読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下)(第9章 知能と意識の大いなる分離)

「そのようなアルゴリズムが人間の資本家よりも優れた実績を一貫して残せば、アルゴリズムから成る上流階級がこの惑星のほとんどを所有するという結果になりかねない。これはありえないようにおもえるかもしれないが、あっさり切り捨てる前に思い出してほしい。地球のほとんどはすでに、人間ではない共同主観的なもの、すなわち国家と企業に合法的に所有されている。

 

 

実際、五〇〇年前、シュメールの多くは、エンキやイナンナのような想像上の神々に所有されていた。もし神々が土地を所有し、人々を雇えるのなら、どうしてアルゴリズムにそれができないことがあるだろうか?

 

 

では、人々はどうするのか?芸術は私たちの究極の(そして、人間ならではの)聖域を提供してくれるとよく言われる。コンピューターが医師や運転手、教師、はては家主にまで取って代わった世界では、誰もが芸術家になるのだろうか?(略)」

 

アルゴリズムという言葉が、うまくイメージできません。かなり話に付いていけなくなっています。

 

「作曲でコンピューターがけっして人間を越えられないと、私たちはどうしてそれほど自信を持っているのか?(略)

コープは、協奏曲や合唱曲、交響曲、オペラを作曲するコンピュータープログラムを書いて来た。(略)このプログラムは、書くのには七年かかったが、一旦出来上がると、たった一日でバッハ風の合唱曲を五〇〇〇も作曲した。

 

 

コープはそのうち選りすぐりの数曲をサンタクルーズで開かれる、ある音楽フェスティバルで演奏するように手配した。聴衆のなかには熱狂的な反応を見せる人々もいて、感動的な演奏として褒め称え、その音楽が心の琴線に触れたと興奮した様子で語った。(略)

 

 

 

二〇三〇年や四〇年に求人市場がどうなっているか私たちにはわからないので、今日すでに、子どもたちに何を教えればいいのか見当もつかない。現在子どもたちが学校で習うことの大半は、彼らが四〇歳の誕生日を迎えるころにはおそらく時代遅れになっているだろう。

 

 

従来、人生は二つの主要な部分に分かれており、まず学ぶ時期があって、それに働く時期が続いていた。いくらもしないうちに、この伝統的なモデルは完全に廃れ、人間が取り残されないためには、一生を通じて学び続け、繰り返し自分を作り替えるしかなくなるだろう。大多数とは言わないまでも、多くの人間が、そうできないかもしれない。

 

 

 

やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力しなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。だが、彼らには何をやらせて満足させておけばいいのか?人は何かする必要がある。することがないと、頭がおかしくなる。彼らは一日中、何をすればいいのか?

 

 

 

薬物とコンピューターゲームというのが一つの答えかも知れない。必要とされない人々は、3Dのバーチャルリアリティの世界でしだいに多くの時間を費やすようになるかもしれない。その世界は他の単調な現実の世界よりもよほど刺激的で、そこではるかに強い感情を持って物事に関われるだろう。

 

 

とはいえ、そのような展開は、人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念に致命的な一撃を見舞うことになる。夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、どこがそれほど神聖だというのか?」

 

〇 食べるために働く必要がなくなったら、趣味に生きる、ということで、

いいのでは?と思うのですが。それでは、ダメなのかな…。