読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

街場の天皇論 (「私が天皇主義者になったわけ」)

 

〇 ブログ「内田樹の研究室」以外のタイトルは、「あとがき」も含め12タイトルあるのですが、その中から、3タイトルだけ、メモしておこうと思います。

 

「Ⅰ死者を背負った共苦の「象徴」

   私が天皇主義者になったわけ

 

—— 2016年8月8日の「おことば」以来、天皇の在り方が問われています。死者という切り口から天皇を論じる内田さんにお話を伺いたい。

 

 

昨年の「おことば」は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。

日本国憲法の公布から70年以上が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてきました。その年来がの施策をにじませた重い「おことば」だったと私は受け止めています。

 

 

「おことば」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾しています。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実戦は要求されない。

 

 

しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。そこで言われた象徴的行為とは実質的には「鎮魂」と「慰藉」のことです。

 

 

「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの慰藉とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「おことば」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。

 

 

死者たち、傷ついた人たちの傍らにあること、つまり「共苦すること(compassion)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。

憲法第7条には、天皇の国事行為として、法律などの公布、国会の召集、大臣や大使などの認証、外国大使や公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行ふこと」とあります。

 

 

陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示された。それは宮中で行う宗教的な儀礼に限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者の傍らに寄り添うことである、と。

憲法第1条は、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、われわれ日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。

 

 

天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。けれど、陛下は「おことば」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。日本国憲法下での天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。

 

 

「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむものの傍らに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、当然それなりの身体的な負荷がかかる。

 

 

だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。

「おことば」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言ったものがおりましたけれど、「おことば」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えません。

 

 

国会の召集や大臣などの認証や大使などの接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないからです。「全身全霊をもって」というのは「命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。

 

 

天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願することであること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上で、さらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と今ここで苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。

 

 

これを明言したのは天皇制史上はじめてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について自ら明確な定義を下したというのは、前代未聞のことです。

 

私が「画期的」と言うのはそのような意味においてです。

 

—— 天皇は非人称的な「象徴」(機関)であると同時に、人間的な生身の「個人」でもあります。象徴的行為では、天皇の象徴性(記号性)と人間性(個人性)という二つの側面が問題になると思います。

 

 

昭和天皇もそのような葛藤に苦しまれたと思います。大日本帝国憲法下の天皇はあまりに巨大な権限を賦与されていたために、人間的な感情の発露を許されなかった。だから、昭和天皇の心情がどういうものであったのか、われわれは知ることができない。開戦のとき、また終戦のとき、天皇がほんとうは何を考え、何を望んでおられたのか、誰も決定的なことは知りません。

 

 

けれども、日本国憲法下での象徴天皇制70年間の経験は、今の陛下に「自分の気持ち」をある程度はっきりと国民に告げることが必要だという確信をもたらしました。

 

 

 

天皇は自分の個人的な気持ちを表すべきではないという考え方もあると思います。そういう考え方にも合理性があることを私は認めます。けれども、政治に関与することのない象徴天皇制であっても、その時々の天皇人間性が大きな社会的影響力を持つことは誰にもとめられない。

 

 

 

そうであるならば、私たち国民は天皇がどういう人柄で、どういう考えをする方であるかを知っておく必要がある。「国民の安寧と幸福」に資するために天皇制はどのようなものであるべきかは、天皇制とともに、私たち国民も考え続ける義務ああります。法的に一つの決定的なかたちを選んで、その制度の中に皇室を封じ込めて、それで「けりをつける」というような硬直的な構えは採るべきではありません。(略)

 

 

しかし、国民が議論を怠っている間にも、陛下は天皇制がどういうものであるべきかについて熟考されてきた。「おことば」にある「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。

 

 

 

そして、その模索の結論が「象徴的行為」を果たすのが象徴天皇である」という新しい天皇制解釈でした。私はこの解釈を支持します。これを非とする人もいるでしょう。それでもいいと思います。天皇制の望ましいあり方について戦後70年ではじめて、それも天皇ご自身から示された新しい解釈なのですから、この当否について議論を深めてゆくのはわれわれ日本国民の権利であり、また義務でもあるからです。

 

 

—— 象徴的行為は死者と自然にかかわる霊的行為です。これはシャーマニズム的だと思います。

 

 

 

