読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

〇 一か月ほど前から、長く座っていると腰に痛みが出るという状態が続いていました。ネットで色々調べ、素人診断をしたのですが、多分股関節の「老化」ではないかと思います。

 

短時間ずつまたやっていきたいと思います。

 

「民主主義と象徴天皇

 

(つづき)

竹田 天皇は、一般的には、神人として国家の最高位の存在として据えられていた。しかしその実体としては、当時、人間としても地位としても責任をとれるような場所になかった。いわゆる近代的な責任と義務をもった市民としての場所からはずされ、まわりの人間におまえは天皇だと言われて、そうならざるをえなかった。そういう立場にあった人間の責任を追及するというのは思想としておかしい。

 

 

 

事実問題は残るとしても、いま聞いていてその言い方はかなりよく理解出来ました。ただ、たしかにそうであったかもしれないが、そうだとしても、国家の最高主権者であるということは、自分の国家が重大な過失を行なった場合は、責任をとらなくてはいけない場所だということは、やはり自覚し認識していなくてはいけないわけですね。

 

 

 

 

橋爪 さきほども言ったように、それは認識し覚悟していたのではないでしょうか。

 

 

 

(略)

 

 

橋爪 加藤さんの議論の流れの中で、なぜ死者の問題が出てくるかというと、天皇はたしかに戦前に生き、戦中に生き、そして戦後を生き延びた。それは役割上しょうがなかったと言えるわけですけれど、とにかく生き延びたことに変わりない。

 

 

生き延びた以上、とうぜん、変節するわけです。しかし、その変化を誰が指摘できるかというと、戦前に生き、戦中に生き、そして戦後を生き延び、変化し変節したという点では国民も同じなのかもしれないから、単純に戦後に生き延びた日本人が、天皇が戦前、戦中と違っているではないかと言いにくい構造になっている。

 

 

そういうふうに、加藤さんは注意深く考えたのではないかと思う。そうすると、その天皇の変化を測定できる原点はどういう場所に求められるかというと、三百万の死者ということになる。だから、そこで、その死者に注目しているのではないかと思ったんですが。

 

 

加藤 いや、それはそのとおりなんですけど、その力点は、三百万の死者が天皇に代わる戦後の定点になりうる、ということだったんです。そこから、天皇を相対化できる、ということでもあったんです。僕から見ると、僕より橋爪さんのほうが天皇の問題にこだわっているかもしれない。(略)

 

 

 

なぜかというと、天皇制があるからよくないとか、ないほうがいいとか、そういうところから考えているかぎり、この考え方が天皇に依存していて、それではやはり天皇制の解体にはならないんじゃないかと感じるからです。

 

 

 

僕の考える基準は、それとの比較でいうなら、日本がそこに住んでいる人間にとって住みよい開かれた社会になること、そして近隣の国に迷惑をかけないような国になること、この二点です。(略)

 

 

 

問題は、天皇制ということがなぜわれわれに困った問題としてあるのかということです。法務省の入国管理事務所の考え方、帰化申請時の名前を日本風に変えよという行政指導など、その根元を追って行くと天皇制にぶつかる。(略)

 

 

 

逆にそれが干上がらないまま、たんに制度としてだけ天皇制が廃絶されたら、天皇家が家元になって京都に戻ったとしても、今度はその反動で、天皇に対する郷愁みたいなものが起こり、また別の天皇制を求めるような動きが出てくるにちがいない。だから次のステージにステップを進めるためには、いまある象徴天皇制天皇制と同列のものとみて、その廃絶をめざす、という五十年来のナイーヴな姿勢ではどうにもならない。

 

 

それを戦前の天皇制、昭和期の天皇制と違うものとしてどう評価し、位置づけ、それとの関係を主権者として国民がどうつくるか、それが大事なポイントになると思うのです。

 

 

戦争の死者の場所から考えるというのも結局そういうことです。たとえばいままでは、天皇がいなくなるとモラルのバックボーンがなくなるぞ、みたいな考え方があったけれど、そういう考え方を国民規模で解体できるのが実はその戦争の死者の場所なんじゃないかと思う。(略)」

