読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「退位

 

竹田 終戦後、天皇が退位せずにとどまったことについて、橋爪さんはどう考えますか?

 

 

橋爪 退位すべきだったという議論がいろいろあります。しかし私の考えでは、退位しないのは正しかった。天皇がそれを選択しなかった理由、退位を考えなかった理由として一番大きいのは、大日本帝国憲法にも新憲法にも退位の規定がないことによると思う。もし退位したならば、超法規的な行動になってしまうわけだから、できない。

 

 

 

加藤 うーん、それは僕にはほとんど説得力をもたない。なぜかというと、天皇のごくごく近くの側近が天皇に退位を勧めている。(略)

そうして木戸は、自分は無期懲役の判決を受けて、巣鴨プリズンに収監される。その彼が、一九五一(昭和二十六)年にサンフランシスコ講和条約が結ばれたとき、「いま天皇が退位しなと国民の皇室への信頼という点で将来に禍根を残す」と考え、そのときの侍従官を刑務所に呼んで、「天皇陛下にいま辞めるべきだと言ってくれ」と伝言している。これは木戸の尋問調書にでてきます。(略)

 

 

なにより天皇自身が、退位の希望をもったけれども、吉田茂首相に反対されて辞められなかったと言われている。また、講和条約が発効されたときは、「あえて自らを励まして、負荷の重きに耐えん」という言葉を残している。ようするに退位を選択肢にくりこんだうえで、そうはしないことにする、という意思表示をしている。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 合法的にできればいいですよ。だけと、皇室典範は、退位を認めないという原則でできているわけです。なぜかというと、天皇が誰であるのかに、明治国家の正統性は大幅に依存していますよね。もし天皇の身分が退位というかたちで他の人間に随時譲渡されるようなことがあれば、大きな問題を生むと憲法の制定者は考えた。日本の過去の歴史が、それを示している。それで皇室典範のなかに退位の条項をつくらなかった。だから、大正天皇が非常に病弱で、記憶が曖昧になり、身体の自由がきかず、理解力がなくなっていった晩年には、皇太子の裕仁が摂政になって任務を代行した。そして大正天皇は、ずっと皇位にとどまりつづけた。こういうやり方でやってきたわけです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 天皇は、合法的に行動しようとする人ですから、退位の規定がなければ、退位はできないと考える。そこで、退位したいという気持ちがあったとしても、それを個人の私情として表に出すことはないのです。(略)

 

 

日本国憲法が正統なのはなぜかというと、これは法形式論ですけれど、それが大日本帝国憲法の改正憲法で、大日本帝国憲法の定める改正手続きによって帝国議会で審議されて、合法的手続きによって効力をもったからです。(略)

 

 

ですから、この憲法の連続性を保証する担保は、天皇の人的な連続性ということになる。日本国憲法の第一条から八条まで天皇の規定があるでしょう。そこでの天皇は何を意味するかといえば、それは旧憲法でも天皇であった人、という意味にならざるをえない。ですから、もしある時点で退位をしたとすると、その連続性が法的には説明のつかないかたちで途切れることになって、退位したことそれ自身も、戦後憲法の正統性に対する不満や疑義や拒否という意味合いを政治的におびざるをえない。そう解釈される可能性がある。

 

 

加藤 とても面白いアイデアだけど、退位によって人的持続が途切れるというのはどういう意味かなあ。退位しても皇太子がいるから皇統は続くわけでしょう。

 

橋爪 それは憲法の規定によって、正しい継承ではなくなるわけ。

 

 

加藤 それこそ天皇家の皇統というのは、継体天皇から数えるなら六世紀から続いてきていて、そのあいだ何人も退位しているわけです。殺し合いもやっている。(略)

 

だからこそ、人的に昭和天皇が、戦前と戦後の連続性を確保しようと退位しなかったというのは、考え方としてありうると思う。いいですよ。だけど、独立したときには、日本に決定権が戻ってくるから、そのときには問題は次のステージに移る。なんとか戦前と戦後の連続は昭和天皇という人的なつながりで補完された。しかし、今度は戦前と違うどういう戦後日本を日本国民がつくるか、という課題に答えなくてはならない。

 

 

 

そこから国民に対する昭和天皇の道義的な責任などの問題があらためて浮上してくる。これを解決するのにふさわしい時期だ、という判断から、講和条約発効時に、各方面から「いま退位すべきだ」という意見がでてくるわけです。(略)

 

 

橋爪 いや、私が天皇だったらどういうふうに考えたか、と考えてみると自然に……

 

加藤 橋爪さんはそう考えるかもしれないけれど、橋爪さんが天皇になるにしては、ちょっと論が勝過ぎているんじゃないかなあ(笑)。

 

橋爪 私は天皇じゃないから(笑)。

 

(略)

 

 

加藤 最後の点はちょっと強弁じゃないかな。僕は、いままでの天皇の戦争責任追及の流儀が天皇への甘えだ、というのは、橋爪さんと同館なんです。どこで橋爪さんとわかれるかというと、もう何回か言っているけれど、では、どうすることがいままでのやり方を解体することにつながるのか、というところだと思う。だから、天皇の無罪を強調する橋爪さんの議論は、。橋爪さんの目指しているものから言ったら、逆効果だと考える。

 

 