どのような共同体にも共同体を統合させ、基礎づけるための霊的な物語があります。それについては、近代国家も例外ではありません。どの国も、その国が存在することの必然性と歴史的意味を語る「物語」を必要としている。それはアメリカであれ、中国であれ、ロシアであれ、変わりません。

 

 

天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきた。その本質的機能は今でも変わっていないと私は思います。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはまさにそのことだからです。

 

 

 

問題は、鎮魂すべき「死者」とは誰かということです。われわれがその魂の平安を祈る死者たちとはだれのことか。これが非常にむずかしい問題です。

伝統的に、死者の鎮魂において、政治的な対立や敵味方の区分は問題になりません。日本の伝統では体制に抗い、弓を引いたものをも「祟り神」として鎮めます。

 

 

崇徳天皇菅原道真や、平将門が祭神として祀られているのは、まさに彼らの荒ぶる霊を鎮めなければ、「祟り」をなすと人々が信じていたからです。死者はみな祀る。恨みを残して死んだ死者も手厚く祀る。死者を生前の敵味方で識別してはならないというのは、日本人の中に深く根付いた伝統的な死生観です。(略)

 

 

だからといって、「四海同胞」なのだから、人類誕生以来の死者すべてを平等に鎮魂慰霊すればいいというわけではない。それでは「国民統合」の働きは果たせない。象徴的行為の目的はあくまでも国民の霊的統合ですから、どこかで、ここからここまでくらいを「私たちの死者」として慰霊するという、鎮魂対象についてのゆるやかな国民的合意を形成する必要がある。

 

 

だからこそ、陛下は戦地を訪れておられるのだと思います。宮中にとどまったまま祈ることももちろんできます。けれども、それでは誰を慰霊しているのか判然としなくなる。戦地にまで足を運び、敵も味方も現地の非戦闘員も含めて、多くの人が亡くなった現場に陛下が立つのは、「ここで亡くなった人たち」というかたちで慰霊の対象を限定するためです。

 

 

 

日本人死者たちのためだけに祈るわけではありません。アメリカ兵のためにも、フィリピン市民のためにも祈る。でも、「人類全体」のために祈っているわけではない。そのような無限定性は祈りの霊的な意味をむしろ損なってしまうからです。死者がただの記号になってしまう。

 

 

だから、「敵味方の区別なく」であり、かつ「まったく無限定ではない」という二つの条件を満たすためには、どうしても現場に立つしかない。それが鎮魂慰霊のために各地を旅してきた陛下が経験を通じて得た実感だと私は思います。

 

 

鎮魂の儀礼が必要であるのはもちろん日本に限ったことではありません。他国には他国のそれぞれの霊的な物語がある。例えば慰安婦問題がそうです。日韓合意は日本との経済関係や軍事的連携を優先するという合理的な考え方に基づくものだったけど、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に」解決するには至りませんでした。

 

 

 

それは、韓国の人たちが「このような謝罪では、恨みを呑んで死んだ同胞が許さない」という死者の切迫を感じているからです。南京大虐殺でもそうです。問題は今ここの現実的な利害ではありません。慰安婦について強制連行があったかなかったか、南京で何人が虐殺されたのか、その事実が開示されなければ今ここで直ちに大きな被害を受けるという人がいるわけではありません。

 

 

でも、恨みを抱えて死んだ同胞の慰霊を十分に果たさなければいずれ「何か悪いこと」が起きるということについては世界中のどの国の人も確信を抱いている。

 

 

 

死者の切迫とは「これでは死者が浮かばれない」という焦燥のことです。その「浮かばれるか、浮かばれないか」という幻想的な判断が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。「成仏できない死者たち」が現実の政治過程に強い影響を及ぼしているという点では、実は古代も現代も変わっていないのです。その意味では私たちは今もまだ「シャーマニズムの時代」と地続きに生きているのです。

 

 

現に、今でも建設現場では工事を始める前に地鎮祭というものを行います。これは土地の守に挨拶を送り、供え物をして、工事の無事を願う儀礼です。どんなゼネコンでも地鎮祭をなしで済ますことはありません。儀礼をしなければ「何か悪いこと」が起きるということを現場の人たちは知っているからです。

 

 

劇場でもそうです。どんな近代的な劇場でも、楽屋の入口には稲荷が勧請してあります。(略)

