読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

カジュアル・ベイカンシー

J・Kローリング著 「カジュアル・ベイカンシー ―突然の空席―」

について少しメモしておきたいと思います。

 

ハリー・ポッターがあまりにも面白く、すっかりローリングさんに魅せられてしまったので、もっと何か読みたくなって、この本を読みました。

読み終わったのはもうずいぶん前なのですが、「ハリー…」を二回読んだので、この本についても、少し感想を書いておきたいと思いました。

 

本からの抜き書きは「」で、感想は〇で記します。

 

「午後二時限目の始まる時間、スチュアート・”ファッツ”・ウオールは学校を出て行った。なにも、急に思い立ってずる休みをしたわけではない。この日最後の二時間授業のコンピューター演習をサボることは、前夜のうちに決めてあったのだ。(略)

 

 

大の親友同士であるファッツとアンドルーは、相手に対しておそらく同じ程度のあこがれや賛嘆の気持ちを抱いているはずだが、ファッツにかぎっては、アンドルーが自分を求める気持ちより、自分がアンドルーを求める気持ちの方が強いのではないかと思っていた。最近、ファッツは自分のそんな依存心を弱さの表れと考えるようになっている。(略)」

 

 

「人間が侵す過ちの九十九パーセントは、ファッツの見る限り、あるがままの自分を恥じることだ。あるがままの自分を偽り、別の誰かになろうとすることだ。正直さがファッツのトレードマーク、彼の武器であり防御の楯だった。正直さは人を怯えさせる。衝撃を与える。

 

 

ほかの人間は当惑と見せかけの中でのたうち回り、自分たちの実態が漏れ出すのではないかと怯えている。けれども、ファッツはむき出しのもの、醜くて、そのくせ正直なものすべてに惹きつけられ、自分の父親のような輩が屈辱と嫌悪を覚える汚いことやものに惹かれている。

 

 

ファッツは救世主たちと賎民(パリア)たちのことをさんざん考えている。狂人と、あるいは犯罪者とレッテルを貼られた人たち、寝ぼけた大衆に遠ざけられる高貴な不適格者たちのことをいつもいつも考えている。

 

 

困難なのは、、名誉なのは、本来の自分でいることだ。たとえその自分が残酷だったり危険だったりしたとしても。残酷だったり危険だったりするならば、なおさらのこと本来の自分でいるのはむずかしいけれども名誉あることだ。

 

 

たまたま自分がけだものだったとするなら、それを隠さずにいるのは勇気がいる。だからといって、実際以上にけだものであるふりをすることは避けなければならない。そんなことをすれば、誇張やごまかしが始まり、もう一人のカビーになってしまう。カビーと同じくらい噓つきに、偽善者になってしまう。

 

 

 

本物であること(オーセンティック)と本物でないこと(インオーセンティック)は、ファッツがよく使う言葉だ。ただし、頭の中で。彼にとってそのふたつはレーザー光線のような厳密な意味合いを持つ言葉だ。彼はその言葉を自分自身と他人にきわめて厳密に適用する。

 

 

ファッツは自分には本物の特性が複数ある、だからそれを伸ばし、磨き上げねばならないと決めていた。しかし、同時に、自分の思考習慣の一部は不幸な育ち方の不自然な産物で、だから、それは本物ではないから、追放されるべきものとも考えていた。最近の彼は、自分がこれは本物と思う衝動にしたがって行動する実験をしていて、それによって生まれそうな罪悪感と恐怖(本物でない)は無視したり押さえつけたりしてきた。

 

 

しかも、それは、明らかに、練習によってだんだん容易になり始めていた。彼は内面を鍛え上げたかった。無敵になりたかった。結果を恐れる気持ちから自由になりたかった。何よりも善と悪についての見せかけの概念を捨てたかった。

 

 

ファッツはこのところ、アンドルーに依存する自分に苛立ちを感じ始めているが、その理由のひとつは、アンドルーがそばにいると、ときとして、本物の自分を十分に出すのを制限することがあるという点だった。アンドルーはフェアプレイとは何かについての彼なりの規範を持っていた。だから、ファッツは、最近、そんな親友の顔に、彼が隠そうとして隠しおおせなかった不快感や戸惑いや落胆の色が浮かぶのを見てしまった。

 

 

アンドルーは誘惑の餌をまくときでも、他人をあざけりの対象にするときにも、それが行き過ぎにならないようにその寸前でとめるたちだった。だからといって、それでアンドルーを非難するつもりはファッツにはなかった。もしアンドルーが自分と一緒になって極端な行動に出るとしても、もし彼が心底そうしたいと思っているのでなければ、本物ではないということになるだろうから。

 

 

厄介なのは、アンドルーが道徳のようなものにこだわる様子を見せていること、そしてファッツ自身は何がなんでもそういうものとは闘ってやるという思いを募らせていることだった。ファッツは、完璧に本物といえることを感情に左右されずに正しく追及するには、アンドルーとの友情を断ち切る必要があったのではないかと思っている。にもかかわらず、彼はいまでもほかの誰よりも、アンドルーと一緒にいることを優先している。(略)」

