読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (上) (第2章 人新世)

「生き物はアルゴリズム

 

ブタのような動物が欲求や感覚や情動の主観的世界を現に持っていると、どうすれば確信できるのか?(略)

情動はあらゆる哺乳動物(そして鳥類のすべてと、おそらく一部の爬虫類、さらには魚類までも)が共有している。すべての哺乳動物は、情動的な能力と欲求を進化させた。そして、ブタは哺乳動物だから、彼らにも情動があると推定して差し支えない。

 

 

 

生命化学者たちは過去週十年間に、情動は詩を書いたり交響曲を作曲したりするためだけに役立つ、何らかの謎めいた霊的現象ではないことを証明した。

じつは、情動は生化学的なアルゴリズムで、すべての哺乳動物の生存と繁殖に不可欠だ。これは何を意味するのか?

 

 

まず、アルゴリズムとは何かを説明するところから始めよう。これには重大な意義がある。それは、この重要な概念がこの後の多くの章で登場するからだけではなく、ニ一世紀がアルゴリズムに支配されるだろうからでもある。

 

 

アルゴリズム」は、私たちの世界で間違いなく最も重要な概念だ。私たちの生活と将来を理解したければ、アルゴリズムとは何か、そして、アルゴリズムが情動とどう結びついているかを理解するために全力を挙げるべきだ。

 

 

 

アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのことをいう。(略)もっと複雑な例には、料理のレシピがある。(略)生物学者かちは過去数十年間に、ボタンを押して紅茶を飲む人もアルゴリズムであるという確固たる結論に至った。(略)

 

 

 

次の世代に遺伝子を伝えるためには、生存の問題を解決するだけでは十分ではない。動物は繁殖の問題も解決する必要があり、これもまた、確率計算に基づく。自然選択は、繁殖の確率を求める迅速なアルゴリズムとして情慾と嫌悪感を進化させた。

 

 

美は「繁栄する子孫を残せる可能性が高い」ことを意味する。女性が男性を見て、「わぁ!なんて素敵なんでしょう!」と思った時や、メスのクジャクがオスのクジャクを見て、「まあ!なんてすごい羽!」と思った時には、自動販売機と似たようなことをしている。(略)

 

 

 

ノーベル経済学賞の受賞者たちでさえ、自分の決定のほんのわずかしかペンと紙と計算機を使って下していない。配偶者やキャリアや居住地などにかかわる、人生でもとりわけ重要な選択も含め、私たちが下す決定の九九パーセントは、感覚や情動や欲望と呼ばれるじつに精密はアルゴリズムによってなされる。(略)

 

 

農耕の取り決め

 

飼い主たちは自分の行動をどのように正当化したのか?狩猟採集民は自分が生態系に与えている害を自覚することは稀だったのに対して、農耕民は自分のしていることを百も承知していた。自分たちが家畜を利用し、人間の欲望や気紛れのなすがままにしていることを知っていた。彼らはこの行動を、新しい有神論の宗教の名において正当化した。そうした宗教は、農業革命に続いて雨後の筍のように出現し、広まっていった。(略)

 

 

旧約聖書時代のユダヤ教のような有神論の宗教は、新しい宇宙に即した神話を通して農耕経済を正当化した。それ以前、アニミズムの宗教は個性豊かな役者たちが数限りなく登場する壮大な京劇のようにこの世界を描き出していた。ゾウとオークの木、ワニと川、山とカエル、魔物と妖精、天使と悪魔などが、この森羅万象のオペラでそれぞれ役割を担っていた。

 

 

 

有神論の宗教は、その脚本を書き換え、世界を、人間と唯一神というたった二人の主要登場人物しかいないイプセン風の殺風景なドラマに作り変えた。(略)

私たちは普通、有神論の宗教は偉大な神を神聖視すると考えている。だが、その宗教が人間をも神聖視していることは忘れがちだ。

 

 

以前、ホモ・サピエンスは何千もの役者から成るキャストの一人にすぎなかった。それが、有神論の新しいドラマの中では、サピエンスが主人公になり、森羅万象がサピエンスを中心に回り始めた。

一方、神々は二つの関連した役割を与えられた。第一に、神はサピエンスのどこがそれほど特別で、なぜ人間が他のすべての生き物を支配し、利用するべきなのかを説明する。(略)

 

 

 

第二に、神々は人間と生態系との間を取り持たねばならなかった。アニミズムの世界では、誰もが他の誰とも直接話をした。(略)

ところが、有神論の宗教の世界では、人間以外の存在はすべて黙らされてしまった。したがって、人間はもう木や動物と話すことができなかった。(略)

 

 

 

なにしろ神は、「地上に人の悪が増し」たとき、「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」(「創世記」第6章5・7節)と思ったのだから。(略)

 

 

 

他の宗教、とくにジャイナ教と 仏教とヒンドゥー教は、動物たちになおさら強い共感を示してきた。これらの宗教は、人間とそれ以外の生態系とのつながりを強調する。(略)

それでもジャイナ教と仏教とヒンドゥー教を含め、農耕宗教はすべて、人間の優位性と動物の利用(食肉とすることや、たとえ肉を食べないにしても、乳を搾ったり、筋力を利用したりすること)を正当化する方法を見つけた。

 

 

 

そのどれもが、生き物には自然のヒエラルキーがあるので、一定の制限を遵守するかぎり、人間には他の動物を管理したり利用したりする資格があると主張した。(略)

狩猟採集民は、自分が優越した存在だとは考えていなかった。それは、生態系への自分たちの影響を自覚することがめったになかったためだ。(略)狩猟採集民は、シカが何を夢見ているのかや、ライオンが何を考えているのかを、絶えず自問しなければならなかった。さもないと、シカを狩ったり、ライオンから逃れたりできなかった。

 

 

 

それに対して農耕民は、人間の夢と考えに制御され形作られる世界に住んでいた。人間は依然として嵐や地震などの恐るべき自然の力にさらされていたものの、他の動物の願望に左右されることがぐんと減った。(略)

 

 

 

このように、農業革命は経済革命であると同時に宗教革命でもあった。新しい経済的関係が、動物の残酷な利用を正当化する新しい種類の宗教的信念とともに出現した。(略)

敬意を受けてしかるべき、感覚のある生き物から、ただの資産へという動物の降格が、牛とニワトリで止まることはめったになかった。

 

 

 

ほとんどの農耕社会は、さまざまな階級の人々を資産であるかのように扱い始めた。古代のエジプトや聖書時代のイスラエルや中世の中国では、些細な違反や罪を犯しただけで、人を奴隷にしたり、拷問にかけたり、死刑に処したりするのが一般的だった。

 

 

農場の運営について農耕民が牛やニワトリに相談しなかったのとちょうど同じように、王国の管理について支配者は農耕民に意見を求めようなどとは夢にも思わなかった。そして、民族集団や宗教的コミュニティどうしが衝突したときには、しばしば双方が相手の人間性を剥奪した。

 

 

「他者」を人間より下等の獣として描くことが、彼らをそのように扱うことに向けての第一歩だった。こうして農場は新しい社会の原型となった。そこには、うぬぼれた主人や、搾取するのがふさわしい劣等人種、絶滅させる機が熟した野生動物、こうした役柄の割り当て全体に祝福を与える、天上の偉大な神がみな揃っていた。」

 

 

〇 前作のサピエンス全史もそうでしたが、この本でも、すでに知っていると思っていた現実が、考えもしなかった事実に見えて来ます。ハラリ氏によって、光が当てられると、まるで違う光景が見えるという魔法を見せられているような驚きがあります。