読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (上) (第1章 人類が新たに取り組むべきこと)

「怖れ、うつ、トラウマは、砲弾や仕掛け爆弾や自動車爆弾の類が原因ではない。ホルモンや神経伝達物質や神経ネットワークが引き起こすのだ。二人の兵士がいっしょに待ち伏せ攻撃を受けたとしよう。

 

 

一人は極度の恐怖で凍り付き、正気を失い、その後何年も悪夢に苛まれるのに、もう一人は勇敢に突進し、勲章を受けるということもあり得る。その違いは二人の生化学的作用にある。だから、もしその作用を制御する方法が見つかれば、今より幸福な兵士と効率的な軍隊をいっぺんに生み出せるだろう。

 

 

生化学的作用の操作による幸福の追求は、世界における犯罪の最大の原因ともなっている。二〇〇九年、アメリカの連邦刑務所の囚人の半数は薬物のせいで収監され、イタリアの囚人の三八パーセントは薬物関連犯罪で有罪の判決を受けており、イギリスでは囚人の五五パーセントが薬物の利用あるいは売買に関連して罪を犯したことを報告している。(略)

 

 

これは社会的・経済的秩序の存続に対する脅威であり、だからこそ各国は、生化学的作用にかかわる犯罪に対して、断乎とした、血なまぐさい、そして絶望的な戦いを繰り広げているのだ。

 

 

 

国家は、「悪い」操作と「良い」操作を区別し、生化学による幸福の追求を統制することを望んでいる。その原因は明快だ。政治の安定や社会秩序や経済成長を増進する生化学的操作は許され、奨励さえされる(たとえば、学校で多動性の子供を落ち着かせたり、不安な兵士たちを先頭へと突き進ませたりするような操作)。(略)

 

 

生化学的な幸福の追求はしだいに加速しながら、政治や社会や経済を作り変えていき、ますます制御しにくくなるだろう。

そして、薬物はほんの序の口にすぎない。研究室の専門家たちはすでに、人間の生化学的作用を操作する、より高度な方法に取り組んでいる。たとえば、脳の適切な箇所に電気的な刺激を直接与えたり、私たちの身体の遺伝情報を遺伝子工学で操作したりする方法だ。(略)

 

 

また、幸福がたしかに至高の善であることには同意するものの、幸福とは快感の経験であるという生物学的な定義に異議を唱える人もいるだろう。

エピクロスはおよそ二三〇〇年前、快楽を過度に追及すればおそらく幸せではなく惨めになるだろう、と弟子たちに警告した。

 

 

 

その二世紀ほど前、ブッダはそれに輪をかけて過激な主張をし、快感の追及は実は苦しみのもとにほかならない、と説いた。(略)

ブッダのこの幸福感は、生化学的な見方との共通点が多い。快感はわき起こった時と同様にたちまち消えてしまうし、人々は実際に快感を経験することなくそれを渇望しているかぎり、満足しないままになるという点に関して、両者の意見は一致している。

 

 

 

ところが、この問題には二つのまったく異なる解決策がある。生化学的な解決策は、快感の果てしない流れを人間に提供し、けっして快感が途絶えることのないようにできる製品や治療法を開発するというものだ。

 

 

 

一方ブッダが推奨するのは、快感への渇望を減らし、その渇望に人生の主導権を与えないようにするというものだった。ブッダによれば、私たちは心を鍛錬し、あらゆる感覚が絶えずわき起こっては消えていく様子を注意深く観察できるようになれるという。(略)

 

 

今のところ、人類は生化学的な解決策のほうにはるかに大きな関心を抱いている。(略)

事の是非は議論できるだろうが、全世界の幸福を確保するという、二一世紀の二番目の大プロジェクトには、永続的な快感を楽しめるようにホモ・サピエンスを作り直すことが必須のように見える。

 

 

 

地球という惑星の神々

 

人間は至福と不死を追い求めることで、じつは自らを神にアップブレードしようとしている。それは、至福と不死が神の特性だからであるばかりではなく、人間は老化と悲惨な状態を克服するためにはまず、自らの生化学的な基盤を神のように制御できるようになる必要があるからでもある。もし私たちが自分の体から死と苦痛を首尾よく追い出す力を得ることがあったなら、その力を使えばおそらく、私たちの体をほとんど意のままに作り変えたり、臓器や情動や知能を無数の形で操作したり出来るだろう。(略)

 

 