 

〇この物語は誰が「主人公」なのかわかりません。登場人物の日々の様子や抱えている問題を淡々と描写しているので、等身大の人間が描かれていて興味深いとは思いながらも、これがどこまで続くのだろうと少しうんざりして来た時に、このファッツについての描写が始まりました。

 

突然言葉に生命力が吹き込まれたかのように、生き生きとした鮮やかな空気がページの中に漂い始めたのを感じました。若いころ、自分もそれに近いことを思ったことがあったからなのか…… 今の自分はそんなことは、心の中に封じ込めて、生きているからなのか……。

 

ここを読んで強い印象を受けました。

 

「近頃ファッツは妙にわびしかった。いつものようにまわりのみんなを笑わせてはいたが。彼が行動を縛る道徳心から自由になろうとしているのは、彼が長年自分の中で押さえつけてきた何ものか、子供時代に別れを告げた時になくした何かを、取り戻そうとする試みだった。

 

 

彼が取り戻したいのは、ある種の無垢さ。そして、それを取り戻すために彼が選んだ道は、悪いとされていながら、ファッツには逆に本物にいたる―ある種の純粋さにいたる唯一の正しい方法と想えるすべてのことをくぐり抜けることだった。興味深いことに、すべてのものごとがあべこべ、日頃聞かされてきたことととは逆だったということがなんと頻繁にあったことか。

 

 

このところ、ファッツは、人から教えられた知恵のひとつひとつをひょいとはじいて逆さまにしてみれば、真実がわかるはずだと思い始めている。暗い迷路を巡り歩き、その中にひそむ異様なるものと格闘したい。信仰心を叩き割り、偽善の仮面をあばき出してやりたい。禁忌(タブー)を犯し、血塗られたその心臓から知恵を絞りだしてやりたい。道徳律の枠外で神の恩寵を受けたい。そして洗礼を受けて無知と愚鈍に戻りたい。

 

 

というわけで、ファッツはまだ違反したことのない数少ない校則のひとつを破り、教室を抜け出してフィールズへと入って来た。彼の知るほかのどの場所よりもフールズはむき出しの状態で拍動する現実に近いからというだけでなく、彼の好奇心を刺激するある種の悪党に出くわしそうだという漠然とした期待があったからだ。(略)」

 

 

 

「もしあれが自分なら、違ったやり方をしただろう、とファッツは思った。他人が自分のつぶれた顔を見てどう思うかと気にするのは、本物のすることではない。自分なら、たとえ喧嘩をしても、ふだんと変わらぬ態度でいたいものだ。もし誰かが喧嘩のことを知っていたとしても、それは彼らがたまたまその現場を目撃したからだ、という調子でありたい。

 

 

ファッツはまだ一度も殴られたことがない。このところ挑発的な態度に出ることが多くなっているというのに。近頃彼はよく、喧嘩をするとどんな気がするだろう、と考えることがある。自分の求める本物という状態には暴力も含まれるのかも知れない。(略)」

 

〇 「本物であること」と「本物でないこと」、この感覚は今も私の中にあるような気がします。また、カビーがバリー・フェアブラザーの冗談にお追従めいた笑い声をあげる姿は、私の中にもそれに似たものがあるような気がします。

 

ファッツはカビーを軽蔑し、嫌悪し、自分は本物であろうとしました。でも私は、自分がカビーであるという自覚を持ちながら、それにも関わらず、生きてきた、と思っています。ファッツのように「本物であること」を目指すだけの勇気がなかった。

 

若かった頃は、本当に色々苦しかった。今はもうなぜあんなに苦しかったのか、

忘れてしまいました。でも、その苦しみの一部にこの「本物であること」と「本物でないこと」の意識があったような気がします。

 

 

「「申し訳ないけど、テリ」とケイ。「あなたはひとりで小さい子どもの世話ができるような状態じゃないわ」

「やってないよ、絶対に―」

 

「そんなふうに、やってない、打ってない、って言い続けてればいいわ」とケイはいった。それを聞いたクリスタルは、はじめてケイの声に人間らしい何かを聞き取った。その何かは、激しい怒り、いらだち―― 何かそのようなものだった。

 

 

「でも、あなたはいずれクリニックで検査を受けることになるわ。お互いにわかってるわよね、検査結果は陽性だってことくらい。クリニックの担当者がいってるの、あなたにとってこれが最後のチャンスだ、って。また放り出されることになるだろう、って」」

 

 

〇 自分が何故ここに付箋を貼っていたのか、後で読み返して不思議でした。でも、思い出しました。あの頃、「モリ・カケ・サクラ」で平然と「やってない」を繰り返す安倍首相を見て、このテリのようだと思ったのでした。「お互いにわかっているウソ」を平然と言う首相、報道するマスコミ、聞く国民。やりきれなさがこのケイの激しい怒りに重なりました。

 

「フェアブラザーさんはいろんなことで面倒をみてくれた。いろんな問題も解決してくれた。うちに来て、ボート部のことでテリと話をしてくれたこともある。テリがチームで遠征するときに要る書類にサインしてくれなかったから、喧嘩になったこともあったけど、それでもいやな顔ひとつしなかった。

