読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (上) (第3章 人間の輝き)

「賢い馬

 

二〇一〇年、科学者たちはラットを使った並外れて感動的な実験を行った。彼らは一匹のラットを小さなケージに閉じ込め、それをずっと大きなケージに入れ、別のラットが大きなケージの中を自由に動き回れるようにした。

 

 

閉じ込められている方のラットは「遭難信号」を発した。すると、自由なラットも不安とストレスを感じている様子を見せた。ほとんどの場合、自由なラットは閉じ込められている仲間を助けにかかり、何度か試みるうちに、ケージの扉を開けて中のラットを解放することにたいてい成功した。(略)

 

 

 

多くのラットは、まず仲間を救い出し、チョコレートを分かち合った(ただし、もっと利己的に振舞うラットもかなりの数にのぼったので、卑劣なラットもいることがわかった)。

懐疑的な人は、自由なラットが閉じ込められた仲間を助けたのは、共感からではなく、苛立たしい「遭難信号」を止めるためにすぎなかったと主張して、実験の結果を退けた。(略)

 

 

 

私たち人間は、本質的にはラットや犬、イルカ、チンパンジーとそれほど違わない。彼らと同じで、私たちも魂を持たない。私たちと同じで、彼らも意識を持っているし、感覚と情動の複雑な世界も持っている。(略)

 

 

二〇世紀の初頭、「賢いハンス」と呼ばれる馬がドイツで有名になった。ハンスはドイツの町や村を巡りながら、ドイツ語の驚くべき理解力や、なおさら素晴らしい数学の技術を披露した。(略)「20-11はいくつ?」と書かれた紙を見せられると、ハンスはいかにもプロイセン風の見事な正確さで九回足を踏み鳴らした。(略)

 

 

 

一九〇七年に心理学者のオスカル・プフングストが新たに調査を始め、ついに真実を明るみに出した。じつはハンスは、質問者のボディランゲージや表情を注意深く観察して、正しい答えを出していたのだった。4×3はいくつかと訊かれたとき、蹄を特定の回数だけ踏み鳴らすことを質問者が期待しているのを、ハンスは過去の経験から知っていた。

 

 

そこで蹄で地面を叩き始め、その人の様子を一心に見守る。叩く回数が正解に近づくにつれて、質問者はしだいに緊張し、ハンスが答えの数に達する瞬間、その緊張が頂点に達する。ハンスはそれを、その人の姿勢や表情から読み取ることができた。そこで踏み鳴らすのをやめて見守っていると、驚きや笑いによってその緊張が解ける。こうしてハンスは、自分が正解したことを知る。(略)

 

 

 

ところが、じつはハンスの教訓はそれとは正反対だ。この一見は、私たちが動物の擬人化によって、動物の認知的能力をたいてい過小評価し、人間以外の生き物の特有の能力を無視することを実証している。(略)

もし私が中国人に4×3はいくつかと中国語で訊かれても、その人の表情やボディランゲージを観察しているだけでは、一二回足を踏み鳴らすことはとうていできないだろう。

 

 

 

ハンスにこの能力が備わっていたのは、馬たちが通常、ボディ乱ケージで意思を疎通させるからだ。(略)

もし動物たちがそれほど賢いなら、なぜ馬が人間を荷馬車につないだり、ラットが私たちを使って実験を行なったり、イルカが私たちにジャンプして輪をくぐらせたりしないのか?(略)

 

 

 

ホモ・サピエンスは他の動物とは完全に異なる次元に存在している、人間は魂や意識のような独特の本質を持っている、といったうぬぼれた身方を退けたところで、私たちはようやく、現実のレベルに降りて行って、私たちの種を優位に立たせる具体的な心身の能力について考察することができる。(略)

 

 

 

 

 

もし協力がカギなら、アリやハチは私たちよりも何百万年も前に集団で協力することを学んでいながら、なぜ私たちよりも先に核爆弾を開発しなかったのか?それは、彼らの協力には柔軟性が欠けているからだ。(略)

 

 

 

 

ゾウやチンパンジーなどの社会的哺乳動物は、ハチよりもはるかに柔軟に協力するが、それは少数の仲間や家族の間に限られている。彼らの協力は、直接の関係に基づいている。もし私がチンパンジーで、あなたもチンパンジーで、私があなたと協力したかったら、私はあなたを直接知っている必要がある。

 

 

 

あなたはどんなチンパンジーなのか?親切なチンパンジーなのか?邪悪なチンパンジーなのか?もしあなたを知らなかったら、いったいどうしてあなたと協力などできようか?私たちの知る限りでは、無数の見知らぬ相手を非常に柔軟な形で協力できるのはサピエンスだけだ。私たちが地球という惑星を支配しているという事実は、不滅の魂や何か独特の意識ではなく、この具体的な能力で説明できる。

 

 

 

革命万歳!

