読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「人間天皇

 

加藤 なぜ僕が昭和天皇の評価を過不足なく行なうことが大事だと考えるか、その理由は次のようなものです。

僕は、天皇のことを考えるには、やはり現憲法の規定が媒介になる、そのことを考えた方がいい、というように思っています。(略)

 

 

 

これがなにを示しているかというと、戦後の憲法の第一条に規定されたあり方は、実は、平成になってはじめて、実現しているということです。

戦後憲法は、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定しています。

 

 

ここでの国民主権とは戦前型の天皇主権の否定ということです。したがって象徴天皇制とは、これまでの戦前型天皇制とは違う、これと対立する、それへの否定を含む天皇制ということになる。ところが、戦後のうちの昭和天皇の時代、つまり斜線部分の時期は、昭和天皇という個人が、戦前型天皇制における天皇でかつ、戦後象徴天皇制における天皇であるという一身で二体を現すかたちで存在し、さらに彼自身が自分の戦前部分を明確に自己批判しないままに、戦後の象徴天皇であり続けた。

 

 

そのために、戦前型天皇制の否定としての戦後型象徴天皇制というありかたは、憲法にはっきりと明記されているにもかかわらず、現実には存在しない、という状況が生まれていた、と考えられます。(略)

 

 

 

これは日本国民ではないけれども、一九七五年九月に「ニューズウィーク」の記者が「陛下の戦前と戦後の役割を比較していただけませんか」と質問している。それはその意味に受け取れる。それに天皇は、「精神的にはなんらの変化もなかったと思っています」と答えています。

 

 

橋爪 その発言は、本当に正直な天皇の気持ちであると思います。彼は、戦前も、戦後も、変わるところなく憲法に忠実に行動しようとしてきた。変わったのは彼ではなく、憲法のほうなのです。(略)

もうひとつ言えば、加藤さんの「天皇がほんとうはなにを考えているか」という内面に関する追及の視線は、皇統派青年将校とうりふたつであるという気がする。

 

 

 

加藤 いや、皇統派は天皇を神と考えたからそう思ったのでしょう。僕が言うのは、天皇が人間になったというのは、ただの人になったということで、当然、そういう問いをもさしむけられるべき存在にかわったということなんだということです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 それは話が逆ではないだろうか。戦後日本の主権者は日本国民なのだから、謝罪したければ日本国民が誤ればいい。また、日本国民が謝らなければ、謝ったことにならない。いくら戦前の主権者だったからといって、天皇が国民をさしおいて謝ることはできない。天皇はそういうことを、よーくわかっていますよ。加藤さんの考え方こそ、ぜんぜん戦後的価値観にりっきゃくしていないじゃない。(略)

 

 

(略)

 

橋爪 もしそういう言い方をすれば、天皇は人間であることを許されていない存在なんだよ。

 

 

加藤 人間じゃない存在?それは違うでしょう。そんなのは認めない。戦前の天皇が人間になった。そして象徴天皇として、いま、そこに存在しているわけだから。戦前なら、僕はこんなバカなことは言いませんよ。だって天皇はたしかに人間じゃないんだからね。(略)

 

 

橋爪 そんなものが戦後社会を生きるうえでの基準になると思うところが、全然、わからない。なぜそんなに天皇に依存しなくてはいけないんだろう。加藤さんは、「謝罪しないからけしからん」というけれど、それは戦後的世界に価値観をおいている者が言ってはいけないことだと私は思う。なぜかと言えば、天皇は戦前のような主権者としての天皇ではなくなって、象徴天皇になったけれども、日本国憲法という空間のなかでは依然として公人であり、一歩もそこから降りるわけにはいかない個人であるわけです。(略)

 

 

加藤 ということは、天皇自身は謝罪したいと思っていたんだけれども、そういうことは公人としてはできなかったからしなかった、という判断なわけ?

 

 

橋爪 そうではない。個人として謝罪したいと思っているとかいないとか言うことが、公人としての発言と受け取られてしまうといけないから、そもそも個人としての発言を差し控え断念するという立場を引き受けている、ということなわけです。(略)

 

 

加藤 いや、僕はそう思わないな。(略)

ここにいう「子孫」とは自分の子孫ということです。天皇にとって責任とは、自分の皇祖皇宗に対する責任である、というそのことしか念頭におかれていない。つまり、国民との関係、そして他者とのコミットメントについての感度は、脱落している。やっぱりこれを聞くと、ちょっとぎょっとする。(略)

 

 

橋爪 加藤さんが「ぎょっとした」ことに対して反論すれば、それで何が悪い。皇祖皇宗に対する責任というのは、天皇天皇たるゆえんの中心的なところなんですね。(略)

 

それに、「祖先から受け継いだこの国を子孫に伝えることである」と述べたのを、「皇祖皇宗のことしか考えていない」、とパラフレーズ(paraphrase 他の言葉におきかえて解釈すること)するのはフェアでないですよ。「子孫」も、文学的に読めば、将来世代の日本国民という意味です。ここは端的に、大日本帝国と日本国との連続性に責任をもっている、とも読めるでしょう。(略)

 

(略)

 

橋爪 加藤さんは、私の考え方は天皇がそう述べている証拠がないから、解釈にすぎないと言う。でも、私の考え方が正しければ、天皇が自分の考えを加藤さんが満足するかたちで述べるはずがない。言明がないということ自身が、天皇がそう考えているという証拠になるのです。」