読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

天皇言説の歪み

 

竹田 話を聞いていると、二人の考えがちょうど交差するところがみえてきた、という感じがします。橋爪さんの考え方はこうだと思う。戦争責任を問う場合、原則として当時の状況に立って考えるべきであり、いまの時点から結果論的に判定するのは無効である。

 

 

当時の状況に立って戦争責任を考えてみると、そこに法的な責任があるとはいえない。だから、問題を違うかたちに変えなければならない。そういうことですね。僕の記憶では、橋爪さんはだいぶ前に、こう言っていた。戦争責任というのは、ふたたびああいう戦争を起こさないようにするために、現在われわれがどう考えればいいのか、国と自分との関係をどういう原理、原則でつくりなおせばいいのか、また自分の国と外国との関係をどういう方向にすすめていくべきか、そういうことが考えるべき基本であって、誰があるいは何が悪かったのかというような犯人捜しにはそれほど大きな意味がない。

 

 

もちろん、きちんと責任の範囲を明確にすることには意味があるけれども、と。その考え方は、僕のルール社会舷側からする市民主義的な考え方からいっても、非常にフィットすると思った。

 

 

いま言ったような基本線としては、加藤さんの考えも違っていないと思う。厳密に当時の時点にたつならば、戦争責任は構成されない。ただ加藤さんの場合、そういう犯人捜しではなくて、われわれがいま、ここの時点から、あの戦争をよくなかったものと感じ、もう一度その責任のあり方の意味をはっきりさせることには重要性がある、という力点だと思う。

 

 

加藤 (略)

天皇の道義的責任を問う、という場合には、どういう場所からそれが問えるのか、ということが問題になります。僕は、戦後、天皇の道義を相対化できるのは、象徴的にいうと、天皇の道義よりも深い、戦争の死者の道義なんじゃないか、と考えています。(略)

 

 

井上清とか家永三郎とか、そういう人たちの言っている天皇糾弾論には、この自国の戦争の死者との向き合い、というのが欠けている。この自国の死者を否定しなくちゃいけない、アジアの死者に謝罪するというのはそういうことなんだ、と考えられていて、この二つの死者の対立の構造がある。

 

でも、僕たちがもし天皇には責任があると感じるとしたら、それはまず第一に、僕たちが戦争の死者とのつながりを引き受けるからなんじゃないだろうか。また僕達がアジアの被侵略国の死者ならびに住民に対し責任があると感じるとしたら、それもまず僕達が戦争の死者とのつながりを認めるからなんじゃないだろうか。

 

 

 

そしてそれは、僕達がもし自分にもアジアの被侵略国の住民に対する引け目のようなものを感じるとしたら、それは自分と戦争の死者の間のつながりを確認するからだというのと、同じことなんじゃないだろうか。(略)

 

 

それは、日本の戦争の死者を敵視するものではありえないはずなんです。彼らの天皇批判には、戦争の死者とはなにより当時の民衆だったという認識と、自分たち国民こそがこの国の責任の当事者だという意識とがきわめて弱い。天皇批判を貫徹することが自分の戦後日本国民としての責任を全うすることだという構えになっていて、いまだに意識としては父を批判する子供のようです。それは橋爪さんの言う通り、無効だと思う。

 

 

では、いま必要なのは、どういうことか。僕は、天皇の現時点での戦後日本国に対する責任の核心を過不足ないかたちで明らかにすることだと思う。できる公正に昭和天皇に対し、その責任の核心を明らかにしたうえで、それを現在の関係世界のなかで再構築する。僕の考えでは、そういう意味でこれまでのもっとも核心にふれた昭和天皇への責任の名指しは、井上清からやられたものでも家永三郎からやられたものでもなく、三島由紀夫にやられたものだったと思う。

 

 

三島は、天皇は戦後、断りなく人間宣言を行うことで、戦争の死者たちとのコミットメントを一方的に破棄したのではなかったか、そしてそれは、「人間として」無責任なことだったのではないか、と言っているからです。(略)」

 

