読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「なぜ天皇の戦争責任について考えるのか

 

竹田 まず、この対談の発端について、簡単に述べておこうと思います。事の起こりはロンドンです。僕は、一九九八年から九九年にかけてイギリスにいましたが、橋爪さんが仕事でオーストリアに行かれて、その途中ロンドンに立ち寄って会いに来てくれました。

 

 

そのとき、この対談の話がでました。橋爪さんが言うには、加藤さんがある場所で「天皇に戦争責任はある」と発言していたのを聞いて、ぜひ話をしてみたいと思った。自分としては「天皇に戦争責任はない」と思う。他の人ならともかく、その仕事に一目おいている加藤さんとのあいだに考え方の違いがあるならば、その違いをはっきりさせておきたい。ロンドンで橋爪さんがそんなふうに言われて、では僕が司会役を引き受けましょうということで、この対談が実現したわけです。(略)

 

 

 

橋爪 では、まず私の基本認識から述べますと、いまの日本は端的に「停滞」していると思うわけです。これをなんとか先に進めたい、と私は思っているわけですね。

なぜ停滞しているかというと、次のような理由によります。私たちは、「戦後」という社会のなかにいながら、その戦後という社会の構造が掴めないでいる。

 

 

そしてそれを乗り越えるきっかけを自分の中にみつけられないでいる。それを先にすすめるためのひとつの大事な論点になるのが「天皇」だと思います。(略)

つまり、戦前と戦後を明確に区分したうえで、戦後社会の正統性をこれまで以上に主張し、しかも天皇の戦争責任は問わないという議論が可能だと思った。それをこれから証明しようと思うんですが、この直感がまず核になっているわけです。

 

 

 

天皇の戦争責任」というような問い方を終わらせることが、戦後を内側から乗り越えるためには必要な作業であるように思うのです。そしてそれが、戦後という時代にピリオドを打ち、日本の市民社会をさらに成熟させ、まともなものにするための、重要な第一歩となると思うのです。(略)

 

 

加藤 (略)僕は、新しく今回考えてみて、天皇の責任として最後に残る確信の問題は、戦争の死者、とくに兵士に対して、昭和天皇がいわば統帥権者たる一個人として道義的な責任を放棄したことなんじゃないか、と考えるようになった。僕個人としてというより、日本の戦後社会の問題として、そういうことがあるという考えにいたった。

 

 

僕はいま、いわゆるこれまでどおりの天皇の戦争責任なるものを、われわれが糾弾するというやり方は、もうやめたい、やめるべきだとすら思っています。これでは国民の責任がはっきりしないままだから。それと同時に、ほんとうのことを言うと、この問題の核心は、別の所にある。昭和天皇の戦争の死者に対する道義的責任、これをどう考えるか、という問題を僕たちが自分で解くこと、これが大事だというのが、僕が「天皇の責任はある」と言う時、いま頭にあるいちばん大きな内容だといえます。(略)

 

 

橋爪 いま、いろいろな話がでました。

最初に賛成する点を言っておけば、日本国民の責任というかたちで、天皇の戦争責任を考えていくことが重要であるいという点です。(略)そこで、その正統的な後継団体である日本国の、その実質的な主権者である日本国民がその責任を継承し、そのありかたを追及していくというのは、はずすことのできない基本的な考え方の筋道だと思う。だから日本国民は、戦争を行った当事者として、この問題を考えていくべきなんですね。(略)

 

 

私が「戦争責任がない」という場合は、これから証明すべき、論証すべき事柄として言いたい。日本国民が主体的に、正確に大日本帝国の行動の論理と内部構造を検討し、その結果、「天皇の戦争責任」というかたちに結論をもっていくのは正しくないと判断したというふうに議論を進めたい。そこで私は、いわゆる天皇擁護論や、天皇を政治的に利用したアメリカの占領政策から、「天皇に戦争責任はない」と言うのではなく、それとはまったく別の視点から、これを言いたいと思っているわけです。これが一点です。

 

 

