めなかっただろうし、それらの壁画はネアンデルタール人の落書きよりも少しも優れていないと言い張っただろう。

 

 

人間至上主義の宗教戦争

 

当初、自由主義的な人間至上主義と社会主義的な人間至上主義と進化論的な人間至上主義の違いはつまらないものに思えた。人間至上主義の全宗派をキリスト教イスラム教やヒンドゥー教と隔てる溝と比べたら、人間至上主義の異なるバージョンの間の言い争いなど、些細なものだった。(略)

 

 

ところが、人間至上主義が世界を征服すると、このような内部の不和が拡大し、ついにはそれが高じて史上最も血なまぐさい宗教戦争が勃発した。(略)自由主義者たちは、もし個人が自分を表現する最大限の自由を持っていて、心の命じるままに従えば、この世界は空前の平和と繁栄を享受するだろうと確信していた。(略)

 

 

第一次世界大戦直前の一九一四年六月ののどかな日々に、自由主義者たちは歴史は自分たちの見方だと考えていた。

ところがその年のクリスマスには、自由主義者は戦争神経症になり、その後の数十年間に、彼らの考えは左右両方から攻撃された。実は自由主義は冷酷で搾取的で人種差別的な制度の隠れ蓑だと社会主義者は主張した。(略)

 

 

 

気もちが良いことをする個人の権利の擁護は、大抵の場合、中産階級と龍階級の資産と特権を保護することに等しい。好きな場所に住める自由があっても、家賃を払えないなら何の役に立つというのか?(略)

 

 

自由主義の下では誰もが飢え死にする自由があるという、有名な当てこすりがある。自由主義は人々に自分を孤立した個人と見るように促し、同じ階級の成員から彼らを切り離し、彼らを迫害する体制に対して団結して反抗するのを妨げるのだからなお悪い。こうして自由主義は不平等を永続させ、一般大衆を貧困へ、エリート層を疎外へと追いやる。

 

 

 

自由主義が左からこのパンチを食らってよろめいているときに、進化論的な人間至上主義が右から襲いかかった。人種差別主義者とファシストおもに、自然選択を台無しにして人類の退化を引き起こしたとして自由主義社会主義の両方を責めた。もしあらゆる人間が等しい価値と、子孫を残す等しい機会を与えられたら、自然選択が機能しなくなってしまうと警告した。環境に最も適した人間が凡人の海に呑まれてしまい、人類は超人に進化する代わりに絶滅してしまう。(略)

 

 

第二次世界大戦は、後から振り返れば自由主義の大勝利として思い出されるのだが、当時はとてもそうは見えなかった。(略)

ドイツ軍がようやく打ち負かされたのは、自由主義陣営がソ連と手を結んで空だった。ソ連はこの戦争の矢面に立ち、自由主義陣営に比べてはるかに多くの代償を払った。戦時中、イギリスは五〇万、アメリカも五〇万の犠牲者を出したのに対して、ソ連の死者は二五〇〇万人にのぼった。(略)

 

 

一九五六年にソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフ自由主義の西側諸国に向かってこう豪語した。「諸君が好むと好まざるとにかかわらず、歴史は我々の味方だ。我々は諸君を葬り去るだろう!」

フルシチョフは本気でそう信じていたし、第三世界の指導者や第一世界の知識人たちの間でもそう信じる人がしだいに増えていった。(略)

 

 

一九七〇年には世界には一三〇の独立国があったが、そのうち自由民主主義国はわずか三〇で、ほとんどがヨーロッパの北西部に押し込まれていた。(略)

一九七五年、自由主義陣営は最も屈辱的な敗北を喫した。ヴェトナム戦争が、ゴリアテのようなアメリカに対する、ダビデのような北ヴェトナムの勝利で終わったのだ。共産主義は、南ヴェトナム、ラオスカンボジアを相次いで掌握した。(略)

 

 

自由民主主義はしだいに、高齢化する白人帝国主義者たちの排他的なクラブのように見えて来た。彼らには、世界の他の国々にも、自国の若者いにさえも、提供できるものがほとんどないようだった。アメリカ政府は自由世界のリーダーをもって任じていたが、その盟友のほとんどは、独裁的な王(たとえば、サウジアラビアのハーリド国王やモロッコのハッサン国王、イランのシャー)か、軍事独裁者(たとえばギリシアの大佐たち、チリのピノチェト将軍、スペインのフランコ将軍、韓国の朴将軍、ブラジルのガイゼル将軍、中華民国蒋介石総統)のどちらかだった。(略)

 

 

 

核兵器がなかったら、ビートルズウッドストックも、品物があふれ返るスーパーマーケットもありえなかっただろう。だが、核兵器があったとはいえ、一九七〇年代半ばには未来は社会主義のもののように見えた。

 

 

ところがその後、状況は一変した。自由民主主義は歴史のゴミ箱から這い出し、汚れを落として身なりを整え、世界を征服した。スーパーマーケットはけっきょく、強制労働収容所よりもはるかに強力だった。

 

 

大反撃が始まったのは南ヨーロッパで、そこではギリシアとスペインとポルトガル独裁政権が倒れ、民主的な政府に道を譲った。インディラ・ガンディーは非常事態宣言を解除し、インドの民主主義を復活させた。一九八〇年代には東アジアとラテンアメリカで、ブラジルやアルゼンチン、中華民国、韓国などの軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられた。

 

 

 

八〇年代後期から九〇年代初期には、自由主義の波は紛れもない津波に変わり、強大なソヴィエト帝国を一呑みにし、いわゆる「歴史の終焉」の到来を期待させた。自由主義は何十年にも及ぶ敗北と挫折の後、冷戦で決定的な勝利を収め、いささかやつれはしたものの、人間至上主義の宗教戦争から意気揚々と凱旋した。

 

 

 

ソヴィエト帝国が内部崩壊すると、東ヨーロッパだけではなく、自由主義政権が共産主義政権に取って代わった。近頃はロシアさえもが民主主義国家のふりをしている。(略)

 

 

個人により多くの自由を与えさえすれば、世界は平和と繁栄を享受すると、再び人々は信じている。二〇世紀全体が、とんだ間違いのように見える。(略)」