 

 

〇 「違うものとして評価し位置づけ、どうつくるか…」これを「国民規模」で行う…というのが、私には全くイメージできません。とても難しい…。

 

 

「橋爪 (略)なぜ日本が憲法第九条をもち、なぜ軍隊をもっていないかと言えば、これは日本の戦後処理の結果である。戦後処理の結果、群は武装解除され解体され、再軍備も禁止された。そしてその保証として、独立の条件として、憲法があり日米安保条約がある。こういう枠組みのなかで日本国があるわけでしょう。

 

 

 

ということは、日本国が現在の枠組みであるかぎり、これは国際的な不振の表明と裏腹の関係にある。日本は軍隊をもったらなにをするかわからないので、軍隊を禁止しておこうという、国際社会の警戒態勢がずっと継続しているということを意味している。ということは、戦後は解消していないということでしょう。(略)

 

 

そうだとすると私たちは、日本国がたしかに民主主義の国で、自分たちの統治能力(ガヴァナビリティ)を高めて、近代ルール、それに、列強ルールじゃなくて新しい国際ルールがあるとしたら、それにも合致して行動しているということを、まだ証明していないんだと思う。そういう意味で、日本の民主主義は半人前だということです。

 

 

国際社会の平和秩序を維持する時、どの国がどういう犠牲を分担するか、という話になる。たとえば湾岸戦争ですけれども、日本はなにをどう分担すればいいか、ということを国内で意思決定できなかった。当然考えておかなければならないさまざまな問題を、まったく考えないまま放置してきた。

 

 

はしなくもそういうことがあらわれてしまった。これをどう克服していけばいいのかという問題だと思います。

 

 

(略)

 

 

 

加藤 その言い方で言うと、僕が思うのも同じことで、民主主義というのはどんなかたちで日本にもたらされたにしても―― たとえ押し付けられたとしても―― 、これを自分たちのイニシアティヴで受け取りなおすんだというところから、問題を考えていけばいいということなんです。

 

 

 

そのための条件が、民主主義のもたらされ方の赤面せざるをえないありかた、つまり押し付けられたのに全員そのことを見ないようにしてこれを受け取ったという事実から、けっして逃げないことです。そこことをしっかり受け止めることで、この押し付けられた他律的な民主主義をもとに、戦後の自律的な正統性を作り上げることができる。(略)」

 

 

〇 「国際的な不信」の為に軍隊の持てない国になったとはっきり言ってもらうと、とてもスッキリします。そして、この不信は「国際的」なものだけではなく、「国内」=「一般庶民である国民」の不信でもあると思います。

 

山本七平氏が以前書いていたように、国民はまず自国の「軍部」に支配され虐げられていました。外国に虐げられるよりもずっと多く、自国の軍部に痛めつけられていました。

 

戦後レジームからの脱却」と言って、日本会議という団体を立ち上げ、教育勅語を蘇らせようとする動きは、まさに戦前の「管理者(軍部を含む)」によって、国民をうまく支配するシステムに戻ろうとする動きのように見えます。

 

菅政権になり、様々な問題が取り上げられても、未だに支持率は半数を超えています。

つまり、それだけ多くの「管理者」がこの国にはいる、ということなのでしょう。

せめて、弱者の私たち一般庶民が力を合わせて立ち向かわなければ…と思うのですが、

それさえ、なかなかうまく行かないので、「検事長問題」「学術会議問題」等、権力の暴走を許すのを阻止できるのかと、暗澹たる気持ちになります。

 

 

※ 「管理者」(いまだ人間を幸福にしない日本というシステムより)

「社会が徹底的に政治化され、しかも公共部門と民間部門の境界が見分けがつかなくなってしまった日本では、我々には政府省庁の官僚と、高度に官僚化された業界団体や系列企業や銀行の幹部たちを総称する言葉が必要である。彼らを「管理者」と呼ぶべきだろう。」