読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下) (第11章 データ教)

「権力はみな、どこへ行ったのか?

 

政治学者たちも、人間の政治制度をしだいにデータ処理システムとして解釈するようになってきている。資本主義や共産主義と同じで、民主主義と独裁制も本質的には、競合する情報収集・分析メカニズムだ。(略)

 

 

 

これは、ニ一世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している。データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかも知れない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(略)

 

 

 

今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。

インターネットの台頭からは、将来の世界がうかがえる。今ではサイバースペースは私たちの日常生活や経済やセキュリティーにとってきわめて重要だ。それなのに、いくつかのウェブの設計から一つを選ぶという重大な選択は、それが主権や国境、プライバシー、セキュリティのような従来の政治的な問題に関連して居るにもかかわらず、民主的な政治プロセスを通して行われなかった。あなたはサイバースペースの形態について投票などしただろうか?

 

 

 

ウェブの設計者たちが人々の目の届かない所で決定を下したため、今日インターネットは自由で無法のゾーンであり、国家の主権を損ない、国境を無視し、プライバシーを無効にし、ことによると最も恐るべき世界的なセキュリティのリスクとなっている。サイバースペースでの大規模なテロは一〇年前にはまったく警戒の対象になっていなかったが、今日、ヒステリックな役人はサイバースペース版の九・一一が差し迫っていると予測している。(略)

 

 

 

政府というカメはテクノロジーというウサギに追いつけない。政府はデータを持て余している。アメリカのNSA国家安全保障局)は私たちの会話や文書をすべて監視しているかもしれないが、この国の外交政策が繰り返し失敗していることから判断すると、ワシントンにいる人は集めた厖大なデータをどうすればいいのかわかっていないようだ。

 

 

 

世界で何が起こっているかを一政府がこれほどよく知っていたことは歴史上かつてないが、それでも、現代のアメリカほどしくじりを重ねた帝国はほとんどない。アメリカは、相手がどんなカードを持っているかを知っているのに負けてばかりいる、間抜けなポーカープレイヤーのようなものだ。

 

 

 

私たちは今後の数十年に、インターネットのような革命をいくつも目にするだろう。そのような革命では、テクノロジーが政治を出し抜く。AIとバイオテクノロジーは間もなく私たちの社会と経済を ―― そして体と心も ―― すっかり変えるかも知れないが、両者は現在の政治のレーダーにはほとんど捕捉されていない。

 

 

 

今日の民主主義の構造では、肝心なデータの収集と処理が間に合わず、たいていの有権者は適切な意見を持つほど生物学や人工頭脳学を理解していない。したがって、従来の民主主義政治はさまざまな出来事を制御できなくなりつつあり、将来の有意義なビジョンを私たちに示すことができないでいる。

 

 

 

一般の有権者は、民主主義のメカニズムはもう自分たちに権限を与えてくれないと感じ始めている。世界は至る所で変化しているが、彼らはなぜ、どのように変化しているかわかっていない。権力は彼らから離れていっているが、どこへ行ったのかは定かではない。

 

 

 

イギリスでは、有権者は権力はEUに移ったかもしれないと思っているので、「ブレグジット(イギリスのEU離脱)」に賛成票を投ずる。アメリカでは有権者は既成の体制が権力をすべて独占していると思っているので、バーニー・サンダースドナルド・トランプのような反体制の候補を支持する。

 

 

だが、権力がみなどこへ行ったか誰にもわからないというのが、悲しい真実なのだ。イギリスがEUを離れても、トランプがホワイト・ハウスを引き継いでも、権力は一般の有権者のもとには絶対に戻らない。

 

 

だからといって私たちは、ニ〇世紀のもののような独裁制に立ち返るわけではない。独裁的な政権もやはり、テクノロジーの発展のベースや、データの流れの速度と量に圧倒されているようだ。二〇世紀には、独裁者は将来への壮大なビジョンを持っていた。共産主義者ファシストもともに、古い世界を完全に破壊してそこに新しい世界を建設しようとした。(略)

