読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「責任とは何か

(略)

橋爪 まず、個々人がお互いに責任を追及し合うのはなぜかというと、行為に先立って「自分はこう行動すべきである。相手はこう行動すべきである」という予測があるからです。そして、それが裏切られたときに、現状を追認しないで、「ああなるはずだったのに、なぜあなたはこう行動するのですか」と相手を問い詰めることになる。

 

 

 

これが責任の原型でしょう。つまり、そこには、実際に生じたのとは違った「あるべき状態」、「規範」というものがなければいけないし、それが共有されていないと、責任という問題は生じてこないわけです。ここに実にむずかしい問題がある。どういう範囲の人たちが、どういう状況下で規範をわけもつのか、この共同性がないところでは責任は追及できないわけです。

 

 

 

みんな勝手に利己的に自分の都合で行動していればそれでいいという状態を認めてしまえば、責任なんて問うても意味がなくなるわけですね。

そこで、そういう規範をわけもつ状態、ルールが生まれるためには、どういう条件が必要かというふうに考えてみると、いまルソーがひきあいに出ましたけど、たしかに合意からルールは生まれる。合意というのは、あらかじめ「こういう場合にはこうしようね」といろいろな場合について思考実験をし、ある範囲の人びとが意思を確認し合う。つまり約束する。そうやって「あるべき状態」を共有することにして、共同社会をつくりあげる。

 

 

 

これはひとつの合理的な考え方だと思う。しかし、ルソーの示したのはひとつの可能性にすぎない。社会のなかのルールは、そういう合意によって生まれるケースもあるだろうけれど、むしろ多くの社会のあり方は、そうではない。なぜそういうルールがあるのか、なぜある範囲の人たちがそのルールに属していて、別の人たちが属していないのかということが、全然、説明のないままずっとそこにあり続けるという状態のほうがむしろ普通ではないでしょうか。(略)

 

 

 

これも私にはなんの相談もないけれど、私の生きている社会を成り立たせるルールの来歴をたどるときにどうしてもたどらなければならない過去だから、不合理であっても自分の一部分として引き受ける。それは他のどんな社会に生まれた人々もみなそうだと思います。すべてが合意で形成されるというのは、それはルールを正当化するためのフィクションとしてはありうるけれども、社会の実態とは違うわけです。(略)

 

 

 

橋爪 次に起こってくるのは、ある範囲の人びとが(おそらくは慣習によって)ある具体的なルールに従っていたのだけれど、これが内側や外側から脅かされるということです。つまり、ルールがなくなってしまう危険ですね。内側からというのは、rule違反が累積するということで、殺人のような不法行為が増えてしまうことです。(略)

 

 

 

個々人は台頭なので、責任を追及すると言っても、相手に無理強いする方法がない。そこで、暴力をもちいても犯罪の責任を追及するという、刑法が必要になります。ルール違反を本人の意思にかかわらず処罰する、という責任追及の仕方が起こってくる。

この刑法は、処刑という、一方的に暴力を独占するかたちを必要とし、つまるところ権力になっていき、最終的には国家というものになっていくわけです。(略)

 

 

 

現実問題として、こういう原型的な国家がどこの社会でも、程度の差こそあれつくられていったと思います。これを認めないと、そのルールに従い、あるべき社会を実現するというスタンスでもって人間は生きていくことが出来なかったんだと思う。(略)

 

 

 

橋爪 ええ。

そうするとその次には、実際に権力を担う個人がいなければならないという問題が起こります。それも、はじめは仲間として生きていたはずの彼が、一方的に正邪を判断し、判決をくだし、あるいは戦争を始める、そういう権限をもった特別の個人になるわけです。そういう個人の出現はやむをえない。でも、その権力をもった彼が、実は、ルールに従うとはかぎりません。

 

 

そこで一般のひとびとにとっての最大の問題は、権力をもっている彼が、自分たちがルールであると思っていたものに従わなかった場合はどうしたらいいのか、ということになる。言い方を変えれば、権力をもっている彼が自分に命令をくだして、それが自分がルールだと思っているものと違った場合、従ったほうがいいのか従わないほうがいいのかという問題が起こる。これがたぶん、国家というシステムにつきまとういちばん苦しい問題で、ここから道徳と法律が分離するわけですね。(略)

 

 

橋爪 なぜこの話をしているかというと、それは大日本帝国の成り立ちというものを理解したいし、昭和天皇というものを理解したいからなんです。そしてこの話題は、日本が明治以後、また戦後に、どのような近代を営んできたのかという問題に直結する。

 

 

 

結論の先取りになるかも知れないけれど、私の観点をあらかじめ述べると、昭和天皇近代主義者であり、合理主義者であり、徹底して近代人であろうとした人物です。だから、大日本帝国立憲君主制の枠内で理解しようとし、その原理原則にのっとって行動した。近代のルールにのっとって行動することが、国家に対する自分のつとめだと考えた。

 

 

しかし、他の人々はかならずしもそういうふうに理解していなかった。昭和天皇がそこまで近代的だとは、想像できなかったんですね。じゃあどういう文脈で他の人々が理解していたかというと、大日本帝国憲法の背後に必ずしも文字に書かれていない部分、日本というルールを共有する共同体が伝統的に存在していたという非合理性を背後にしていたわけなんだけれども、それでもって昭和天皇をながめようとした。

 

 

 

それは大日本帝国憲法のいくつかの条文に表われているし、その背後にある思想にも表れています。明治維新や、その前にさかのぼるいろいろ歴史的な経緯の累積として、大日本帝国憲法があるのです。

一方で、大日本帝国憲法の範型となった西欧型の立憲君主国の主権や権力や責任のあり方についておさえるのと同様、もう一方でそれを受け取ったの本社会の特殊な文脈を理解しておかないと、そのはざまに立たされた昭和天皇がおかれた状況はわからないと思うわけです。(略)

 

 

 

加藤 僕はね、それは賛成だけれども、そのことの確認という要素を、この問題の考察の一番基本的な条件の中には入れない。いまの戦後の憲法は、戦前の大日本帝国憲法にくらべれば、国民主権の近代原理の基本はおさえている。僕はなにもこの戦後の近代的な観点で、戦前の事例をそのまま裁断するのがいいなんて言いません。その当時の了解の推移を確定することは大事だと思う。でも、それが当時の状況におかれた人間の行為として妥当だったかどうか、ということを判断する最終的な基準は、その戦後の近代的な観点にある。

 

 

 

橋爪 私の言い方だと、「戦後の近代的な観点」によって大日本帝国の妥当性や問題性を判断する、というふうにはならなくて、そもそも近代という観点によって大日本帝国ならびに戦後日本の妥当性や問題性を検証する、となるなあ。もちろん私も、戦後的な価値観を擁護したいし、もっと強固に推し進めたいと思っているわけです。

 

 

 

しかし、現状は大変不徹底である。不徹底である理由はいろいろあるけれど、たとえば天皇に戦争責任があるといういい方の中に、戦後的価値の不徹底をみることができる。そこで、戦後的な価値観には立つけれど、だからなおのこと、大日本帝国憲法が戦後的な価値観によるものとは別な構築物であるという側面をよくみておかないと、たとえば「近代化がたりなかった」とかいう形の糾弾になってしまい、天皇が個人として極限状況で個々の場面にどのように行動していたのかというぎりぎりの像が、正確に見えなくなると思うのです。

 

 

 

私に言わせれば、戦前、その制約の中でもっとも近代的に行動し、戦後日本を準備したのは昭和天皇なのです。」