読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下) (第11章 データ教)

「歴史を要約すれば

 

データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈してもいいかもしれない。一人一人の人間はそのシステムのチップの役目を果たす。そう解釈すれば歴史全体を、以下の四つの基本的な方法を通してこのシステムの効率を高める過程として捉えることも出来る。

 

 

1 プロセッサーの数を増やす。(略)

2 プロセッサーの種類を増やす。(略)

3 プロセッサー間の接続数を増やす。(略)

4 既存の接続に沿って動く自由を増やす。(略)

 

 

これらの四つの方法は相容れないことがよくある。たとえば、プロセッサーの数と種類が増せば増すほど、それらを自由に接続するのが困難になる。したがって、サピエンスのデータ処理システムの構築は、それぞれ異なる方法に重点を置く、四つの主な段階を経て来た。

 

第一段階は認知革命とともに始まった。認知革命によって、厖大な数のサピエンスを結び付けて単一のデータ処理ネットワークにすることが可能になった。(略)ところが、異なる土地や気候帯に分散するにつれて互いに繋がりを失い、さまざまな文化的変化を経験した。その結果、人類の文化は限りなく多様になり、それぞれが独自の生活様式や行動パターンや世界観を持つに至った。したがって、歴史の第一段階は、人間というプロセッサーの数と種類の増加を伴い、互いの結びつきを犠牲にした。(略)

 

 

 

第二段階は農業革命とともに始まり、約五〇〇〇年前に書字と貨幣が発明されるまで続いた。農業のおかげで人口の増加が加速したため、人間というプロセッサーの数は急増した。同時に、農業により、ずっと多くの人が互いに近接して暮らせるようになり、それにしたがい、かつてないほどの数のプロセッサーを含む、高度な局地的ネットワークが生まれた。さらに、農業は、異なるネットワークどうしが交易したり意思を疎通させたりする新たな誘因や機会を生み出した。

 

 

 

それにもかかわらず、この第二段階の間は、遠心的な力が優勢なままだった。書字と貨幣が発明されていなかったので、人間は都市も王国も帝国も樹立できなかった。(略)

 

 

第三の段階は約五〇〇〇年前に書字と貨幣の発明とともに始まり、科学革命の始まりまで続いた。書字と貨幣のおかげで、人類による協力の重力場はついに遠心的な力に打ち勝った。人間の集団同士が緊密に結びつき、一体化して都市や王国を建設した。(略)少なくとも、貨幣制度や帝国や普遍的な宗教が出現した紀元前一〇〇〇年紀以来、人類は全世界を網羅するような単一のネットワークの構築を意識的に夢見るようになった。

 

 

この夢は、一四九二年ごろに始まった。歴史における最新の第四段階の間に実現した。近代前期の探検家や征服者や商人は、全世界を覆う最初の細い糸を張り巡らせた。近代後期にはこれらの糸はより強く、より濃密になり、コロンブスの時代のクモの巣は、ニ一世紀には鋼とアスファルトのネットワークになった。

 

 

さらに重要なのは、このグローバルなネットワークの隅から隅まで、情報がますます自由に流れることができるようになった点だ。(略)だが年月を経るうちに、自由市場や科学界、法の支配、民主主義の普及などが相まって、こうした障壁を消滅させるのを助けた。

 

 

私たちは、民主主義と自由市場が勝利したのは、それらが「善い」からだと考えることが多い。じつは、それらが勝利したのは、グローバルなデータ処理システムを向上させたからだ。

 

 

こうして人類は過去七万年間に、まず拡散し、その後別々の集団に分かれ、最後に再び一体化した。とはいえ、この統一の過程が私たちを最初の状態へ連れ戻すことはなかった。さまざまな人間の集団が融合して今日の地球村になったとき、それぞれの集団はそれまで集め、発展させてきた独自の考えと道具と行動の遺産を持ち寄った。

 

 

 

現代の私たちの食糧庫は、中東が原産地である小麦やアンデス山系が原産地のジャガイモ、ニューギニアが原産地の砂糖、エチオピアが原産地のコーヒーなどで満杯だ。同様に、私たちの言語や宗教、音楽、政治には、地球全域の先祖伝来の財産があふれている。

 

 

もし本当に人類が単一のデータ処理システムだとしたら、このシステムはいったい何を出力するのだろう?データ至上主義者なら、その出力とは、「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる、新しい、さらに効率的なデータ処理システム創造だと言うだろう。この任務が達成されたなら、ホモ・サピエンスは消滅する

。」

 

〇 「貨幣制度や帝国や普遍的な宗教が出現した紀元前一〇〇〇年紀以来、人類は全世界を網羅するような単一のネットワークの構築を意識的に夢見るようになった…」という文章を読み、引っかかるものを感じました。

 

この「人類」の中に我ら日本人は入っていたのだろうか、と。

私たちは、全世界を網羅するような単一のネットワークを夢見たのか、そして今も夢見ているのか。

 

例えば、 「説明責任」という言葉がありますが、これは、ある普遍的な価値観を共有している人々の間でしか意味をなさない責任ではないのか、と思います。平気で嘘をつくことが、一般的になり、多くの人が噓をついていると考えられる時、どんな説明も意味がありません。

 

「嘘は良くない。許されない。」という価値観がしっかり生きている時に初めて、説明が意味を持つ。

こんなことは、小学生でもわかることだと思います。

 

 

なのに、我国の政治家たちには、それがわかっていないらしい。

そんな「道理」さえ分からずに、全世界を網羅する単一のネットワークが作れるでしょうか。