人間を神へとアップグレードするときに取り得る道は次の三つのいずれかとなるだろう。生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学だ。(略)

これはSFのように聞こえるかもしれないが、すでに現実になっている。最近、サルたちが、体とはつながっていないバイオニックの手足を、脳に埋め込まれた電極を通して制御することを学習した。体の麻痺した患者たちは、頭で考えるだけでバイオニックの手足を動かしたり、コンピューターを操作したりできる。

 

 

もしやりたければ、あなたもすでに、「読心」電気ヘルメットを被って、自宅で電気器具を遠隔操作できる。脳に何も埋め込む必要はない。このヘルメットは、頭皮を通して伝わって来る電気信号を読み取ることで機能するからだ。(略)

そのようなヘルメットはオンラインでわずか四〇〇ドルで買える。(略)

 

 

 

これらの道がどこにつながっているのかも、神のような私たちの子孫がどんな姿をしているのかもわからない。未来の予言は楽にできたためしがないし、画期的なバイオテクノロジーのおかげで、ますます難しくなっている。(略)

 

 

何千年もの間、歴史はテクノロジーや経済、社会、政治の大変動に満ちあふれていた。それでも一つだけ、つねに変わらないものがあった。人類そのものだ。私たちの道具や組織は、聖書に描かれている時代の道具や組織とはおおいに異なるけれど、人間の心の奥底の構造は同じままだ。だからこそ私たちは、聖書のページや孔子の言行録、ソフォクレスエウリピデスの悲劇の中に、依然として自分の姿を見つけられる。

 

 

こうした古典的作品は、まさに私たちのような人間によって生み出された。だから私たちは、それらが私たちについて語っているように感じる。(略)

 

 

ところが、いったんテクノロジーによって人間の心が作り直せるようになると、ホモ・サピエンスは消え去り、人間の歴史は終焉を迎え、完全に新しい種類のプロセスが始まるが、それはあなたや私のような人間には理解できない。(略)

 

 

したがって、詳細ははっきりしないが、それでも歴史の全般的な方向性については自信が持てる。二一世紀には、人類の第三の大プロジェクトは、創造と破壊を行なう神のような力を獲得し、ホモ・サピエンスをホモ・デウスへとアップグレードするものになるだろう。言うまでもなく、この第三のプロジェクトは第一と第二のプロジェクトを含んでおり、その二つから勢いを得る。

 

 

私たちが自分の体と心を作り直す能力を欲しがっているのは、何よりも、老化と死と悲惨な状態を免れるためだが、いったんそれを手に入れてしまえば、私たちがそれほどの能力を利用して他に何をやりかねないか、知れたものではない。だから、人類の新たな課題リストは、じつは(多くの部門を持つ)たった一つのプロジェクト、すなわち、神性を獲得することと考えていいだろう。

 

 

 

これが非科学的に、あるいは完全に常軌を逸しているように思えるなら、それは人がしばしば神性の意味を誤解しているからだ。(略)人間を神にアップグレードすることについて語るときには、聖書に出てくる全能の天の父ではなく、古代ギリシアの神々やヒンドゥー教の神々のようなものを考えた方がいい。(略)

 

 

古代の農耕社会では多くの宗教が、超自然的な疑問やあの世には驚くほどわずかな関心しか見せなかった。そうした宗教はむしろ、農業生産高を増やすという、いかにも世俗的な問題に的を絞っていた。たとえば、旧約聖書の神は死後の報いや罰をいっさい約束していない。その代わり、神はイスラエルの民にこう告げる。「もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い「………」ならば、わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に「………」雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。わたしはまた、あなたの家畜のために野に草を生えさせる。

 

 

あなたは食べて満足する。あなたたちは、心変わりして主を離れ、他の神々に仕えてひれ伏さぬよう、注意しなさい。さもないと、主の怒りがあなたたちに向かって燃え上がり、天を閉ざされるであろう。雨は降らず、大地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えられる良い土地から直ちに滅び去る」(「申命記」第11章13~17節)(略)

 

 

 

からからに乾いたイスラエルという国は、どこかの恐れる神が天を閉ざし、雨を止めることをもう恐れてはいない。イスラエル人は、最近、地中海沿岸に巨大な海水淡水化プラントを建設したので、今や飲料水はすべて海から手に入れられるからだ。(略)

 

 

 

とはいえ、パニックを起こす必要はない。少なくとも、今すぐには。サピエンスのアップグレードは、ハリウッド映画に描かれるような突然の大惨事ではなく、徐々に進む歴史的過程となるだろう。ホモ・サピエンスがロボットの反乱で皆殺しになったりはしない。