 

 

うんざりしてたのかもしれないけど、それを顔には出さなかった。いやな顔をしないのと、うんざりしててもそれを顔に出さないのは、結果として同じことだ。

人を好きになったことも信用したこともないテリが「あの男はいいね」といった。そして書類にサインした。(略)

 

 

クリスタルの頭の中で、澄んだはっきりした声がフェアブラザーさんに話しかけていた。フェアブラザーさんはクリスタルが求める道を示してくれた唯一の大人だった。善良だけど視野の狭いテッサとも、ありのままの事実に耳を貸そうとしないキャスばあちゃんとも違った。」

 

「車が角をひとつ曲がるたびに、母親は自分を家に連れて帰るつもりだという思いが強くなった。これまではカビーのほうが怖かった。でもいまはどちらが怖いのかわからなくなっている。

 

走る車から飛び降りたい。でも、ドアはすべてロックされている。

テッサは何も言わずいきなりハンドルを切ってブレーキをかけた。助手席の脇をつかんで窓に目を向けた。車が停まったのは、ヤーヴィルとパグフォードを結ぶバイパスの待避車線だった。車から降りろといわれるのが怖くて、ファッツは思わず泣き腫らした顔を母親に向けた。

 

「あなたの生みの母親は」といって、テッサはそれまで一度も見せたことのない憐みもやさしさもない顔で、ファッツを見つめた。「十四歳だったの。仲介者の話を聞いた限りでは、中産階級の家庭で育った、とても聡明な女の子だという印象だった。父親が誰かは頑としていわないという話だったわ。

 

 

未成年の恋人を守っているのか、もっと悪いことがあるのかを知る人もいなかった。私たち夫婦は分かる限りの情報を与えられた。場合によっては、精神的もしくは肉体的な障害を抱えている可能性もある。場合によっては」テッサはきっぱりといった。教師が確実に試験に出す予定でいる要点を強調しようとするように、「近親相姦で生まれた子どもである可能性もある」

 

 

ファッツはすくみ上ってテッサから離れた。銃で撃たれた方がましだった。

「わたしはどうしてもあなたを養子にしたかった」とテッサはいった。

(略)

コリンはわたしに言ったわ。「僕には無理だ。赤ん坊を傷つけるかもしれない。それが怖くてたまらない。(略)」

 

 

我が家に連れて来たあなたは、未熟児で、とても小さかった。あなたがうちに来て五日目の夜、コリンはベッドから抜け出して、ガレージにこもって車の排気管にホースを突っ込んで、自殺しようとした。そうでないと、あなたの首を絞めると思いこんだの。コリンはもう少しで死ぬところだったわ」

 

 

「だから、責めるならわたしを責めなさい」とテッサはいった。「わたしが我を通したからあなたもコリンもつらい思いをすることになった。それからあとに起きたことも、多分、責任は全部わたしにあるんでしょうね。でも、これだけはいっておくわ。スチュアート。

 

 

あなたの父親は、自分ではけっしてしていないことに向き合いながら人生を送って来た。あなたにそういう種類の勇気を理解してもらうことは期待していない。でもね」テッサはそこではじめて声を上ずらせた。それは自分の知っている母親の声だった。

 

 

「あの人はあなたを愛しているのよ、スチュアート」

最後に嘘を付け加えたのは、そうせずにはいられなかったからだ。テッサはこの夜はじめて、それが嘘であることを確信した。そして、これまでの人生でしてきたこと、そうすることがいちばんいいと自分に言い聞かせてきたことのすべてが、あとさきを考えない身勝手な行為だったこと、それがすべての混乱と混沌を生み出したことを思い知らされた。

 

 

でも、どの星がすでに死んでいるかを知って、耐えられる人がいるだろうか?テッサは夜空を見上げて目をしばたたいた。じつはみんな死んでいるのだと知って、耐えられる人などいるだろうか?

テッサはキーを回してエンジンをかけ、力まかせにギアを入れて、ふたたびバイパスを走り出した。

「フィールズには行きたくない」ファッツが恐怖に駆られて口を開いた。

「フィールズには行かないわ」とテッサはいった。「あなたを家に連れて帰るのよ」」

 

〇 以前、「「正義」を考える」の中でなぜ「物語が無くなったのか」という問いが語られました。あれ以来、私は何度もそのことを考えました。

そして最近、物語は願いや望み、祈りなどから生まれるのではないか、と思うようになりました。

どうしてもどうしてもそうであってほしい…強い願いが、「神」を作り出し「愛」を作り出し「正義」を作り出す。

 

 

そう信じないでは生きていられないほどに、そのことを願わずにいられない。

そんな所に物語が生まれるのでは、と。

 

実は、最近、朝刊に連載されている島田雅彦著「パンとサーカス」を楽しみに読んでいます。ここにも、強い願いがあります。この物語を読み、そう思うようになった気がします。

 

また少しずつ付け足すことがあるかもしれませんが、これで一旦「カジュアル・ベイカンシー」のメモを終わります。