読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

敗戦後論

 

橋爪 靖国の話なんですが。

 

加藤 はい、どうぞ。

 

橋爪 二千万の他国の死者と、三百万の死者の後先のポイントを、まずちょっと言ってくださいませんか。

 

加藤 僕は、三百万の自国の死者と二千万の他国の死者という日本国内における二様の死者の分裂が、戦後日本が近隣諸国といまだに関係を築けない最大の理由だと思っています。その二様の死者の対立と言うか分裂を、もし解く仕方があるとしたら、これは三百万の自国の死者を先に立てる、つまり、三百万の自国の死者への向き合いを先にして、そのことを通じて二千万の他国の死者への謝罪へといたる、という順序しかないだろう、それがこの主張のポイントです。

 

 

(略)

 

 

加藤 (略)

僕は戦後の日本がいまだに先の戦争で侵略行為を働いた近隣諸国と新しい関係を築けないのは、この日本に戦後日本という関係レヴェルでの主体が存在していないからではないかと思う。そのことをよく示すのが謝罪と失言の一対構造と僕が呼ぶものです。(略)

 

 

ですから、もし僕たちがその他国の戦争の死者に深い哀悼の意を表したいと思うなら、本当は、この自国の死者と向き合うこと、自国の死者との関係の自覚が、その後、他国の死者への謝罪を導く、というあり方が編み出されなければならない。(略)

 

 

橋爪 ただ、やはり、戦争の死者なわけです。戦争は国家の行為で、大勢の国民が共同で行うもので、そこには最低限の目的も最低限の組織もあるだろうし、そういう戦争と自分を関係づけて行動している死者たち個々人の意味付けもあったはずだ。もちろん死者たちの実像は多様にはきまっているけれども、しかし共通体験で、そこにはひとつのまとまりというものがあると思うわけですよ。だからこそ先ほどから述べているように「三百万の死者」という言い方でひとくくりにすることも可能になっていると思う。

 

 

 

そうだとすると、あまりに強引な靖国の英霊とか被害者とかいう言い方を離れ、かといって一人ひとりにあまりに子細に立ち入るのでもなく、三百万人を総体としてとらえるときに、いったいどんな比重で、どんな意味をもつものとして考えたならば、いちばん適切なのか。あるいは、そんな考え方というのは、そもそも成り立たないような現象なのか。そういう問いなんですね。

 

 

私はなんとなく、たとえば眼鏡をはずして机の上を見る時みたいに、ぼんやりしているけれども、そこになにかが存在しているという手応えだけははっきり感じられる。そういう焦点距離でもって捉えられる現象ではないかという気がするんですが。(略)

 

 

橋爪 大日本帝国が戦争をしているという事実があって、それを認識し、その戦争に主体的に関わらなければならないという役割も与えられて、それを引き受け、個人の都合とか、いやだという思いとかいろいろあるわけだけれども、死を覚悟してその戦場に赴いて、そして本当に戦死してしまった。そういう帰って来ない人たちであろうと思う。

 

 

その構造は、三百万人について共通しているから、きちんと取りだせるし、取りだすべきだ。(略)

 

 

 

加藤 橋爪さんの言う意味がわかったような気がする。(略)

たしかに彼らの当時の判断は、国家のいう嘘の情報に動かされ、この戦争の侵略的性格を見抜けなかった。彼らは間違い、そして戦場に行った。でも、彼らがいわば操作された情報と、孤立した国際環境のなかで、迷いつつも、最終的に戦争目的に協力しようとしたことを、そのことをもって戦後の自分たちが批判できるのだろうか。(略)

 

 

 

吉本隆明は、戦争の時、自分は国の為に死ねるかと考えに考えつめ、最後、死ねるという結論をえた。で、軍国青年として戦中を生きたけれど、戦後になって情報が開示されてみれば、その判断は完全に間違いだった。(略)

 

 

 

このことを、これまで言って来たこととつなげると、今住んでいるこの社会を少しでも住みやすいものにしようじゃないかというときに、その構想は、ふたつのスクリーンを持つと思う。ひとつは、共和制でもなんでもいいんですが、今の社会を最終的にもう少しいいものにしていきたいという未来に張られたスクリーン。

 

 

 

あともうひとつは、かつてこういうことがあったんだから、せめて今後はこういうふうにしていった方がいいじゃないかという過去に張られたスクリーンです。(略)

 

(略)

 

加藤 特攻隊の隊員は、今から考えたら不合理なことに同意して、そういうつもりで死んでいる。それについては、なんでこんな不合理なことに同意したんだろうというので、今考えると意味が宙に浮くということがあっても、かならずそれは彼に身を寄せて考えれば意味をたどれると思う。

 

橋爪 というと?