 

 

むしろホモ・サピエンスは一歩一歩自分をアップグレードし、その過程でロボットやコンピューターと一体化していき、ついにある日、私たちの子孫が過去を振り返ると、自分たちがもはや、聖書を書いたり、万里の長城を築いたり、チャールズ・チャップリンのおどけに笑ったりした種類の動物ではなくなっていることに気づくということになるだろう。

 

 

 

これは一日にして起こりはしない。一年でも起こらない。じつは、無数の平凡な行動を通して、それはすでにたった今も起こりつつある。毎日、厖大な数の人が、スマートフォンに自分の人生を前より少しだけ多く制御することを許したり、新しくてより有効な抗うつ薬を試したりしている。

 

 

人間は健康と幸福と力を追及しながら、自らの機能をまず一つ、次にもう一つ、さらにもう一つという具合に徐々に変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうだろう。

 

 

 

誰かブレーキを踏んでもらえませんか?

 

冷静な説明はさておき、そうした可能性を耳にするとパニックを起こす人が多い。彼らはスマートフォンの助言には喜んで従うし、医師の処方する薬は何でも服用するのに、アップグレードされた超人と聞くと、「そんなものが出てくる前に死にたい」と言う。ある友人は、かつて私にこう語った。

 

 

歳を取ることに関して一番恐れているのは、時代遅れになって、周りの世界が理解できず、ろくにその役にも立てず、ノスタルジーに浸ってばかりの老人と化すことだ、と。これは、超人について耳にしたとき、私たちが種として集団で恐れることだ。(略)

 

 

 

私は初めてインターネットに出会った日のことを今でも覚えている。一九九三年のことで、私はまだ高校生だった。(略)うまくつながらなかったのだ。私たちはぶつぶつ文句を言ったが、イードーはもう一度やってみた。それから、もう一度、さらにもう一度。やがて、とうとう歓声を上げ、自分のコンピューターを近くの大学の中央コンピューターに接続できたと宣言した。

 

 

 

「それで、その中央コンピューターには何があるんだ?」と私たちが尋ねると、「うん、まだ何もない」とイードーは認めた。「だけど、入れようと思えば、ありとあらゆる種類のものを入れられる」という。(略)

 

 

その後、卓球をし、それから何週間も、イードーの馬鹿げた考えを物笑いの種にするという新しい暇つぶしを楽しんだ。(本書の執筆時点で)それから二五年もたっていない。それならば、今から二五年後に何が起こっているかなど、知れたものではないではないか。(略)

 

 

人は私たちが何か途方もない未知のものに向かってどれほど速く突き進んでいるかに気づき、死によってさえその未知のものから守ってもらえそうにないことを悟ると、誰かがブレーキを踏んで、私達を減速させてくれることを期待するという反応を見せる。だが私たちにはブレーキは踏めない。それにはいくつか理由がある。

 

 

第一にブレーキがどこにあるのか、だれも知らない。(略)したがって、あらゆるものを把握してつなぎ合わせ、全体像を見て取れる人は一人もいない。(略)第二に、仮に誰かがブレーキを踏むことにどうにか成功したら、経済が崩壊し、社会も運命を共にするだろう。(略)

 

 

 

個々の薬で起こることは、医学の各分野全体でも起こりうる。現代の形成外科は、第一次世界大戦中、ハロルド・ギリーズがオールダーショットの軍の病院で顔の損傷を治療し始めたときに誕生した。(略)

 

 

今日、形成外科医は、裕福な健常者をアップグレードして美しくすることを臆面もなく唯一の目的とする個人クリニックで大金を稼いでいる。

遺伝子工学についても同じことが起りかねない。もし億万長者が超人的に賢い子孫を遺伝子工学で作り出す意図を広言したら、世間がどれほど激しい抗議の声を上げるか、想像してほしい。

 

 

だが、そんなふうには事は進まないだろう。私たちは、ずるずるとそちらの方向に進んでいく可能性の方が高い。まず生まれて来る子供が致命的な遺伝病になる危険が高い遺伝子プロファイルを持った人々から始まる。彼らは体外受精を行ない、受精卵のDNAを検査する。何も引っかからなければ、万事順調というわけだ。

 

 

 