竹田 意見を言わせてもらうと、橋爪さんのモチーフが少しつかめてきた気がする。(略)だけど、そんな証拠はどこにもないからそれは変じゃないかと思っていたんだが、しかし橋爪さんが言いたかったのはそういうことではなくて、天皇は「合憲法的でなくてはならない」というマキシム(maxim 格率)をはっきりもっていて、そういう原則で動いているのだから、退位しないのは彼自身の理由からだと言いたかったんだ。

 

 

橋爪 そうです。退位するというのは、公的な行為だから、公的な根拠がなければできないことなのです。

 

 

(略)

 

 

もし占領下でなければ、正統性の維持という問題は一般に起こらない。だけど、占領下という文脈のなかであれば、これが合法的に行われて、占領が解除されたあともそのシステムが維持されることが一番大事じゃないですか。これは、欺瞞といえば欺瞞ですよ。(略)

 

 

 

でも天皇は、その内部での役割ということを、充分理解して行動していたと思う。天皇がそれをきちんとやりとげないで、誰が戦後日本を信じるだろう。だから退位という選択は、さきほどから言っているように、その規定がないことによって彼には禁じられたわけで、いわばそういう部屋に彼は閉じ込められた。

 

 

退位すれば、単に自分のつとめを放棄するだけでなく、自分の信念を破壊することになるのです。戦前もほとんど自由はなかったが、戦後もますます出口のない憲法という部屋の中に閉じ込められて、退位という自由が彼にあったのなら、彼はそこでどういう条項が自分の退位の理由になるのだろうか、自分はそれにあてはまるんだろうかと、色々考えたと思うけれど、そういう窓が閉じられた部屋のなかにいる以上、この場所にいることが自分の任務だと思って、個人的な感情を乗り越えて、その任務を全うしたんだと私は理解している。(略)

 

 

(略)

 

 

加藤 (略)橋爪さんが言っていることは、ひとつの考えとしては了解できるけれど、天皇自身の意思表示がともなわないかぎり、一個の解釈にすぎない。

 

 

橋爪 解釈でもかまいませんが、さらに先を述べます。

アメリカ軍の占領政策として、天皇をどう処遇するかが問題になりましたが、ひとつの可能性は天皇の責任を問い処罰する、つまり死刑にすることでした。しかし、それはとらなかった。

 

 

 

とらなかった理由のひとつは、これは私の説ですが、アメリカが日本のナショナリズムの復活を恐れたからだと思う。(略)ローマ帝国は、ユダヤを属領とし、総督を派遣して統治したんだけれど、間接統治で、そのローマ総督のもとに現地の王もいたし議会もあったという統治形態をとったわけです。

 

 

そのローマ帝国の属領であるユダヤで、ある宗教団体の指導者を法律違反の咎で処刑したことがあったわけです。そのあとどうなったかというと、その処刑した人間が犠牲者となり、殉教者となり、彼らの宗教的アイデンティティの中心となってさまざまな地下活動の根が広がり、ローマ帝国の内部にはびこって、最終的にローマ帝国が滅びても彼らはまだ生き残っているわけです。

 

 

キリスト教ととしてね。それぐらい強烈なファナティックな運動が起こり得るということを、アメリカ人は子供のころから「聖書」を読み慣れていますから、なんとなく気配で感じる。(略)

 

 

日本人にとって天皇が絞首刑にされることは、我々にとってキリストが十字架にかけられることと同じである」。これがマッカーサー、ひいてはアメリカ政府に影響を与えるのです。

 

 

(略)

 

 

 

加藤 わかった。問題を変えよう。橋爪さんは、天皇は退位することを考えていたと思う?

 

 

橋爪 もちろん終戦を機会に、天皇が、退位を含めて自分の身柄や天皇制の将来など、あらゆることを考えてみたのは確かなのです。たとえば、マッカーサーが厚木飛行場に到着する前日の八月二十九日には木戸内大臣に、「戦争責任者を聯合軍に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納めるわけには行かないだらうか」と相談してとめられている。

 

 

九月二十七日にマッカーサー司令官に会見した際は、「天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任をもつつもりだと述べた」と記録されています。(略)

 

 

(略)

 

 

加藤 うーん、そうだね。自分は合法的にやってきて、それに自分は正しいとアイデンティティがあるんだったら、橋爪さんの論理からは、天皇は退位ということは考えなかったということが出てくる。僕が「思考実験者ないでしょうね」と言ったのは、普通は天皇の名の下にこれだけ多くの人間が死んでいるんだから、たいていの人はまず「この人は、そのことをどう思っているんだろう」と感じるんだと思うんですよ。

 

 

橋爪さんの想定にこの「はじめの疑問」がないから、そう思うんです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 (略)マッカーサーとの会見でも、その一端はうかがわれるわけですが、さらに傍証を言えば、マッカーサー司令部が天皇の証人喚問を断固拒否したことなのです。東京裁判の首席検事だったキーナンは、こう述べています。「もし天皇を証人として証言台に立たせたら…… 天皇が「こうしてここにおる被告は、東条以下全員、朕の命令で戦争を遂行した。どうか朕を訴追して、これは全部釈放してもらいたい」、こういわれたらどういうことになる?

 

 

拍手喝采して大喜びのやつは大勢いる。しかし占領改革はそれでぺしゃんこになる。だから天皇は証言台に呼べないんだ」。これがマッカーサー側の感触であったとすると、それは天皇と会見した周辺を取材するなかからえられたものだと考えるのが自然です。(略)

 

 

 

加藤 橋爪さんの説は、思考実験としては、つまり、こうも考えられるのではないだろうか、という話としては聞けますが、僕の心証からは、その説には人を動かす軸が欠けていると思います。」