 

 

〇 ここでも、また「天皇が断りなく人間宣言を行った…」と言われています。

こんなふうに様々な人がそういうと、まるで、そのようなことが事実であるかのようになってしまうのが、社会なので、もう一個人には、どうにも出来なくなり、ただただ沈黙してその情況に耐えるしかなくなるだろうなぁ、と思います。

 

考えてみると、天皇という立場は、基本的人権を認められていない、大変な立場だなぁ、と感じます。

 

街場の天皇論」から引用します。

 

「ソ連や中国のような国家は、たしかにいかなるシャーマニズム的な要素も排して、すっきりと合理的な原理に基づいて統治されているという話になっている。でも、実際には、現世的な政治指導者がなぜか「国父」とか「革命英雄」とか祭り上げられて、神格化され、宗教的な崇拝の対象になっている。

 

 

どうやら、そういう「合理的に統治されている国」でも、霊的権威というものの支えがないと国民的な統合ができないらしい。そういうことがわかってきました。そして、現世的権威者が霊的権威者をも兼務するそういった国では、権力者は自動的に独裁者になり、独裁者の周辺には強者におもねる奸臣・佞臣の類が群がり、不可避的に政治がどこまでも腐敗してゆく。」

 

つまり、どんな国にも「宗教的に崇める対象が必要」なのが、人間社会なら、

そのことを、しっかり認識して社会を作る必要があるのでは?と感じます。

 

「橋爪 加藤さんの話を聞いていると、天皇の戦争責任を、死者に対する道義的責任というかたちにまず集約しようということのようだけれど、もうひとつ私にはぴんとこない。もう少し加藤さんの話を聞いてみてから、これは議論するとしましょう。

そこで、私の関心から言うなら、なぜ天皇が問題になり続けるかというと、天皇は、日本の近代化のキーだからです。

 

 

なぜ明治維新江戸幕府を打ち倒すことが出来たかといえば、天皇というシンボル、天皇という特別な存在があって、それが使えたからです。それが幕府を打倒する運動に正統性を与えるという大きな役割を果たし、日本人の行動様式を変え、国家というものを建設するための拠点となった。(略)

 

 

しかし、大日本帝国という名前のついたこの国家は、みかけこそ近代国家のかたちをとっていたけれども、その実、組織的な欠陥があった。これは、個々人がどんなにそれをカヴァーしようとしてもしきれないような構造上の欠陥だったんです。

 

 

その欠陥がどのようなものだったかは、あとで述べたいと思いますが、この欠陥のために、不合理な戦争を起こすことになり、その戦争に国民が邁進することになり、そして敗戦によって国家が解体し、占領されるという事態を招くことになった。

 

 

 

では、戦後はどういうふうに出来上がっているかというと、この大日本帝国という国家の欠陥を自分たちが認識して、内在的な努力で構造をつくりかえたというわけではなくて、占領軍の手でその構造的欠陥の手術をしてもらい、それを日本国憲法と名付け、それを追認するというかたちで出来上がっているものなんです。

 

 

 

その戦後という社会に属する日本人が、自分たちの同時代の日本国を緊張感をもって維持しているかと言うと、それはたいへん疑わしい。ここで緊張感とは、自分たちの国家の主人であり主体であるという自覚をもって、憲法や国家機関の構造と機能に熟知し、それを注意して運用する感覚の鋭さ、確かさのことをいいます。

 

 

 

自動車に例えると、整備工のようにエンジンの音を聞き分けて運転し、だめな部品を取り換える態度が緊張感で、ただ漫然と乗客然として乗っているのではだめなのです。私は、その緊張感と主体性のなさは大日本帝国と同じだと思っているわけです。

 

 

 

そして、この戦後の日本国に立って、大日本帝国憲法の欠陥をあげつらい、とくに昭和天皇の戦争責任なんていうことを言うのは、まさに大日本帝国の欠陥を戦後日本において再生産する主体性のなさの表れだというふうに思っています。

 

 

 