「死者をして安らかに眠らせる」ということは古代でも、近代国家においても、等しく重要な政治的行為です。「死者をして安らかに眠らせないと、何か悪いことが起きる」という信憑を持たない社会集団は存在しません。死者を軽んじれば、死者は立ち去らず、「祟り」をなす。

 

 

 

死者のために祈れば、死者はしだいに遠ざかり、その影響力も消えてゆく。何も起こらないようにするために、何かをする。それが儀礼というものです。死者を鎮め、死者をして死なしめること、それはあらゆる社会集団にとって必須の霊的課題なのです。そのことはわれわれ現代人だって熟知している。だからこそ、陛下は旅することを止められないのです。

 

 

—— しかし安倍政権の対応は冷ややかでした。

 

官邸には鎮魂や慰藉ということが統治者の本務だという意識がないからでしょう。天皇は権力者にとっての「玉」に過ぎない、統治のために利用する「神輿」でいいと、そう思っている。

 

 

僕は今の政権まわりの人々からは天皇に対する素朴な崇敬の念をまったく感じることができません。彼らはただ国民の感情的なエネルギーを動員するための政治的「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。

 

 

天皇を自分たちの好きに操るためには、天皇を御簾の奥に幽閉しておく必要がある。定型的な国事行為だけやっていればいい、個人的な「おことば」など語ってほしくない、というのが政権の本音でしょう。

 

 

何より今回、陛下がこれからの天皇制がどうあるべきかについてはっきりした「おことば」を発表した背景には、安倍政権が天皇制を含めて、国のかたちを変えようとしていることに対する危機感が伏流していると私は思っています。正面切って言われませんけれど、私は感じます。

 

 

—— 天皇陛下のおことばは、そもそも日本にとって天皇とは何か、という問題を提起していると思います。

 

 

この70年間、私も含めて日本人はほとんど「天皇制とはいかにあるべきか」について真剣な議論をしてきませんでした。それは認めなければならない。

私が記憶する限り、戦後間もない時期が最も天皇制に対する関心は低かったと思います。「天皇制廃止」を主張する人がまわりにいくらもいたし、冷笑的に「天ちゃん」と呼ぶ人もいた。

 

 

 

それだけ戦時中に「天皇の名において」バカな連中がなしたことに対する恨みと嫌悪感が強かった。東京育ちの私の周囲には、天皇に対する素朴な崇敬の念を口にする人はほとんどいませんでした。私もそういう環境の中で育ちましたから、当然のように「現代社会に太古の遺物みたいな天皇制があるのは不自然だ。何より立憲民主制と天皇制が両立するはずがない」と思っていました。

 

 

その頃に天皇制の存否についてアンケートを受けたら、「廃止した方がいい」と答えたと思います。

しかし、それからだんだん年を取り、他の国々の統治システムについて知り、自分自身も政治的なことにかかわるようになってくると、話はそれほど簡単ではないと思うようになりました。

 

 

 

ソ連や中国のような国家は、たしかにいかなるシャーマニズム的な要素も排して、すっきりと合理的な原理に基づいて統治されているという話になっている。でも、実際には、現世的な政治指導者がなぜか「国父」とか「革命英雄」とか祭り上げられて、神格化され、宗教的な崇拝の対象になっている。

 

 

どうやら、そういう「合理的に統治されている国」でも、霊的権威というものの支えがないと国民的な統合ができないらしい。そういうことがわかってきました。そして、現世的権威者が霊的権威者をも兼務するそういった国では、権力者は自動的に独裁者になり、独裁者の周辺には強者におもねる奸臣・佞臣の類が群がり、不可避的に政治がどこまでも腐敗してゆく。

 

 

アメリカやフランスの場合は、それとは逆に頻繁に政権交代が行われます。とりあえずは社会のあり方についての対立する二つの原理が共存し、矛盾、葛藤している。けれども、私の眼には、どうもこちらの方が住みやすそうに見えた。そういう国の方が、統治者が間違った政策を採択したあとの補正や復元の力が強い。

 

 

 

どうやら「楕円的」というか、二つの統治原理が拮抗している政体の方が「一枚岩」の政体よりも健全のようである。そう思うようになりました。

 

 

