読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「機関説排撃がもたらした思わぬ影響

 

しかし機関説は軍内部の主導権争いから”異端”のレッテルに用いられるようになると、天皇の御意向などおかまいなく、この排撃論はますます強くなる。さらにそれが政界にも及び、政敵追い落としにも使われる。こうなると始末が悪い。

 

 

これへの天皇の憂慮に対して、本庄侍従武官長が「陸軍大臣は建軍の立場より、天皇機関説に対する軍の信念を述べているだけで、学説に触れることは避けている」と言い訳をすると、天皇は次のように言われたと「本庄日記」にある。

 

 

「陛下は、もし思想信念を以て科学を抑圧し去らんとする時は、世界の進歩に遅るべし。進化論の如きも覆えざるを得ざるが如きことなるべし。さりとて思想信念はもとより必要なり。結局、思想と科学は平行して進めしむべきものと想うと仰せらる」

 

 

天皇の言葉は、簡単に言えば、「常識」である。機関説という学説には触れない、ただ信念を述べているだけだという意味の言葉への批判であろう。

さらに天皇が本庄武官長に言われているのは、機関説否定が、実は明治憲法否定につながるという点である。

 

 

 

憲法第四条の「天皇は”国家元首”云々」は、すなわち機関説なり。これが改正をも要求するとせば、憲法を改正せざるべからず」

と言われている。これは、武官長の「軍においては、陛下を現人神と信仰申し上げ……」への天皇の答えだが、この言葉は、見方によっては「憲法では自分は元首という機関である。現人神と言いたいなら、憲法をそう改正してからにしろ」といわれているようにも受け取れる。(略)

 

 

 

機関説否定派、天皇絶対とすることによって一切合切の責任を天皇に負わせることが出来るが、その責任に対応する権限は「機関としての天皇」に一切与えてはいなかったという妙な結果になっている。戦後、この点を的確に指摘しているのが津田左右吉博士である。

 

 

ただここで一言、真面目人間の本庄侍従武官長を弁護するとすれば、その原因は政党の腐敗にあったであろう。今日的に表現すれば「リクルート内閣に管理され、その命令で死ねるか!」といった感情であろう。本庄侍従武官長が言っているのは、こういった感情の代弁である。

 

 

 

「盲信の構造」 —— なぜ、北が神格化されたのか

 

こうなると、二・二六事件における青年将校の立場は、何とも言えない奇妙なものになるが、それは機関説排撃以後の、天皇と軍部との関係の縮図といえる一面がある。もっともこれはあくまでも一面で、機関説の北一輝青年将校がなぜ神格化したかは、また別の問題である。

 

 

彼らは「国体論及び純正社会主義」は、まず読んでいないと見て良い。彼らのバイブルは「日本改造法案大綱」だが、全編を精読したのは磯部、村中、安藤の三人だけであろう。もっとも秩父宮は安藤とともに読んだといわれる。それが事実なら、秩父宮天皇に「憲法停止・御親政」と言われた言葉(135ページ)の内容がはっきりわかる。それは明治憲法ではなく「日本改造法案大綱」どおりに行われたいという要望であろう。そしてたとえ全文を読んだ者は少なくとも、二・二六事件の全将校が、冒頭は読んだであろうと思う。次に引用しよう。

 

 

 

憲法停止。天皇は全日本国民とともに国家改造の根基を定めんがために、天皇大権の発動によりて、三年間憲法を停止し、両院を解散し、全国に戒厳令を布く」

 

これがおそらく、秩父宮天皇に主張したと「本庄日記」に要約された「憲法停止・御親政」の「全文」である。

 

 

「権力が非常の場合、有害なる言論または投票を無視し得るは論なし。いかなる憲法をも議会をも絶対視するは、英米の教権的「デモクラシー」の直訳なり。これ「デモクラシー」の本面目を蔽う保守頑迷の者、その笑うべき程度において日本の国体を説明するに高天原的論法を以てする者あると同じ」

 

 

この北一輝の主張は注意を要する。彼は決してデモクラシーそのものを否定していない。ただその「直訳」が「デモクラシー」の本面目を蔽う保守頑迷の者」によって利用されており、「数に絶対の勝ちを付して質がそれ以上に価値を認めらるべき者なるを無視したる旧時代の制度を、伝説的に維持せるに過ぎず」と彼は言う。(略)

 

 

ではこれに対して、どうすべきだと北は主張するのか。

 

「「クーデター」を保守専制のための権力乱用と速断する者は、歴史を無視する者なり。奈翁(ナポレオン)が保守的分子と妥協せざりし純革命的時代において、「クーデター」は、議会と新聞の大多数が王朝政治を復活せんとする分子に満ちたるを以て、革命遂行の唯一道程として行ないたるもの。

 

 

 

また現時露国(ロシア)革命において、「レニン」が、機関銃を向けて、妨害的勢力の充満する議会を解散したる事例に見るも「クーデター」を保守的権力者の所為と考えうるは、甚だしき俗見なり。

 

 

「クーデター」は、国家権力すなわち社会意志の直接的発動と見るべし。その進歩的なるものにつきて見るも国民の団集そのものに現わるることあり。日本の改造においては、必ず国民の団集と元首との合体による権力発動たらざるべからず」

 

 

このあたりに青年将校はシビレたのであろうが、この「日本改造法案大綱」は奇妙な「予言」になっている点は見逃すべきではあるまい。

というのは、朝鮮半島において李承晩・張勉政権をクーデターで倒して出現した朴・全両政権の出現は、この北一輝の主張と一脈相通ずるところがあると言ってよい。さらに彼の計画する政権の性格にも似た点がある。

 

 

いわば後発の国が、先進国のデモクラシーを「直訳」して、やみくもにその方向に進もうとしたときに生ずる一般的現象なのかもしれない。」