だから、日本国民のディグニティ(dignity 尊厳・品位)にかけて、そういう主体性のない言説は終わりにしたいと思うんです。(略)

 

 

 

加藤 なるほど、政治と自分たちの関係をつくりなおすことが戦後の日本にとっては本質的な問題だというのには賛成です。

僕も橋本さんと同じで、大日本帝国の構造と同じ構造が戦後にもある、と思っています。これまで何年も同じ間違いをやってきたんだから、このあたりで次のステージに進もうよ、というkとおなんです。

 

 

 

ではその同じ構造とはなにか。山本七平が「現人神の創作者たち」で次のように言ってますね。

皇国史観と言われるものの核心として、自分が軍隊体験から受け取ったものは、軍隊の内務班的論理、

「どんなことであろう自分の信念を貫徹すればいいんだ」、「自分の正しいと思うことを徹頭徹尾突き進めばいいんだ」という考え方のことである。それは、これが軍国主義の時代にワーッと日本社会にでてきたときに、誰もそれに抗せなかった論理でもある。

 

 

われわれは、普通、それを精神主義などと言っているけれども、日本の場合、いつでも極限状況になるとこの頑冥で不思議な信念貫徹の姿勢がでてくる。自分は長い間、これは日本の伝統のなかのどこからでてくるものなのか、と思っていた。その原虫は、江戸の初期に現れる朱子学、とくに山崎闇斎の学派の極端なリゴリズムである。(略)

 

 

 

この山本氏の話が面白いのは、天皇制の問題の核心は、この「信念のためには死んでもためにはいい」というありかただ、と言っていることです。つまり、天皇制の問題というのは、大日本帝国から戦後日本に一貫しているものを象徴しているところがあって、天皇の戦争責任問題というのも、これを解決すると天皇制の問題が解決の緒につくと漠然と信じられているわけだけれど、まず、天皇制の問題がなんなのか、それを別の言葉に翻訳して、開くことが大切です。山本氏はそれを、僕の言葉でいうなら、「内在」的な在り方だ、と言っている。

 

 

竹田 ここまで言われてきたことを僕のなかでできるだけシンプルに受け取ると、「天皇の問題というのは、ようするに君と社会の関係を象徴するものだから、君も、一度だけはしっかり考えておくといいよ」という言い方になるのではないかと思う。(略)

 

 

アレントの「全体主義の起源」でフランス政府のパナマ運河疑獄のことがくわしく描かれているが、フランスでは政体は共和制に変わったが、社会の支配層は旧勢力がほとんど乗り替わっただけで、そのために利権の癒着構造が想像もつかないほどひどい状態で残っている。市民の主体性をたてまえとする市民革命を行った国ですら、そういう状態だった。

 

 

 

近代には近代特有のある普遍的な「うまくいかなさ」があるわけです。つまり、理念としての市民性と現実の社会や国家とのあいだには、理想的な緊張感があるのは稀で、むしろいつも矛盾や亀裂がある。大きなスパンでシステム全体として少しずつ合理的なものに進んでいくほかない。それをあまりに日本の特殊事情に還元すると、むしろ、近代社会のすすみ行きの全体像が見えなくなる。(略)

 

 

 

橋爪 じゃあ、私が緊張感という言葉をどういう意味で使っているのか、もう少し説明します。(略)

この構想のポイントは、欧米と正面から戦ってそれを乗り越えたいというところにはなくて、欧米と無関係になりたい、ということなんです。つまり、同時代の中に自分と異質なものがいて、多様な社会があって、共通の国際ルールがあって、そのなかで日本という独自な共同社会を運営していく、という緊張感に耐えることができなかったわけです。

 

 

自分がなにか意味のある中心になり、西欧はともかく、とにかくアジアである勢力圏(テリトリー)をつくりあげる。そこは他からの干渉を排除したエリアとして、天皇を中心とする空想的な共同体として、日本人だけが存在できる。そういう幻想の甘さに負けてしまったと思う。

 

 