 

加藤 この人がこのときに、こういう状況の中で、こういうふうにして死んだ、ということの意味は、もしそれを考える材料が全部あるとすれば理解は可能なはずです。

 

(略)

 

 

加藤 (略)もちろんアメリカだったら、いまの価値観と五十年前の価値観がひとつにつながる形になっていて、それで自由と正義のためにわれわれは戦って、いまでも生きている。だから、五十年前の若者は、そのわれわれの価値観と同じ価値観のために死んだんだとなる。

 

 

だけど、日本の場合だと、五十年前に死んだ若者は、いまのわれわれの価値観とはまったく逆の価値観のために死んだということになる。

 

 

竹田 だから犬死だとか言われる。

 

 

加藤 けれど、彼らが間違った、そのことの動かしがたさ、ということをしっかり考えれば、それは犬死なんてことじゃけっしてなくて、ちゃんとした関係をつくれるし、そういう戦前と戦後のつながらなさの象徴である自国の死者との関係を編み出さないかぎり、日本は他の国との関係も作れないだろうと言っているんです。(略)

 

 

日本の戦後は、五十余年間続いてきて、戦前とねじれた関係のうちにあるけれど、そのねじれにストレートに対するなら、そこにいわば「つながらなさ」という「つながり」の種がちゃんと残っていることがわかる。それを見出し、ひとつの思想につくればいいんだということなんです。

 

 

橋爪 そんなに簡単につくれるとは思えないんだけど。

 

加藤 むろん簡単ではない。でも、不可能ではない。(略)

 

 

橋爪 だから私が、そこでストレートな関係を取りだすとすれば、次のようなかたちになる。

まず、大日本帝国の価値観やイデオロギーは、二重になっている。そのひとつは、大日本帝国が最低限、近代国家であるという条件があって、そこには臣民なり国民なりの権利・義務という関係があり、そして戦争も当時の合法的な手続きのなかで行われていた。

 

 

そうであれば、応召は公民の義務であると言わなければならない。一方、それとは別なレヴェルでもうひとつは、大日本帝国を成り立たせているいわば宗教的、神聖国家的なイデオロギーがあって、そこで語られる事柄や信念体系やいろいろなストーリーがある。(略)

 

 

 

そういう意味で言うと、これは日本近代という非常に大きなトンネルであって、三百万の死者たちはそのトンネルの中での犠牲者というふうに考えることが出来るんじゃないかと思う。しかもそのトンネルは、まっすぐに現在われわれの場所まで続いている。

 

 

 

加藤さんは「彼らが間違った、その動かし難さ、ということをしっかり考え」るという。それは吉本隆明さんのやり方でもあるけれど、そう考えているうちは戦前と戦後の連続性を取りだせないのではないかと私は思う。

 

 

 

加藤 (略)

僕にも橋爪さんの言いたい力点がだんだんわかってきた。つまり、ストレートにこの死者を意味づけるために、いままでふたつのあり方があったわけです。ひとつは、日本の戦争というのは正当だった。このままでは滅ぼされるかというところまで追いつめられて、最後に立ち上がったんだ。そのために死んだんだ。だから死んだ人間には意味があるんだ。われわれとストレートにつながっているんだ、というつなぎ方。

 

 

あともうひとつは、こういう人たちが死んで犠牲になった。そのうえに今の平和な自分たちがいるんだ。だから、この人たちのためにも、もう戦争をやるべきではないんだ。そういうかたちで、この死者には意味があるんだ、というつなぎ方。

 

 

 

それに対して橋爪さんは、それとは逆に、まったく違う第三のストレートな意味づけ方として、たとえばこういうつなぎ方が可能じゃないかと言っている。

僕はね、たしかにそれはあり得ると思う。僕の考えにもほとんど重なる。でもひとつ違う。それだと、先のふたつのつなぎ方は、解体されることにならない。(略)

 

(略)

 

 

 

加藤 僕から言わせたらね、橋爪さんは反文学のロマンチシズムなんだよ(笑)。僕の考えがロマンチックだなんて、そんなことじゃ全然ない。そんなこと言ったら似たようなもんだよ(笑)。(略)

 

 

 

文学的ということは否定しない。政治的とは違うあり方だからね。だけど、文学的発想というのは、否定してはいけないものなんですよ。いや、もうだいぶ疲れていて、離す気力も消えかかっているんだけど、……わかりました。一念発起して、そこのところを言ってみましょう(笑)。(略)

 

 