だが、DNA検査の結果、恐れていた変異が見つかれば、胚は廃棄される。

だが、なぜ卵子をたった一つだけ受精させるような、確率の低いことをするのか?いくつか受精させれば、たとえ三個か四個に欠陥があっても、少なくとも一個は健全な胚があるだろう。(略)

 

 

だが、無数の卵子を受精させた後、そのすべてに致命的な変異が見つかったらどうだろう?(略)そうする代わりに、問題のある遺伝子を取り換えればいいではないか。(略)現在の対外受精テクノロジーを使えば、「三人の親を持つ赤ちゃん」を生み出すことで、ミトコンドリア由来の遺伝病を克服することが技術的に可能だ。

 

 

細胞核のDNAは父親と母親に由来するが、ミトコンドリアのDNAは別の人に由来する赤ん坊を作るのだ。(略)

一年後の二〇〇一年、アメリカ政府は安全上と倫理上の懸念から、この処置を禁じた。

 

 

ところが二〇一五年二月三日、イギリスの議会はいわゆる「三人の親を持つ胚」法を可決し、国内でこの処置と、それに関連する研究を実施することを認めた。(略)

選別と取り換えの後に続く可能性のある次のステップは、修正だ。致命的な遺伝子を修正することがいったん可能になってしまえば、わざわざ他人のDNAを挿入するまでもないではないか。(略)

 

 

私たちは同じメカニズムを使って、命取りになる遺伝子ばかりでなく、致命的である度合いが低い疾患や、自閉症、知的障害、肥満などを引き起こす遺伝子を直し始めるかもしれない。我が子がそのようなものに苦しむのを望む人などいるだろうか?

 

 

あなたに娘ができるとして、利発で美しくて心優しい子である可能性が非常に高いものの、慢性のうつ病になることが遺伝子検査でわかったとしよう。試験管の中で素早く無痛の処置を行ない、長年に及ぶ悲惨な状態からその子を救いたいと、あなたは思わないだろうか?

 

 

 

そして、どうせその処置をするのなら、少しばかりその子の後押しをしてやらない手があるだろうか?人生は健康な人々にとってさえ困難で苦しい。それならば、その小さな女の子が標準以上の強力な免疫系や並外れた記憶力、とりわけ陽気な気質を持っていれば助けになる。

 

 

 

そして、たとえ我が子にそれを望んでいなかったとしても、隣人たちが子供にそうしたものを与えていたとしたらどうだろう?あなたは自分の子に後れを取らせるだろうか?また、子どもに遺伝子操作をすることを政府が国民全員に禁じている間に、北朝鮮がそうした処置を実施して驚異的な天才や芸術家や運動選手を生み出し、私たちの天才や芸術家や運動選手をはるかに凌駕してしまったらどうだろう?

 

 

こんな具合に、私たちは小刻みに歩を進めながら、デザイナーベビーカタログへの道を進んでいくのだ。(略)

どんなアップグレードも当初は治療として正当化される。(略)そのとおりかもしれないが、そこで終わるとはとうてい思えない。脳とコンピューターを首尾よくつなげられたら、私たちはそのテクノロジー統合失調症の治療にだけ使うだろうか?

 

 

もし本気でそう信じている人がいたら、その人は脳とコンピューターについては非常に詳しいかもしれないが、人間の心や人間の社会については、ろくに知らないのだろう。(略)

もちろん、人間は新しいテクノロジーの利用を制限できるし、実際に制限する。たとえば、優生学運動は第二次世界大戦後に人気が落ちたし、人間の臓器売買は今や可能で、大きな利益をもたらしうるが、これまでのところ、まだそれほど行われていない。

 

 

 

デザイナーベビーはいつの日かテクノロジーの面では実現可能になるかもしれないが、それは人を殺して臓器を摘出するのが可能なのと同じようなもので、大々的に行なわれることはないだろう。

 

 

 

私たちは戦争についてはチェーホフの法則の呪縛から免れることができたのと丁度同じように、他の活動分野でもその法則の束縛を脱することができる。舞台に登場した銃が、ついに発砲されずに終わることもあるのだ。だから人類の新たな課題リストについて考えることが肝要になる。

 

 

新しいテクノロジーの使用に関してある程度の選択肢があるからこそ、今何が起こっているのかを理解して、自ら決断を下し、今後の展開のなすがままになるのを避けるべきなのだ。」

 

 

〇 「今何が起こっているのかを理解して、自ら決断を下し、今後の展開のなすがままになるのを避けるべきなのだ。」

やっとこの主張が聞けました、ホッとしました。