では、戦後の日本はどうなっているかというと、独立国の形式をとりながら完全に独立していないという面があり、日本の外交関係や軍事的関係は、まずアメリカに包摂され、アメリカを通して国際関係のなかに位置づいている。

 

 

そして、世界の多様性にある意味で目をつぶり、パリやミラノやニューヨークという先進国の文明に対して一方的なあこがれを抱き、「日本の現状は、それよりも劣るけれども、まあ、いいや」というなぁなぁの安逸した共同社会であって、いっぽう、アジアや第三世界にはあんまり関心がないという、そういう段階になっていると思うんです。

 

 

 

けれど、これは水平な多様性をそのまま認識して、日本がどういうふうに行動していけばいいかと考えるやりかたとは全然違って、緊張感がないと思う。緊張感がないという意味は、同時代の多様性を引き受けて、そのなかのひとつとして日本の共同社会というものを維持する、そういう構想力がないということです。それは大日本帝国の場合と同じです。

 

 

加藤 じゃあ、どうすればいいのかな?

 

橋爪 それは、大日本帝国の失敗を、わがこととしてよくみつけることじゃないですか。

 

加藤 いま言ったことはよくわかった。だけど、僕のなかからは「緊張感がたりない」という言葉はでてこない。「緊張感のなさ」と言うと、なんか「緊張感がある」というような「あり方」をすいよせるような気がする。どうも精神主義に聞こえる。緊張感のなさに耐えていくほうが、いいんじゃないかな。

 

 

橋爪 天皇は、緊張感だけで存在しているようなものなんですよ。(略)

 

加藤 それは戦前の?

 

橋爪 戦後もそうかもしれない。(略)そういう意味では、日本人のなかではいちばん緊張感のあるポジションにいる。そうするとどういうことが起こるかと言うと、他の人たちは彼がそう言うポジションにいるおかげで、そこからいくぶん解放されて、それだけの緊張感をもたないですんでいる。それはいまもそうかもしれない。そうすると、彼に戦争責任がある、とかいう物言いというのは……

 

 

加藤 甘えてる?

 

橋爪 ええ。

 

(略)

 

 

 

加藤 すごく整理して答えると、こうなると思う。(略)

さて、いまの問いですが、僕はいまの戦後の日本社会には、ほぼ十二歳くらいの子供たちから九十歳くらいの老人までを貫く基本感情が浸透していて、それは、自分たちはいい加減だ、ウサン臭い存在だ、出発点からして汚れている、というような感情だろうと思っています。

 

 

 

それは、いまの学生も共有している。どうせ言葉なんてきれいごと、日本っておかしいよなー、といったニヒリズムの淵源でもあります。では、どうすればこの基本感情を解体できるのか。僕は、この感情の淵源は、戦後、戦争に敗れることで日本が抱えることになった難しい問題を日本の社会が自力で解くことができなかったことにあると思う。

 

 

 

そして、そのいちばんはっきりした現われのひとつが、戦後半世紀をすぎてなお、この国が近隣諸国、関係諸国、つまりどのような国とも、まともな信頼関係をつくりあげられないでいること、また、この国で政治が力を失って久しいことだと思う。

 

 

 

学生に聞かれたら、僕は、天皇の戦争責任の問題をはっきりさせることは、キミが社会と関係をもてないでいることの淵源に光を当てることでもあるんだ、と言うだろう。いまの日本の若者が自分と社会の関係をうまくとれないようになってしまっていることには情報社会化とか高度資本主義の問題とかいろいろ要員があるだろうけれど、やはり、この政治、言葉が、信頼をかちえていない、という戦後固有のニヒリズムが大きく作用している。その象徴が、結局、自分の戦争をめぐる考えを一言もいわずに死んだ昭和天皇の戦後のふるまいだった。(略)

 

 

 

僕達には、理念ってなんだろう、どういうふうにして人はそんなものをもつようになるんだろう、そういうことが――これは日本だけのことじゃないんだろうけど――よくわかってない。

 

 

 

