読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「神聖ニシテ侵スヘカラス

竹田 では、そういう構想を考えていく手掛かりとして、天皇をどうイメージするか、天皇に戦争責任があるか、という問題に戻ってみたいと思うのですが。

 

橋爪 そこに戻って言えば、私が天皇を評価する最大の理由は、いくつきあの局面で天皇が法律による軍隊のコントロール憲法による国のコントロールを最大限に追及したからです。

 

彼が守ろうとしていた憲法体制とは、役割と権限と地位と義務と権利からできている憲法体制であって、少なくともそういうやり方で日本国を運営しなければ、この国は同時代の国際的な水準に立てなくて、どうしようもない国になってしまうと考え、そういう義務感のようなもので動いていたと思う。

だから彼は、憲法とか条約とかいうものを最高の格率にして、それから逸脱する要素を自分の内部から排除し、できるかぎり自分の周辺からも排除しようと思ったんですね。

 

竹田 それは戦前ということ?

 

橋爪 そうです。戦後においても、退位しないということでそれに貢献した。

 

加藤 どういう意味、退位しないことによって、というのは?

 

橋爪 簡単に言えば、退位の規定がないのに退位をしたら、それは憲法的な行動ではないからです。そして、戦後的価値観に反対する人々を元気づけることになる。

 

竹田 そういう面で天皇を評価する?

 

橋爪 ええ。戦前の日本の非合理的な国家体制のなかで、もっとも合理的に行動しようとした。天皇は、そういう個人である、と評価する。

 

 

加藤 そういう評価もあるとは思うけど、僕の昭和天皇についての評価は、やはり橋爪さんとだいぶ違うな。僕からみると橋爪さんの評価は、かなり昭和天皇に甘い。(略)

 

(略)

 

 

橋爪 いま、個人として自分だったらどうできたか、と言ったのは道義的な問題についてですよ、政治じゃなく。天皇を一種の政治的存在と考え、政治家と同列にその政治的行為の責任を追及するというのは、間違いだと思う。天皇は、天皇という国家機関上の職責を果たした個人、と考えるべきだ。

 

 

通常の人間が出来ることには限界があって、完全を求めることはできないでしょう。平均的な人間ならなかなかあそこまで出来ないだろうというレヴェルでその職責を果たしている場合、それ以上どうやって非難できるだろう。

 

加藤 だから僕は、いわゆる統治権者としての天皇の政治的責任と、天皇の一個人としての道義的責任というのを切り離したつもりなんですよ。道義的な意味において彼を責めうる立場の人はどこにいるか、と橋爪さんは言ったけど、それが戦争の死者なんです。(略)

 

竹田 ハイデガーの場合と似ているかもね。彼はナチ加担の咎で戦後いったん謹慎処分をうけてその後教職に戻るのだけど、その後一貫して、ユダヤ人の虐殺を含めてナチの犯したことについて一切コメントしなかった。

 

 

たしかヤスパースだったか、ナチスへの加担という面については、当時の知識人の多くが結局は加担せざるを得なかったということがあって責められない面もあるが、その後自分のやったことについての認定という点では、ハイデガーのこの沈黙は異様であり、むしろその点に知識人として重大な責任があると思う、というような意見があったと思う。

 

 

(略)

 

 

竹田 ただ、まず素朴なことを言うと、日本は侵略戦争を起こした、ということを認めるとすると、天皇はその最高責任者ですね。その法的な責任というのは問われないわけかな?

 

 

橋爪 そのことですが、こんなふうになっているのではないでしょうか。

まず明治天皇は、途中で憲法が出来たから、前半は専制君主、後半は立憲君主なわけです。そこで、後半の立憲君主制下での天皇ということに限定して考えると、大日本帝国憲法の第一条に「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」と書いてあって、第二条をとばして、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書いてある。

 

 

 

それから、天皇の統治行為は憲法の定めるところによって行う、となっているわけです。では実際に、天皇が国家の主権者として、どのような行為を行うかということですけれど、大部分の行為は行政府、すなわち内閣が行う。内閣は天皇を輔弼する、つまり助ける義務があって、その政治責任国務大臣がとることが憲法で決まっています。

 

 

具体的にはどういうことかというと、天皇に「こういうことをしましょう」と提案する場合、内閣が閣議を開いて国家の意思決定を行ない、そして書類を天皇のところにもっていく。天皇が署名することによってそれは効力をもちますが、天皇の署名の横に国務大臣が署名(副署)をしないかぎり効力をもたない。

 

 

副署があるかぎりで効力をもつ。天皇は、内閣の所管する事柄に関して、形式的には署名というかたちで意思決定を行なうが、実質的にはなにもしない。そして意思決定の責任はすべて内閣が負う。これが旧憲法のシステムです。

 

 

軍についてはどうか。軍も政府機関の一部ですから、予算や人事などで政府のコントロールを受け、通常の行政手続きに従う。しかし、これは統帥権の独立に関係するのですが、陸軍と海軍は大日本帝国憲法よりも古くから存在する組織だということもあり、内閣ではなくて天皇に直属すると憲法で定められた。

 

 

 

軍は一面、行政府と独立の存在なのです。ですから国家機関は二股になっている。戦争時、軍隊は作戦命令に従って動くのですが、その作戦命令を起草立案するのは陸軍の参謀本部と海軍の軍令部で、その命令を全軍にくだす最高指揮官が、大元帥であるところの天皇です。

 

ただし、大日本帝国憲法は曖昧で、天皇が陸海軍を指揮する場合に、誰が輔弼の責任をとるかを明示していないんです。

そこで、慣例上、陸軍の参謀総長と海軍の軍令部長(昭和八年以降は軍令部早朝)が輔弼責任を取り、陸軍の作戦命令は参謀総長が気お寿司、天皇が署名をして、それをそのまま下達する。(略)

 

 

 

御前会議といっても、本来は形式的なもので、天皇の臨席のもと、すでに決まったことを天皇の前でもう一度述べるだけの儀式です。天皇はオブザーバーで、この会議の構成員ではないと考えられます。(略)

 

 

 

天皇大元帥ですから、軍の最高指揮官であり、なんでも命令できるようなイメージが一般にありますが、御前会議に臨席しても、会議のメンバーではないから、黙って座っているだけで、原則として発言しないんですね。統帥部の判断に裁可を与えるという立場であり、権威を与えるという立場であったと思う。

 

 

 

天皇は公的人間(国家機関)ではあるけれど、政治的意思決定を下す立場にない。政治的な決定をしないから、政治的責任もないのです。ここが、結果責任を問われる政治家とは違う。政治家は政治的意思決定を下したい人が、なりたくてなるものでしょう。

 

 

けれども天皇は、そういう選択の余地なく、生まれてみたtら天皇になる宿命を負っていた。そういう個人をつかまえて、政治的責任を問うのはフェアでない。自分個人だって天皇として生まれたかもしれない、とあえて考えて、彼の行動を検証(追体験)してみるというのが、せいぜいできることなのです。

 

 

(略)」