つぎに、では「天皇に戦争責任がある」という立場に、いったいどれだけのリアリティがあると言えるのか、について。、いろいろな言い方がありますが、ひとつは「建前上、戦前は天皇が主権者となっていたのだから、戦争を起こしたり負けたりしたことについては、まずまっさきに主権者の天皇に責任があるのではないか」という言い方。

 

 

もうひとつは左翼の言い方で、「自分は天皇制に反対している。戦前であろうと戦後であろうと天皇は存在しないほうがいいわけだがら、戦争責任があるというかたちで天皇を糾弾し否定したい」という言い方。このどちらも、私がいま言った、天皇の戦争責任があるのかないのかをきちんと論証していくという態度からは遠いと思う。むろん、私は賛成できなかった。戦争責任を擁護する側にせよ、追及する側にせよ、私が納得できる考え方の筋道で議論を進めているものはなかったんですね。(略)

 

 

 

加藤 僕からの竹田さんの問いへの答えは、こうなると思う。まずなぜ戦争責任というものが問題になるのか、ということで、問題はふたつにわかれる。ひとつは竹田さんの言う、「戦争を始めた責任」が国際的なルール上、問題になるケース。もうひとつは、戦後の日本が近隣諸国と新たな関係をつくっていくに際して、共通了解の基盤をつくるうえで必要になる、いわばそのための侵略責任とそれへの謝罪の意思の明確化という戦争責任の問題のケースです。(略)

 

 

だから、問題は第二のケースにあると考えた方がよい。「まずはじめに、戦争責任というものをどう考えればいいか」。それにはむろん、東京裁判の時点での、大日本帝国の開戦責任、「平和に対する罪」など国際法上の問題というものあるけれど、いまの時点での対外的な責任の中心は、そこにはなくて、むしろ近隣諸国との関係をつくるうえでいま障害になっている、侵略責任のあいまいなままでの放置、ということにある。つまり、この戦争問題の厚生の出発点は、この戦争が総体として、近隣諸国への侵略の責任を問われなくてはならない戦争だと一方の日本人は感じ、いや、そうではない、ともう一方の戦後日本人が思っている、という評価に関するコンセンサスの不在にあると思う。(略)

 

 

橋爪 そうした認識や感覚はわかるし、私も共有しています。(略)

ただ、これをうまく言うのはとてもむずかしいことだと思います。

そこで、ちょっと別な言い方で言ってみますが、たとえば天皇の戦争責任を言い立てているものの代表として、井上清昭和天皇の戦争責任」、家永三郎「戦争責任」、吉田裕「昭和天皇終戦史」をあげてみましょう。

 

 

 

ここで述べられていることを、簡単にかみくだいて言うと、戦争をめぐる考え方の筋道に関してはだいたい同じなんです。(略)

そして、その責任を追及している著者、およびその背後にいる日本国民は、そのぶんだけ無責任というか、無当責になっている。

 

 

いわば戦後日本という安全な場所から、自分たちとは無関係な人々のこととして、戦争をした(あるいは、せざるをえなかった)大日本帝国を糾弾している。私に言わせれば、こんなことはなんの意味もない。

もし「天皇に戦争責任がある」と言うのであれば、一九四五年八月十五日、それ以前に言うべきです。それだったら緊張感もあり、現実的な態度であり、なにごとかであったと思う。

 

 

 

戦後の日本で何かを言うんだったら、戦後の日本国という国家がどのように動いているか、という現場の感覚をもって言うべきです。その感覚を抜きにして、終わってしまった戦争の責任を言うことに、私はとても不健全なものを感じる。なぜかというと、日本国と大日本帝国とのあいだには連続と不連続があるけれど、その不連続性だけを確認するために言っているわけで、連続しているという現実を見ないことになるからです。

 

 

そのことによって、戦後の日本国民が担うべき責任はなにかを考えていく、というプラスの方向を切り捨ててしまった。それは、現在の問題、たとえば自衛隊原発のような問題を考えるときの無責任な態度に直接つながっていると感じます。」