翻って日本を見た場合には、天皇制と立憲民主制という「氷炭相容れざるもの」が拮抗しつつ共存している。でも、考えてみたら、日本列島では、卑弥呼の時代のヒメ・ヒコ制から、摂関政治征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきたわけです。

 

 

 

この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。

大日本帝国の最大の失敗は、「統帥権」という、本来は天皇に属しており、世俗政治とは隔離されているはずの力を、帷幄上奏権を持つ一握りの軍人が占有したことにあります。

 

 

統帥権」というアイディアそのものは、伊藤博文たちが大日本帝国憲法を制定した時点では、天皇の力を政党政治から「隔離する」ための工夫だったのでしょうが、1930年代になって「統帥権干犯」というトリッキーなロジックを軍部が発見したせいで、いかなる国内的な力にも制約を受けない巨大な権力機構が出現してしまった。

 

 

そうすることで、拮抗すべき祭祀的な原理と軍事的な原理を一つにまとめてしまうという日本の政治文化における最大の「タブー」を犯した。それが敗戦という巨大な災厄を呼び込んだ。私はそう理解しています。

 

 

 

ですから今は、昔のように「立憲民主制と天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が政体として安定しており、暮らしやすいのだ」と説明するようにしています。

 

 

単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりも息苦しく、抑圧的で、そしてしばしば脆弱です。それよりは中心が二つある「楕円的」な仕組みの方が生命力も復元力も強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。

 

 

—— 「国体護持」ですね(笑)

 

「國體」という言葉に意味があるとすれば、この二つの中心の間で推力と斥力が作用して、微妙なバランスを保っている力動的なプロセスそのもののことと私は理解しています。日本の国のかたちを単一の政治原理に律された硬直的なものではなく、二力が作用しあう、ある種の均衡状態、運動過程として理解したい。祭祀的原理と軍事的・政治的原理が拮抗し合い、干渉し合い、決して単一の政治綱領に教条化することもなく、制度として硬直化・惰性化することもないこと、それが日本の伝統的な「国柄」の望ましいかたちでしょう。

 

 

安倍内閣の大臣たちが言う「国柄」という言葉が意味しているのは固定的なイデオロギーによって締め上げられた抑圧的な政治支配のことですけれど、私はそういう単純で、硬直化した思考ほど、日本のあるべき「国柄」の実現を妨げるものはないと思います。

 

 

天皇制の卓越性ということを真剣に考えるようになったことの一因には、何年か前に韓国のリベラルな知識人と話した時に「日本は天皇制があって羨ましい」と言われたことがあります。あまりに意外な言葉だったので、「どうして、そう思うのか」と理由を尋ねるとこう答えてくれました。

 

 

「韓国の国家元首は大統領です。でも、大統領は世俗的な権力者に過ぎず、いかなる道徳的価値の体現者でもない。だから、大統領自身もその一党も権威を笠に着て不道徳なふるまいを行う。だから、離職後に、元大統領が逮捕され、裁判にかけられるという場面が繰り返される。(略)

 

 

 

それに比べると、日本には天皇がいる。仮に総理大臣がどれほど不道徳な人物であっても、無能な人物であっても、天皇が体現している道徳的なインテグリティ(無欠性)は損なわれない。そういう存在であることによって、天皇は倫理の中心として社会的安定に寄与している。それに類する仕組みがわが国にはないのです」と彼は言いました。

 

 

言われてみて、確かにそうかもしれないと思いました。日本でも総理大臣が国家元首で、国民統合の象徴であり、人間としての模範であるとされたら、国中が道徳的な無規範状態に陥ってしまうでしょう。

 

 

啓蒙思想の時代に、ジョン・ロックやトマス・ホッブズが説いた近代市民社会論は「自分さえよければそれでいい」という考え方を全員がすると社会は「万人の万人に対する戦い」となり、かえって自己利益を安定的に確保できない。だから、私権の制限を受け入れ、私利の追及を自制して、「公共の福利」を配慮した方が確実に私権・私利を守れるのだ、という説明で市民社会が正当化されました。

 

 

自己利益の追求を第一に考える人間は、その利己心ゆえに、自己利益の追求を控えて、公的権力に私権を委譲することに同意する。

「真に利己的な人間はある場合には非利己的にふるまう」という考え方です。

 

 

