読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

二・二六事件への対応と、天皇の反省

 

天皇立憲君主として振る舞い、この点では実に自己規定が明確であったが、問題はむしろこの点にあったのではないか。天皇自身も戦後にそう感じたのではないか、と思われる節がないでもない。(略)

 

 

だがそうでなく、ヒトラームッソリーニヒロヒトと並べられ、神権的絶対君主のファシストと見られること、こういう身方は当然に欧米、特にアメリカに出てきたが、これは天皇にとって堪えられぬ苦痛であったらしい。終戦から一か月余の二十年九月二十九日の「木戸日記」には、次のような天皇の言葉が記されている。

 

 

「自分があたかもファシズムを信奉するが如く思わるることが、最も堪えがたきところなり、実際あまりに立憲的に処置し来たりし為にかくのごとき事態となりたりとも云うべく、戦争の途中において今少し陛下は進んでご命令ありたしとの希望を聞かざるにはあらざりしも、努めて立憲的に運用したるつもりなり…」(略)

 

 

入江・元侍従長は戦後まもなくの天皇の言葉として、次のように記している(「天皇さまの還暦」朝日新聞社刊)

 

 

「二・二六の時と、終戦の時と、この二回だけ、自分は立憲君主としての道を踏みまちがえた…」

二・二六のときは、総理大臣が生きているのか死んでいるのかわからない。同時に軍の首脳は反乱軍に同調的で、態度がはっきりしない。このままいけば立憲政治は崩壊する。その崩壊を食い止めるため、立憲君主として逸脱せざるを得なかった、という実に奇妙な状態に天皇は置かれる。

 

 

 

終戦の時も同じような状態である。こういう時の行動でさえ、天皇は「立憲君主としての道を踏みまちがえた」と考える。こういう点、天皇はまことに憲法絶対であったといえる。(略)

 

 

 

たとえば二・二六事件のときは、川島陸相が反乱の勃発を天皇に上奏し、これの鎮定を奏請して裁可を受けるというのがルールである。(略)

ところが川島陸相は反乱側に同情的であり、内大臣も生死不明、そこで天皇はルールを跳び越えて、臨時首相代理を任命し、直ちに「暴徒の鎮圧」を命じ、これを自ら反乱と規定し、自ら討伐すると言わざるを得なかった。政治的に見ればきわめて適切だが、天皇はこれを制現君主の「道を踏みまちがえた」「その枠を逸脱した」と考えておられる。

 

 

 

戦前も、天皇は「現人神」ではなかった

 

(略)

ただこの詔書を読むと、「人間宣言」という俗称はあまり正確とは言えないが、これを「人間宣言」というなら、昭和十二年の「文部省通達」が、すでにこれを行なっているといえる。次に引用しよう。

 

「……天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治したまう現御神(あきつみかみ)であらせらる。この現御神(明神)、あるいは現人神と申し奉るのは、いわゆる絶対神とか、全知全能の神とかいうが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現われまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民、国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである」

 

 

これが通達された昭和十二年は、前年に二・二六事件があり、さらにその前年にはいわゆる「天皇機関説問題」から美濃部達吉博士の著書「憲法撮要」が発禁となり、同博士が貴族院議員を辞職し、起訴猶予となっている。(略)

 

 

 

余談になるが、現代ではカタカナ英語の乱用が問題になるが、明治のように無理に漢語に訳すのも少々問題であろう。大文字を用いたGodはそのまま「ゴッド」にしておいた方が安全だったかもしれない。これについて論ずるのは本書の主題から離れるので、次に本居宣長(一七三〇~一八〇一年)の「古事記伝」の定義だけを記しておく。

 

 

「凡て迦微(かみ)とは、古の御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、また、人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい、海山など、そのほか何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云うなり。

 

 

 

そもそも、迦微はかくの如く種々にて、貴きもあり、賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪しきもありて、心も行もそのさまざまに随いて、とりどりにしあれば、大かた一むきに定めては論いがたき物になむありける」

 

と記し、さらに注で次のように敷衍している。

 

 

「すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云うに非ず、悪しきもの奇しきものなども、世にすぐれて可畏きをば、神と云うなり。

 

 

さて人の中の神は、先ずかけまくもかしこき天皇(すめらみこと)は、御世御世みな神に坐すこと、申すもさらなり、其は遠つ神とも申して、凡人とは遥かに遠く、尊く可畏く坐しますが故なり。かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり。また天の下に受け張りてこそあらね、一国一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし……」

 

 

この「迦微」という概念は、欧米の「God」とは全く別のものである。欧米のどこを探しても「一国一家の内につきても、ほどほどにGodなる人あるぞかし」などと言う言葉はあり得ない。(略)」