 

 

 

SF映画では、ヒトラーのような冷酷な政治家がそういったテクノロジーにたちまち飛びつき、あれやこれやの誇大妄想的な政治の理想の実現に利用する。ところがニ一世紀初頭、現実の世界の政治家は、ロシアやイランや北朝鮮のような独裁国家においてさえ、ハリウッド映画に登場するような人物とは全く違う。彼らはどんな「素晴らしき新世界」の構想も練っていないようだ。(略)

 

 

プーチンの野心はもっぱら旧ソヴィエトブロック、あるいはさらに昔のロシア帝国を再構築することに限られているらしい。(略)

今やテクノロジーは急速に進歩しており、議会も独裁者もとうてい処理が追いつかないデータに圧倒されている。まさにそのために、今日の政治家は一世紀前の先人よりもはるかに小さなスケールで物事を考えている。

 

 

 

結果として、ニ一世紀初頭の政治は壮大なビジョンを失っている。政府はたんなる管理者になった。国を管理はするが、もう導きはしない。(略)

これは、見ようによってはとても良いことだ。二〇世紀の大きな政治的ビジョンのいくつかがアフシュヴィッツや広島や大躍進政策へとつながったことを考えると、私たちは狭量な官僚の管理下にあったほうがいいのかもしれない。(略)

 

 

 

ビジョンの欠如がいつも恵であるわけではなく、また、あらゆるビジョンが必ずしも悪いわけではない。二〇世紀に、陰惨なナチスのビジョンは自然に崩れたのではなかった。同じくらい壮大な社会主義自由主義のビジョンに打ち負かされたのだ。

 

 

 

私たちの未来を市場の力に任せるのは危険だ。なぜならその力は、人類や世界にて良いことではなく、市場にとって良いことをするからだ。市場の手は目に見えないだけでなく、盲目でもあるので、放って置くと、地球温暖化の脅威やAIの危険な潜在能力に関して何一つしないかもしれない。(略)

 

 

とはいえ、権力の空白状態はめったに長続きしない。二一世紀に、従来の政治の構造がデータを速く処理しきれなくて、もう有意義なビジョンを生み出せないのならば、新しくてもっと効率的な構造が発達してそれに取って代わるだろう。

 

 

そのような新しい構造は、民主主義でも独裁制でもなく、以前の政治制度とはまったく異なるかもしれない。唯一の疑問は、そのような構造を構築して制御するのは誰か、だ。もはや人類がその任務を果たせないのなら、ひょっとすると誰か別の者に試させることになるかもしれない。」

 

 

〇 「自由・平等・博愛」を掲げ人権を謳い、民主主義を造り上げた西洋人はすごいなぁと思っていました。少なくともより良い社会を作りたいと必死になって頑張った、そしてそれを形にした、そこが凄いなぁと思います。

 

ここで、ハラリ氏が語っている未来への恐れも、基本的には、その土台は崩れずにある、ということを前提にしているように感じます。

飢えも戦争も疫病も封じ込めた人間は、更にこれから何を目指すのか…と。

 

でも、テクノロジーの話やデータの話について行けない私が、

漠然とした不安を感じてしまうのは、私がもう老人だからでしょうか。

 

自由・平等・博愛・人権・民主主義…全てみんなで作り上げたイメージです。

みんなで、〇〇であればよいのに…との願いを形にしようとして作り上げた

理想とか夢とかいうようなものです。

 

 

それって、そんな理想や夢など何の意味もない、と考える人間が多数を占める時代になると、崩れてしまうのではないでしょうか。

そこが、崩れる時、また人間は大昔と同じように、戦争ばかりするようになり、

疫病がはやり、力を結集できなくなり飢えるようにもなる…。

 

 

どんなにテクノロジーがあって、ビッグ・データがあっても、それを人々の幸福な社会のためには使われない、という可能性も考えてしまいます。

 

簡単に言うと、人間の脳が退化し猿に近い動物に戻ってしまったら、そうなる可能性もあると思うのですが。