読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (上) (第1章 人類が新たに取り組むべきこと)

「二世紀後の一七七八年一月一八日、イギリスの探検家ジェイムズ・クック船長がハワイに到達した。ハワイの島々は人口密度が高く、五〇万もの人がいた。(略)

クック船長とその部下たちは、インフルエンザと結核と梅毒の病原体を初めてハワイに持ち込んだ。そして、ヨーロッパからのその後の来訪者が腸チフス天然痘ももたらした。

 

 

一八五三年には、ハワイで生き残っていた人の数はわずか七万人だった。

 

 

感染症は二〇世紀に入ってからも長らく、厖大な数の人命を奪い続けた。一九一八年一月には、フランス北部の塹壕の兵士たちが、通称「スペイン風邪」というインフルエンザの強毒株のせいで、何千人という単位で亡くなり始めた。(略)

 

 

中東からは石油が、アルゼンチンからは穀物と牛肉が、マレー半島からはゴムが、コンゴからは銅が送り込まれた。それと引き換えに、各国の人はみな、スペイン風邪をもらった。数か月のうちに、当時の地球人口の三分の一に当たる五億人が、このウイルスにやられて発病した。インドでは全人口の五パーセント(一五〇〇万人)が亡くなった。(略)

 

 

一年以内に、合計で五〇〇〇万から一億の人がこの世界的流行病で没した。

ちなみに、一九一四年から一八年にかけての第一次世界大戦の死者、負傷者、行方不明者の合計は、四〇〇〇万人だった。(略)

 

 

ところが、過去数十年間に感染症の発生数も影響も劇的に減った。とくに世界の小児死亡率は史上最低を記録しており、成人するまでに亡くなる子供の割合は五パーセントに満たない。先進国では、その割合は一パーセントを切っている。

 

 

この奇跡は、二〇世紀の医療が空前の成果をあげたおかげであり、私たちは予防接種や抗生物質、衛生状態の向上、以前よりはるかに優れた医療のインフラ(基盤)の恩恵に浴している。(略)

 

 

過去数十年で最悪の医療上の失態に思えるエイズの悲劇ですら、医学の進歩の表れと見ることができる。一九八〇年代初期に初めて大規模な発生が起こって以来、三〇〇〇万以上の人がエイズで亡くなり、それ以外にも何千万もの人が身体的にも精神的にも深刻な痛手を受けて来た。

 

 

 

この新しい感染症を解明し、治療するのは難しかった。エイズは他に類を見ないほど狡猾な病気だからだ。天然痘のウイルスに感染した人が数日中に亡くなるのに対して、HIV感染者は何週間も何か月も健康そのものに見えるので、知らないうちに他人を感染させ続ける。そのうえ、エイズウイルスそのものが人を殺すことはない。

 

 

このウイルスは人間の免疫系を破壊し、そうすることで患者を他の多くの病気にさらす。エイズ患者の命を実際に奪うのは、こうして感染した二次疾患なのだ。そのため、エイズが流行し始めたとき、事態を解明するのは格別困難だった。(略)

 

 

エイズは恐ろしいほどの数の犠牲者を出して来たし、マラリアのような昔からの感染症で毎年何百万もの人が命を落とすものの、過去数千年間と比べれば、感染症は今日、人間の健康にとってはなはだ小さな脅威でしかない。(略)

 

 

新しい感染症はおもに、病原体のゲノムにおける偶然の変異の結果として起こる。そうした変異のおかげで、病原体は動物から人間へ感染したり、人間の免疫系を打ち負かしたり、抗生物質のような薬に抵抗したりできるようになる。

 

 

今日、人間が環境に与えている影響のせいで、そうした変異はおそらく以前よりも速く起こって拡がるだろう。それでも、薬に対する競争では、病原体はけっきょく、盲目の運命の手に身を委ねている。

それとは対照的に、医師はたんなる運以上のものを当てにしている。科学はセレンディピティ(訳註 思わぬものを偶然に発見する能力)に負うところが大きいとはいえ、医師はさまざまな化学物質をただ試験管に放り込んで、偶然新しい薬が出来上がるのを期待したりはしない。

 

 

 

年を経るごとに、より多くのより優れた知識を蓄積し、それを使って前より効果的な薬や治療法を考案する。二〇五〇年に私たちは今よりずっと抵抗力のある病原菌に間違いなく直面するだろうが、それでも二〇五〇年の医療は今日よりも効率的にそうした病原菌に対処できる可能性が高い。(略)

 

 

 

というわけで、新たなエボラ出血熱が発生したり、未知のインフルエンザ株が現れたりして地球を席巻し、何百万もの人命を奪うことがないとは言い切れないものの、私たちは将来そういう事態を、避けようのない自然災害と見做すことはないおう。むしろ、弁解の余地のない人災と捉え、担当者の責任を厳しく問うはずだ。(略)

 

 

だが、人間の性質そのものに固有の危険についてはどうだどう?バイオテクノロジーは私たちがバクテリアやウイルスを打ち負かすことを可能にしてくれるが、同時に、人間自体を前例のない脅威に変えてしまう。医師が新しい疾患を素早く突き止めて治療することを可能にしてくれる、まさにその手段が、軍やテロリストがさらに恐ろしい疾病や世界を破滅させる病原体を遺伝子工学で作ることも可能にしかねない。

 

 

したがって、何らかの冷酷なイデオロギーのために人類が自ら強力な感染症を生み出す場合にのみ、そうした感染症は将来、人類を危険にさらし続けるだろう。自然界の感染症の前に人類がなす術もなく立ち尽くしていた時代は、おそらく過ぎ去った。だが、その頃の方がましだったと懐かしむ日が訪れるかもしれない。」