読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「戦争制御における内閣の権限と、近衛の言い訳

 

この「天皇憲法」という問題で、自決前(昭和二十年十二月)に令息に渡した所感で、近衛は次のように回想を記している。

 

「日本憲法というものは天皇親政の建前で、英国の憲法とは根本において相違があるのである。ことに統帥権の問題は、政府には全然発言権がなく、政府と統帥部との両方を抑え得るものは、陛下ただお一人である。

 

 

しかるに、陛下が消極的であらせられることは平時には結構であるが、和戦いずれかというが如き、国家が生死の関頭に立った場合には障碍が起こり得る場合なしとしない。英国流に、陛下がただ激励とか注意を与えられるとかいうだけでは、軍事と政治外交とが協力一致して進み得ないkじょとを、今度の日米交渉(昭和十六年)においてことに痛感した」

 

 

これを読まれた天皇は「どうも近衛は自分だけ都合のよいことをいっているね」と不興気であったという。近衛のこの「言い訳」は確かに少々おかしいのだが、いまもこの「近衛の見解」と同じ見解の人が少なくない。なぜであろうか。(略)

 

 

明治憲法には、「統帥権」という言葉はない。統帥とは、元来は軍の指揮権であり、いずれの国であれ、これは独立した一機関が持っている。簡単に言えば、首相は勝手に軍を動かすことは出来ない。しかし、軍も勝手に動くことは出来ない。というのは少なくとも近代社会では、軍隊を動かすには予算が必要だが、これの決定権を軍は持っていないからである。

 

 

具体的に言えば、参謀本部が作戦を立案するのに政府は介入できない。しかしその作戦を実施に移そうとするなら、政府が軍事費を支出しないかぎり不可能である。動員するにも、兵員を輸送するにも、軍需品を調達するにも、すべて予算を内閣が承認し、これを議会が審議して可決しない以上、不可能である。

 

 

 

日華事変で近衛は「不拡大方針」を宣言した。しかしその一方で、拡大作戦が可能な臨時軍事費を閣議で決定して帝国議会でこれを可決させている。このことを彼自身、どう考えていたのか。(略)

 

 

チャーチルは「戦争責任は戦費を支出した者にある」という意味のことを言ったそうだが、卓見であろう。もちろんこのことは、この権限を持つ政府と議会の責任ということである。

 

 

 

天皇が直接に作戦を中止させようとしたことはある。これは昭和八年の熱河作戦に天皇が激怒され、奈良侍従武官長に「(大元帥の)統帥最高命令」で、これを中止させることは出来ないか、と言われている。奈良武官長はこれに対して「国策上に害があることであれば、閣議において熱河作戦を中止させることができる。

 

 

国策の決定は内閣の仕事であって、閣外のものがあれこれ指導することは許されない……」旨、奉答している。この答えは憲法に基づけば正しいが、これについては機関説の項(251ページ)で触れよう。(略)

 

 

 

この点から見れば、近衛が本当に「不拡大方針」を貫くなら、拡大作戦が出来ないように臨時軍事費を予算案から削れば、それで目的が達せられる。なぜそれをしなかったのか。彼にはそれだけのことを行なう勇気がなかった。というより軍に同調してナチスばりの政権を樹立したい意向があった。

 

 

園遊会ヒトラーの仮装をしているが、翼賛会をつくり、ナチスの授権法のような形で権力を握って「革新政治」を行ないたいのが彼の本心であったろう。しかしこのお公家さんには、独裁者の能力はなかった、というだけの話である。

 

 

革命の狂気と”総括”

 

近衛には野心もあったし、暗殺への恐怖もあった。これは一面では無理からぬことで、当時は今から見ればまことに奇妙なファナティックな人間が横行していた。といってもそれは戦後にもあったことで、連合赤軍の右翼版と考えれば、そのファナティシズムはある程度想像がつくであろう。

 

 

 

ただ戦後と違う点は、それが軍人で武器を持っていた点である。そして彼らも同じように、軍人同士で”総括”し合っていた。そして”総括”は、昔も今も罪悪とは考えられず、それを行なったものに罪の意識がなかったのも似ている。彼らはともに同志を”総括”しつつ革命を目指した。

 

 

この奇妙な心理はドストエフスキーが「悪霊」で分析しているから詳説しない。(略)

 

 

日本はそうならず、現在のようになったのは、様々な要因があったが、その間に「鈍行馬車」の天皇がどのような役割を演じたかは、まことに興味深い問題だが、ここではまず、順序として、戦前の「連合赤軍的な狂気」とその狂気の中に彼らが抱いた「錦旗革命の夢」について記さねばなるまい。」