読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「おれの息子は、天皇のために死んだ」

 

本島長崎市長は、朝日新聞で「(自分の発言に対する)支持の手紙には、戦争は国民が「天皇の御ために」と実践し、天皇もそれを知っていたはずという内容のものが多い。天皇の責任の問題は庶民の大多数の心にあるんですね」と語っている。(略)

 

 

その雑誌に載ったのは、前記の津田論文をさらに法的=制度的に詳細に論じた論文だが、これに対して、確か九十歳近い一老人からの激烈な反論、というより抗議が寄せられていた。

 

 

 

それを要約すれば、「冗談言うな。おれの息子は天皇のために死んだ、軍部に騙されて死んだんじゃない」といったものであった。

これが津田博士のいわれる「自然のなりゆき」、「無理もない。天皇のために死んだのならまだあきらめがつくが、軍部にだまされて死んだと言われては、息子は死んでも死にきれまい」、といった感情であり、これは同時に、天皇はそのことへの責任を感じてほしいという気持ちになるであろう。

 

 

津田博士の言われる「皇室への敬愛」は、ここで実に強い愛憎両端となる。それは人間の感情の「自然のなりゆき」であり、「天皇の責任の問題は、庶民の大多数の心にあるんですね」が上記の意味なら、そのとおりであろうと私は思う。

 

 

いささか個人的感慨になるが、この問題は私にとって「他人事」ではない。多くの同僚・部下は戦死し、部隊長も戦死した。その遺族が来て、「陛下の御ために……」と言ったとき、「いや、違います……」と津田博士の論文と、今まで記したことを相手に言えるか、となると、正直言って、その自信は、私にはない。そう思うことがその人の「救い」であるから、そのままそっとしてあげたいという気持ちはある。

 

 

津田博士のように戦時中は「思想的大逆行為」と告訴され、戦後は天皇制イデオローグの如く、高倉テルに批判されても歴史学者として知的誠実を貫くということは、同時代に生きてその現場にかかわった一凡人には、いざとなると難しい。やはり「功罪」は、歴史家に委ねるべきかもしれぬ。」

 

 

〇 お国を守る為に命を懸ける…… 戦争に行く時には、そう心から信じられなければ、無理だろうな、という気がします。だからこそ、戦争をしたい人は、人々のそんな「信仰心」を煽る必要があるのだと思います。

 

心から「陛下の御ために……」と信じて死んで行った人の想いを、そっとしておきたい、という気持ちはとてもよくわかります。

 

でも、そのことと、そのカラクリをもう一度使って、天皇への信仰心を煽り、「お国のために…」と命をかける国民を育てようとするのは、全く違うと思います。

 

「すべてを自然のなりゆき……」とするやり方が、とても危ういのは、そこだと思うのです。

軍部は国民を騙した。そこをはっきり人々に知らしめ、次世代に受け継ぎ、

もう二度と同じ過ちは繰り返さない、そうしっかり自覚して意識しなければ、また、自然のなりゆきで、「陛下の御ために…」と言う国民になってしまいます。

 

それが、嫌なのです。だから、責めるべきものはきちんと責め、間違いをみんなで

共有しなければ、ならないと思うのです。原発事故に関しても、天皇制における、天皇の役割に関しても。