だから、日本は理念をもつべきだ、なんて言うと、外務省をはじめとしていわゆる識者が、環境問題がいいかな、平和かな、自由にするか、などとこれを探し始めるわけです。でも、理念というのは、そういうもんじゃないだろう。じゃあどういうものか。

 

 

 

僕が考えるのは憲法天皇の関係です。いま憲法は有名無実になっている。皆が憲法を国の最高法規だといいながら誰もその最高法規の意味を信じていない。僕は憲法が国の理念として掲げている平和の追求というものを、もし徹底した吟味の末、はやり国家理念として「選び直そう」とくことになったら、そういうとき、それが自分たちの理念だと言えるんだと思う。(略)

 

 

―— 僕は第九条に自衛権を認めるという立場ですが、これについては後で言います――、などということが問題になる。つまりそこから実現困難な課題への向き合いというものが生じてくる。

 

 

そもそも憲法が有名無実なものであることの淵源に、憲法第一条の象徴としての天皇国民主権の規定と憲法の連合軍による下付、第九条の戦争放棄日米安保条約という二つのセットというかたちで敗戦の遺産があることを考えるなら、これは当然のことです。この遺産としての歪みを正そうとすれば、明治政府が前政体の幕末の遺産である不平等条約の撤廃のため、四十四年をかけたことが前例となる。

 

 

 

明治政府は治外法権の撤廃と関税自主権の回復を国家目標に掲げたわけでしょう。(略)明治政府が幕末の遺産をこれは不如意だと思い、是正しようとしたのに対し、なぜ戦後の政府と国民は、この敗戦の遺産を「是正すべきもの」とみなかったのか。僕はそこに、天皇憲法の問題、天皇と理念の問題が顔を出していると思うんです。(略)

 

 

竹田 (略)

僕は、以前、「文藝」に天皇論を書いたけれど、いちばんのポイントはそこで、天皇言説が日本の思想のあり方のひとつの象徴になっていて、悪者捜しになっているということです。「日本という国がこんなに悪いのは実は天皇(制)のせいだ」という言い方をいつまでも再生産することによってわれわれにとって必要な議論が飛んでしまっている。

 

 

 

後発近代国としての日本が特にどういう弱点をもっており、したがって、今後二度と戦争を繰り返さないということも含めて、そのために戦後の日本社会の基本像をどう構想するか、そういう議論がどこにもない。(略)

 

 

竹田 そこで忘れないうちに、橋爪さんだったら、若い人に「なぜ天皇の問題を考えなければならないのか」と聞かれたら、どういう言い方になるんだろう?

 

 

橋爪 天皇という存在は、日本という国に正統性を与えているわけです。日本という国が、この東経一三五度、北緯三六度にある島の上にあっていいというのはなぜかというと、そういう正統性を弁証してきた歴史と事実があるからです。だから、たとえばパスポートをもって外国に行く時に、「私は日本人です」と言うとすると、そういう歴史的経緯が全部ひっかかってくる。

 

 

 

他の国の人間と出会うときには、やはりそれを背負うわけです。「天皇のことは知りません」ではすまないわけです。なぜかというと、たとえばアメリカ人なら、アメリカという国の正統性や正統的な価値観、それにどう対処するかということを、教育でもそうだし、日常生活でもそうだし、つねに意識して生きている。

 

 

多くの国がそうですよね。けれども日本だけは、それをやらないようになっている。というか、それを議論すると、日本という国の正統性に複雑な亀裂を生じてしまうために、公的言論のなかでそれを徹底的に議論できない構図がある。そのくせ、天皇ってなんですかと聞く若者も含めて、ほとんどの日本人は、自分が日本人だということを疑いもしない。

 

 

 

日本人だということを疑いもしない自分のあり方が、国際的に見てまことに異様で例外的だということを、知りもしない。それが可能なのは、天皇がいるおかげなのです。

みんなが自分の足で立っているときに、日本人はひとに寄りかかっている。天皇の重心をあずけている。自分の足で立っていないのに、そのことに気づかない。それを私は、緊張感がない、と言ったのです。」