読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

「(つづき)

加藤 なるほど、少し橋爪さんの言いたいことが分かった気がする。もっともっと天皇以外の問題点を戦前の日本について本気で考えようよ、天皇に責任があると言っているあいだは、本気で機構の問題とか、制度の問題とかの検討は着手されないですよ、ということじゃないかな。それは大事なポイントです。(略)

 

 

 

橋爪 現憲法下においては、天皇は国民統合の象徴であり日本国の象徴であるわけだから、日本国の内部においては天皇に対しても当然、敬意を払う。そかしそれは、憲法を改正することを考えない、ということを意味しているわけではないから、私は同時にたとえば共和主義者でもあ(りう)る。(略)

 

 

加藤 ようするに、自分は共和主義者だということと、いま象徴天皇制があるということの関係を、戦前の失敗にてらして、たとえば橋爪さんだったらどんな風に言うのかな、という疑問なんですけど。

 

 

 

橋爪 共和主義者であることと、象徴天皇制を認めていることの間に距離はあるけれど、それはきわめて小さいと思う。それに比べれば、たとえば戦前の日本で、共産主義者であるのに召集令状がきたというような場合の信念の分裂のあり方ののほうが、めちゃめちゃに大きいと思う。(略)

 

 

橋爪 天皇というシンボルのまずい点をあえて言えば、日本国の天皇を遡っていけば、大日本帝国になり、明治専制国家になり、江戸幕藩制下における天皇家になり、さらにずっとさかのぼって、最終的には「古事記」「日本書紀」の神話世界までいくでしょう。

 

 

天皇というのは、日本における土俗的な王権であって、「日本書紀」をみても、台湾も朝鮮半島も中国もとくにでてこなくて、日本列島だけが出てくるように記述されているはずです。(略)

 

 

 

加藤 僕にとっては、天皇制というものを、どんなふうにいままでとは違うように考えていくかということが問題なので、いままでとは違う考え方を作り出せれば、それが一歩前進なんです。それが、僕に言わせれば、共和制に近付くということなんです。(略)

 

 

 

一九八九年一月の昭和天皇死去直後の世論調査では、「いまの象徴天皇制のままでよい」が八二パーセント、「天皇の権限を強めよ」が八・七パーセント、「天皇制は廃止せよ」が五・一パーセント、「関心ない」が一・七パーセント、「答えない」が二・五パーセントです。

 

 

 

僕はこのとき昭和天皇について厳しい批判的言辞を記したためだいぶ脅迫電話をもらいましたが、いまは、これが戦後の日本の実力なんだから、ここから考えていこう、という考え方です。

 

 

こういうことを言うと、「なんだ、加藤は天皇主義者か」、「象徴天皇制を認めた」とか、またいろいろ言われるかもしれないけれど、結局、この問題はこの順序で考えていく以外に道はない。そういうことに、あと十年くらいすればみんな気付くだろうと思う。

 

 

それを、天皇に批判というかたちでも依存することをやめることが「共和制に移行する第一歩」だという言い方をされると、転倒していると聞こえるわけです。(略)

 

 

橋爪 ええ。で、それ以上に大事なことは、憲法改正をすることだと私は思う。(略)

とにかく、憲法改正の手続きをすることが大事です。連合軍の占領下ではなく、日本国民が自発的に、合法的な手続きによって提案し、そして国民合意のうえで憲法を改正して、新しい憲法のもとに移行するということです。(略)

 

 

 

現行憲法大日本帝国憲法の改正憲法だから、一番最初に大日本帝国憲法の立場から新憲法について書いてあるんです。ですから、そこには主権者である国民はまだいなくて、「朕」というものが出てくる。(略)

 

 

竹田 ちょっと橋爪さんに聞いてみたいと思うったんだけれど、橋爪さんからみると、加藤さんの考え方は文学的だという感じがしますか?