一例として、先に言ったけれど、戦争中の二十歳前後の吉本隆明が、特権的な環境にいれば、厭戦的な思想というものも見についたかもしれないけれど、そういうあり方よりは、特権的な環境から隔てられて、誤った考え方を強いられることの方に普遍性があると感じた、と書いていることなどを連想してもらうとよいと思います。

 

 

でも、この考え方の特徴は、これでどこまでも考え進めていくと、考える対象が他者との関係として成り立っている国際秩序とか、近代社会といった関係世界の領域に踏み込むところで、かならず間違う、ということなんですね。橋爪さんは先に僕の考え方は皇道派青年将校みたいだ、と言ったけれど、皇道派の思考の本質はやはり「内在」ということですから、それはそのかぎりで当たっているんです。

 

 

 

もっと言うと、さきに山本七平氏の「現人神の創作者たち」にふれて、山本七平は、皇国思想の本質は、この信念のためには死んでも可なり、という自閉的な態度であって、その淵源は朱子学山崎闇斎あたりである、とみているという話をしたけれど、僕の考えは、それはむしろこの「内在」というあり方を本質としている、そしてその淵源は闇斎ではなく宣長なのではないかというものです。(略)

 

 

 

攘夷思想というのは、自分たちはなにも悪いことはしていない。そこに外国人が勝手に開国せよ、と要求して国内に入って来た、しかも彼らは中国をも植民地にしている、悪いことをしている、というんですから、正義の思想なんです。

 

 

でもこの朱子学的世界観に培われた正義の思想は、だからというので、生麦事件を起こして、薩英戦争をやってみると、一方的に敗れる。内在的な正義を言い立てているだけでは植民地にされてしまう。ではどうするか、という問題がはじめてこのとき、内在の思想に現れるんですね。

 

 

でも、この内在の思想は、こういうところまでいかないと、別の考えに「転轍」しない。そこまでいって、国内の攘夷思想の急先鋒だった薩摩と長州が、攘夷行動に突出し、こてんぱんにやられ、まず真っ先に開国思想に「転轍」する。

 

 

 

吉本さんは、戦争で考えに考えつめて、この戦争のために死ねる、と思ったけれども、終わって見たら、まったくわかっていなかった、と思った。そして吉本さんは、加藤さん、文学的発想ではダメなんだっていうことが自分の戦争の教訓なんですよと、橋爪さん、竹田さんと一緒にやった座談会(本書121頁「注」参照)で僕に言われた。

 

 

それはそのとおりで、この「内在」の方法というのは、それだけではダメだ、これが宣長以来の教訓、明治維新、この前の戦争を通じての教訓なんです。だけど、僕の考えでは、だからといって吉本さんの言い方が当たっているとも言えない。

 

 

そうだとしても、文学的発想、この「内在」の方法を否定しちゃいけないというのが僕の考えで、この「内在」から始まり、間違う、そして「関係」にめざめる、という道筋には普遍性というか必然性がある、そう考えるべきだと思うんです。(略)」

 

(〇太字にしているのは、私がなるほど…と感じた所です。)

 

「「関係」の意識というのはなにかといったら、「内在」でどんなに「真」や「信」がつかまれたとしても、関係の世界というのは、そういくつもの「真」や「信」が角遂しあうところなんだから、それでは通用しない、それは無効だという自覚です。

 

 

「関係」の世界というのは、ちょうどあの国際法が生み出されてくる三十年戦争の世界と同じで、「真」や「信」では解決がつかない、とにかくそれは脇においておいて、合意と調停の道を探そう、という「真」や「信」から切り離された世界、「関係」から価値をつくりだしてゆく世界のことなんです。(略)

 

 

 

吉本さんは、その「関係」の世界の場所から、「文学的発想」、「内在」はダメだ、と言う。でも僕は、それは違っているので、「文学的発想」から人が考えることには必然性がある、しかし、それだけでいったら、かならず間違う、というようにこれを言いなおすべきだと思っているわけです。(略)

 

でもそういうことじゃない。ある事象を外から見て、なんだ、間違っているじゃないか、と言うだけでは、西欧世界が未開の世界を見て、なんて野蛮なんだ、というのと変わらない。外から、ある事象、そこに人が生きている内部事象をみるには、そこに生きている人間にその事象は内部事象として存在している、つまり外部から見るのとは別にみえている、ということを繰り込まなくては、みたことにならない。

 

 

つまり自国の死者を否定して他国の死者に謝罪するような謝罪は、実は他国の死者をすらみていないということなんです。(略)

「三百万の自国の死者」に向き合うことが、「二千万の他国の死者」への謝罪、という場所にいく、唯一の入口なんです。」