でも、私は今の日本社会を見ていると、この近代市民社会論のロジックはもう破綻していると思います。「このまま利己的にふるまい続けると、自己利益の安定的な確保さえむずかしくなる」ということに気づくためには、それなりの論理的思考力と創造力が要るわけですけれど、現代日本人にはもうそれが期しがたい。

 

 

しかし、それでもまだわが国には「非利己的にふるまうこと」を自分の責務だと思っている人が間違いなく一人だけいる。それだけをおのれの存在理由としている人がいる。それが天皇です。

 

 

 

1億2700万人の日本国民の安寧をただ祈る。列島に暮らすすべての人々、人種や宗教や言語やイデオロギーにかかわらず、この土地に住むすべての人々の安寧と幸福を祈ること、それを本務とする人がいる。そういう人だけが国民統合の象徴たりうる。天皇制がなければ、今の日本社会はすでに手の付けられない不道徳、無秩序状態に陥っていただろうと私は思います。(つづく)」

 

 

〇 「……日本には天皇がいる。仮に総理大臣がどれほど不道徳な人物であっても、無能な人物であっても、天皇が体現している道徳的なインテグリティ(無欠性)は損なわれない。そういう存在であることによって、天皇は倫理の中心として社会的安定に寄与している。……」という文章を読み、危ないなぁと思いました。

 

確かにそう考えたくなるのは、分かるし、実際、平成天皇はその「理想」を体現しようと頑張っておられたので、このような天皇制をもつ私たちの国は幸運だと感じました。

 

でも、私は「たかが人間」がそれほどすっきり「無欠性」を体現できるとは信じられないのです。Aさんから見て素晴らしいと思える長所が、Bさんから見て愚かしい欠点に見える、等のことは、簡単に生じてしまうのが、人間社会です。

 

天皇も一人の人間だとすれば、必ずその類の「ズレ」は起こってしまうはずです。

それを誰もが「素晴らしい」と思える「完全無欠な象徴」として存在させるには、

再び御簾の奥に幽閉する必要が生じてしまうと思います。

 

 

そして、また「大本営発表をする」マスコミが、「素晴らしい天皇陛下」と褒め称える情報で、国民の頭を洗脳するようになるのです。

 

私は「たかが人間」の天皇にそのような「無欠性」を求めるべきではないと思う。

天皇もただのヒトです。

ただ、文化を背負って、天皇という役割を果たしてくれる人、と考えないと、

また、同じ過ちを繰り返すと思います。

 

「(前よりつづく)

—— たしかに東日本大震災のとき、菅直人総理大臣しかいなかったら、もっと悲惨な状況になっていたと思います。

 

 

震災の直後に、総理大臣と天皇陛下のメッセージが並んで新聞に載っているのを読みました。まったく手触りが違っていた。総理大臣のメッセージは可もなく不可もない、何の感情もこもっていない官僚的な作文でした。けれども、天皇陛下のメッセージは行間から被災者への惻隠の情が溢れていた。

 

総理大臣のメッセージは「誰かにつっこまれないように」言い落としや言い過ぎがないことを最優先に配慮したものでした。査定されることを前提にして、そこであまりひどい点をつけられないために書かれていた。それが「官僚的作文」ということですけれど、そのような言葉が人の心に届くはずがない。

 

 

でも、それに対して陛下のメッセージは誰かに査定され、点数をつけられるということを想定していなかった。災害で苦しむ人たちへの共苦の思いが、何の装飾もなく、率直に記されていた。国難のときに、精神的な国民的統合の中心には陛下がいなければならないと私はそのとき思いました。自分の首を心配している政治家にはその役は務まらない。

 

 

 

—— 内田さんは天皇の役割について「権威」ではなく「霊的権力」「道徳的中心」という言葉を使っています。

 

 

勘違いしている人が多いのですが、道徳というのは別に「こういうふうにふるまうことが道徳です」というリストがあって、そのリストに従って暮らすことではありません。そう考えている人がほとんどですけれど、違います。道徳というのは、何十年、何百年という長い時間のスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという思考習慣のことです。

 

 

ある行為の良し悪しは、リストと照合して決められることではありません。短期的にはよいことのように思われるが、長期的には大きな災厄をもたらすリスクがあることもあるし、逆に短期的には利益が期待できないけれど、長期的には大きな福利をもたらす可能性があることもある。

