読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「重剛、天皇ロシア革命の真因を説く

 

次の「ペートル大帝」は、ほぼ称賛の対象になっているが、北方戦争で今のレニングラード附近をスウェーデンから奪取して海への出口を確保したことはわずか二行にとどめ、その内容はほとんどが、いかにして西欧の科学技術を導入したか、そしてそのために、どれだけ労苦を惜しまなかったかで占められている。(略)

 

 

記述はまだまだつづき、英国からオランダ、オーストリアfのウィーンなどの視察・研究旅行の記述がつづく。このロシアの西欧先進国の科学・技術の導入を、杉浦は、明治と重ね合わせて説いているように見える。そのようにして、十八世紀に近代化の歩みを進めていたロシアがなぜ、現代(第一次大戦当時)のような状態になったか。ここで杉浦は「守成」のむずかしさへと進む。

 

 

「以上述べたる所にて、ほぼペートル大帝の人となりを知ることを得べし。大帝の性格・行為もとより欠点あるをまぬがれず。しかれども国家のためには身を労し、思いを焦がし、千辛万苦を辞せず、非常なる忍耐と勤勉とを以てロシアの面目を一新し、その隆盛の基を開きたるは、真に大帝の称に愧じざるものというべし。(略)

 

 

想うに国家は国民の団結鞏固なる時は、すなわち強大を致し、団結薄弱なる時は、すなわち国力また薄弱なるを免れず。ロシアの如きは、今日国家の運命を決すべき大戦に際して内部にかくの如き騒乱を来す。これ国民が協同一致の精神において欠如する所あるがためなり(略)

 

 

ロシアに人の和なし。これロシアのために悲しむべき状態を来したる所以なり。

さらば人の和を得るの道如何。詳細にこれを述べんとすれば、すこぶる多端にわたるべきも、その要旨を約言すれば、すなわち上に立ちて政を施すものは能く民を愛してその幸福の増進を謀るべく、下にあるものは能く上を敬いて国家に忠なるべし。もし能くかくの如きを得ば、愛情自ずから生じ、上下を連結し、以て永遠にその、いわゆる人の和を保つべし。いずこにか、破綻を生ぜん。(略)

 

 

 

杉浦はこれを漢文で引用しているが、現代文に訳せば次のようになる。

まずこの問いに、宰相房玄齢が答える。

 

「創業の時とはいわば乱世で、群雄が競い起こります。それを次々に討って降伏させ、いわば勝ち抜き勝負でこれを平定しました。こういう点から見れば創業の方が困難です」と。

 

 

これに対して諫議大夫(天子を諫め、政治の得失を論じた官)の魏徴は次のように言う。

「新しい王朝が起こるのは、〔いわば「継承的創業」であって〕必ず前代の失政による衰え・混乱の後を受け、そのようにした愚鈍で狡猾なものを打倒します。すると、人々は新しい支配者を推戴することを喜び、一応、天下がこれに従います。

 

 

これが「天授け人与う」(「孟子」)であって、天から授かり、人々から与えられるのですから、それほど困難とは思われません。しかし、それを得てしまうと、驕りが出て志向が逸脱します。すると、人々が平和と安静を望んでいるのに課役がやまず、人々が疲弊・困憊しているのに、支配者の無駄で贅沢な仕事は休止しません。国の衰亡は、常にこれによって起こります。こう考えますと、守成の方が難しいと思います」と。

 

 

天皇は別に無駄も贅沢も欲しなかったが、軍部のみならず、一部の国民も身分不相応ともいうべき「軍備」という無駄を欲していた。杉浦はつづける。

 

 

「創業守成ともに難し。秀吉・家康の如きは創業の偉人なり。しかれども豊臣氏は二代にして早く亡び、徳川氏は十五代三百年の久しきを保てり。これ守成の良否如何によるものなり。後の人たるもの鑑みざるべけんや」

 

 

これもまた、ロシアはペートル大帝の超人的努力により大きな躍進を遂げながら、後継者にその成果を守り育て発展さす守成の人がいなかったから破滅した、というのが杉浦の結論である。」

 

〇 太文字部分は、心に沁みます。何故安倍政権とその支持者は、こんなにも、軍備を増強するのか。防衛費がどんどん膨らんでいます。人々が平和と安静を望んでいるのに…。