 

歴史を振り返ると、大規模な協力の決定的重要性を裏付ける証拠がたっぷり見つかる。勝利はほぼ例外なく、協力が上手だった側が得た。ホモ・サピエンスと他の動物たちとの戦いだけではなく、人間の異なる集団どうしの争いでもそうだった。

 

 

 

たとえばローマがギリシアを征服したのは、ローマ人の方が脳が大きかったからでも、優れた道具製作技術を持っていたからでもなく、効果的に協力できたからだ。歴史を通して、統制の取れた軍隊が、まとまりのない大軍を楽々打ち破り、結束したエリート層が無秩序な大衆を支配してきた。(略)

 

 

 

ついにロシア革命が勃発したのは、一億八〇〇〇万の農民と労働者が皇帝に対して立ち上がったからではなく、一握りの共産主義者が適切な時に適切な場所に身を置いたからだ。

 

 

 

ロシアの上流階級と中流階級が少なくとも三〇〇万人を数えていた一九一七年に、共産党(訳註 当時の名称はロシア社会主義民主労働党で、一九一八年にロシア共産党に改称)の党員はわずか二万三〇〇〇人だった。それにもかかわらず、共産党員たちは自らを巧みに組織したので、広大なロシア帝国を掌握できた。(略)

 

 

 

共産党員は一九八〇年代末までその手を緩めなかった。彼らは効果的な組織のおかげで七〇年以上も権力の座にとどまっていたが、やがてその組織にひびが入り、ついに倒れた。

 

 

 

一九八九年一二月二一日、ルーマニア共産主義独裁者ニコラエ・チャウシェスクは、首都ブカレストの中心部で大規模な政権支援集会を催した。それに先立つか月間に、ソヴィエト連邦が東ヨーロッパの共産主義政権への支援を打ち切り、ベルリンの壁が崩壊し、ポーランド東ドイツハンガリーブルガリアチェコスロバキアを革命が席巻した。

 

 

 

だが、一九六五年以来ルーマニアを支配してきたチャウシェスクは、一二月一六日から一七日にかけて国内の都市ティミショアラで彼の取裡に対する暴動が起こっていたにもかかわらず、その大津波に耐えられると信じていた。チャウシェスクは対策の一環として、民衆の大多数が依然として彼を敬愛している(あるいは少なくとも恐れている)ことをルーマニア国民と全世界に証明するために、ブカレストで大規模な集会を開く手筈を整えた。(略)

 

 

 

 

ところがそのとき、とんでもないことが起った。あなたもYou Tubeでそのときの光景を目にすることができる。「Ceausescu's last speech (チャウシェスクの最後の演説)」で検索するだけで、歴史が作られる瞬間が見られる。

 

 

 

You Tube の動画では、チャウシェスクがまたしても長たらしい文を始めて、「ブカレストにおけるこの偉大な催しの発起人と主催者諸君に感謝し、それを――」と言いかけたところで急に沈黙し、目を大きく見開き、信じられないという顔で凍り付く。彼はついにその文を言い終えることはなかった。

 

 

 

その瞬間に、一つの世界がまるごと崩壊するところが見られる。聴衆のうちの誰かが野次を飛ばしたのだ(大胆にも野次を飛ばしたその最初の人物が誰なのか、今日でもまだ議論は尽きない)。続いて、一人、また一人と野次を飛ばし、ものの数秒のうちに群衆は口笛を吹いたり、罵詈雑言を浴びせたり、「ティニショアラ!ティミショアラ!」と連呼したりし始めた。

 

 

 

これはすべて、ルーマニアのテレビで実況され、国民の四分の三が胸をドキドキさせながら画面に釘付けになった。悪名高い秘密警察セクリターテが放送の停止をただちに命じたが、テレビ局の現場チームがそれに服従せず、放送はほんのしばらく中断されただけだった。(略)

 

 

 

エレナ夫人は「静かに!静かに!」と聴衆を叱り始めたが、やがてチャウシェスクが振り向き、「お前こそ、静かに!」と怒鳴りつけた。その声は、万人の耳に届いた。それからチャウシェスクは、広場の興奮した群衆に懇願するように、「同志たちよ!同志たちよ!静かにしたまえ、同志たちよ!」と訴えた。

だが、同志たちは静かにする気にはならなかった。

 

 

 

ブカレストの中央広場を埋めた八万の人々が、毛皮の帽子を被ってバルコニーに立っている老人よりも自分たちのほうがはるかに強力だと気づいたとき、共産主義国ルーマニアは脆くも崩れた。

 

 

 

とはいえ、真に驚愕するべきなのは、体制が崩壊した瞬間ではなく、その体制が何十年もまんまと生き延びてきたことだ。革命はどうしてこれほど稀なのか?一般大衆が長年にわたって拍手喝采し、バルコニーの男の命じるままに行動するなどということがなぜあるのか?理論上はいつでも突進して行ってその男を八つ裂きにできるというのに。(略)」

 

 

〇 今の安倍独裁体制と重ね合わせて、読みました。

 

見知らぬ人と協力できるためには、共通の価値観(道徳)が必要

共通の価値観を破壊しながら、その体制(独裁体制)を維持しようとするとき、

強制力が必要になる。共通の幻想(大本営発表・マスコミ統制)、もしくは、奴隷や牛馬を管理するような力づくの管理が必要になる。

力づくの管理は、「見知らぬ人との協力」を破壊する。

互いに相手を信じられない人々の集団になる。

独裁体制は本当の意味での国民の協力を引き出さない。

故に一部の既得権益を持つ人々だけに支持されている

安倍独裁政権は、一刻も早く打ち壊して、多くの人々が真に

協力し合える国(情報を隠蔽し改竄する国ではなない民主主義が機能している

国)を目指さなければ、結局誰にとっても不幸な悲惨な行政しかない、

今のような国になってしまう。