 

 

 

結局は一番長いタイムスパンの中で今ここでのふるまいを考量できる人の判断が一番信頼度が高い。「一番長いタイムスパン」とは、自分が生まれる前のことも、自分が死んだあとのことも含めた長い時間の幅のことです。「私がこれをしたら死者たちはどう思うだろう」「私がこれをしたら未来の世代はどう評価するだろう」というふうに考える習慣のことを「道徳的」と言うのです。

 

 

道徳心がない人間のことを「今だけ、金だけ、自分だけ」とよく言いますけど、言い得て妙だと思います。(略)

ですから、次の選挙まで一時的に権力を負託されているに過ぎない総理大臣と、原理的には悠久の歴史の中で自分の言動の適否を判断しなければならない天皇では、そもそも採用している「時間的スパン」が違います。

 

 

安倍政権は赤字国債の発行でも、官制相場の維持でも、原発再稼働でも、要するに「今の支持率」を維持するためには何でもします。死者たちはどう思うか、未来の世代はどう評価するかというようなことは何も考えていない。「私の政策に不満があるなら、次の選挙で落とせばいい」というのは、たとえ今の政策が未来に禍根を残すことがあったにせよ、それについては何の責任も取る気がないと公言しているに等しいのです。

 

 

どれほど日本の未来を傷つけても、その責任は次の選挙での議席減(それに伴う影響力の減損)というかたちで果たされ、それ以上の責任追及には一切応じない、そう公言しているのです。

 

 

天皇の道徳性というのは、そのときどき天皇の地位にある個人の資質に担保されるわけではありません。千年、二千年という時間的スパンの中に自分を置いて、「今何をなすべきか」を考えなければいけない。そのためには「もうここにはいない」死者たちを身近に感じ、「まだここにはいない」未来世代をも身近に感じるという感受性が必要です。私が「霊的」というのはそのことです。天皇が霊的な存在であり、道徳的中心だというのは、そういう意味です。

 

 

 

—— 古来、天皇は霊的役割を担ってきました。しかし、そもそも近代天皇制国家とは矛盾ではないか、天皇と近代は両立するのか、という問題があります。

 

 

現に両立しているじゃないですか。むしろ非常によく機能していると言っていい。象徴天皇制日本国憲法下において、昭和天皇と今上陛下の思索と実践によって作り上げられた独特の政治的装置です。長い天皇制の歴史の中でも稀有な成功を収めたモデルとして評価してよいと私は思います。国民の間に、それぞれの信じる政治的信条とも、宗教的立場ともかかわりなく、天皇に対する自然な崇敬の念が穏やかに定着したということは近世以後にはなかったことじゃないですか。

 

 

江戸時代には天皇はほとんど社会的プレゼンスがなかったし、戦前の天皇崇拝はあまりにファナティックでした。肩の力が抜けた状態で、安らかに天皇を仰ぎ見ることができる時代なんか、数百年ぶりなんじゃないですか。

 

 

—— 最後に、これから我々はいかに天皇を戴いていくべきか伺いたいと思います。

 

私にはまだよくわからないです。世界中で日本だけが近代国家、近代市民社会の形態をとりながら古来の天皇制を存続させている。霊的権力と世俗権力の二重構造が統治システムとして機能し、天皇が象徴的行為を通じて国民の精神的な統合を果たしている。こんな国は見回すと世界で日本しかありません。(略)

 

 

かつてレヴィ=ストロースは人間にとって真に重要な社会制度はその期限が「闇」の中に消えていて、起源にまで遡ることができないと書いていました。親族や言語や交換は「人間がそれなしでは生きてゆけない制度」ですけれども、その起源は知られていない。

 

 

天皇制も日本人にとっては「その起源が闇の中に消えている」太古的な制度です。けれども、21世紀まで生き残り、現にこうして順調に機能して、社会的安定の基盤になっている。終戦後には、いずれ天皇制をめぐる議論で国が二分されて、社会不安が醸成されるというリスクを予想した人はいました。

 

 

でも、天皇制が健全に機能して、政治の暴走を抑止する働きをするなんて、50年前には誰一人予測していなかった。そのことに現代日本人はもっと驚いていいんじゃないですか。」