 

 

橋爪 はい。

 

加藤 (笑)

 

(略)

 

竹田 (略)というのは、どう言えばいいか、ようするに、いま若い人は大学生くらいになって、ほとんど突然のように、日本の国は昔、実はとんでもない悪い戦争をして、いまの天皇はそのひどい戦争の責任者で、本当は当然罰されたり、天皇制も廃止になるところだったが、アメリカの占領政策で生き延びてしまった、というような像を与えられるわけですね。

 

 

 

これに対して、いや天皇はわれわれ日本人の心の拠り所で、これを畏敬し守る事こそ、われわれが日本という自分の国を愛する気持ちの原点になる、天皇に戦争責任をなにもかも帰して事足れりとするような考え方があるが実は全然そうではない、というような逆の考え方にも出会う。

 

 

 

で、これを自分なりに判断しようとするけれど、なかなか難しいことがわかる。なぜかと言うと、この革新と保守の主張や解釈の土台になっているのは、一方が、この社会は基本的に矛盾だらけの善くない社会なので、どういう仕方でか根本的に変えないといけない、という社会感度であり、

 

一方は、おそらくなにか積極的な内実というより、革新派の社会感度の反動として出て来ているもので、日本の戦後思想はこの社会を否定するようなことばかり言っていたけれど、そんな馬鹿なことはなくて、むしろいまの日本人がこの国を、自分が属する共同社会というものを大事に思う心が欠けていること、そういう心がいつのまにか失われてしまったことこそが、まさしく現代社会のいろんな矛盾を呼んでいる元凶なのだ、という考え方ですね。(略)

 

 

 

これは昔僕が学生のとき、在日朝鮮人の知識人たちから、「そもそも君は朝鮮民族の一員として生きるか、それとも日本人に同化して裏切り者として生きるか」、というかたちで迫られていたのとそっくりなので、けっこう苦しさがわかる。ううーってなっちゃうんですね、やっぱり(笑)。(略)

 

 

つまり、社会批判の言説はいたるところにあるけれど、社会変革の具体的なモデルや展望はどこにもない。(略)

一階にマックがあって気軽に入って行ったら、いきなり二階に上げられて、はい君は、純和風料理でいきますか、それとも正統フランス料理にしますか、どっちかはっきり決めて下さい、みたいになってるわけです(笑)。

 

(略)

 

まあそういう流れの中で、君が天皇であるとして、自分のあり方のモラルとしてどう考えるかとイメージしてみる。これを逆にいうと、どういう天皇であれば、君は、同じ国の一員として、昔の現人神からいつぼまにか象徴天皇になってずっと昭和を生き延びた天皇という存在と折り合いをつけられるか。そう考えてみる。(略)

 

 

つまり、そういう入口の方が、いまあるこの社会を是認するか、否定するか、という二二者択一ではない仕方で、自分と自分の国について考えられるのではないか。加藤さんの問題の立て方は、いうならばそんな提示の仕方ではないか、と感じたわけです。(略)

 

 

つまり、そこにはいつも文学的感度からのつきつめということがある。僕もいちおう戦後思想や戦後批評の世界の中にいたので、こんなかたちで問題を提出しないといままでの枠組みは動かし難いという加藤さんのモチーフは、とても共有できる。(略)

 

 

 

これも独断だけれど、つまり、われわれはいわば「天皇問題形而上学」に入り込んでしまっている。もうそれは法制上の責任ということだけで考えた方がいい。つまり、いま過去の戦争を考えるとして、われわれとしては、民主主義、共和制以外の考え方で社会や国家の妥当性を考えることはもはやできない。(略)

 

 

で、僕の考えですが、僕は加藤さんが戦争や天皇問題に深くこだわるその理由もよくわかるつもりです。ただ自分としては、いわば文学的な入口だけでなく、もっと率直に、「社会」とはなにか、という問いを真っ直ぐに立ててみたらどうだろうか、と考えている。これはいわば近代哲学者の方法です。

 

 

この社会を否定するべきか、それとも是認して矛盾に満ちた資本主義に加担するか、この二者択一は、僕の中ではスコラ哲学的な形而上学の問題設定なんですね。つまり、そこにはいま生きている人間の実質的な困難がぜんぜん表現されていない。(略)

 

 

えー、また司会役がだいぶ越権的にかつ感情的にしゃべってしまったけれど(笑)、そういうことで、またそれぞれの論点を展開してください。

 

 

橋爪 私は、加藤さんから、聞きたいことの半分くらいは聞いたような気がするんですが、まだあと、死者との関係の問題が残っているような気がするので、最後にそのことにふれておくのがいいように思います。」