読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼戦後民主主義の危機=象徴天皇制の危機

そうしたなかで発せられた今上天皇の「お言葉」の内容として目を引いたのは、「天皇の務め」、とりわけ「象徴としての役割を果たす」ことに対する繰り返しの言及であった。(略)

 

 

「お言葉」によって明らかにされたのは、日本社会が解決済みと見なしてほとんど忘れ去っていた問いをめぐって、天皇その人が孤独な思索を続けてきたという事実ではなかっただろうか。

 

 

そして、危機において、天皇は自らの思索の成果を国民に提示した。つまり、「象徴天皇制とは何か」という問いへ国民の目を向けさせることによって、それが戦後民主主義と共に危機を迎えており、打開する手立てを模索しなければならないとの呼びかけがなされたのである。

 

 

▼ 動的象徴論

(略)

ここに今上天皇の思想がある。「象徴としての役割を果たす」ことは、ただ単に天皇が生きていればよいというものではなく、また摂政が代行しうるものでもない。文字通り「全身全霊をもって」国民の平和を祈り、また災害に傷ついた人々や社会的弱者を励ますために東奔西走しなければならない職務である、というご自身の考えがはっきりと打ち出されたのである。

 

 

今上天皇の即位以来、いわゆる「平成流」として捉えられてきた天皇・皇后の行動の特徴は「動く」ことだった。とりわけ、災害が相次いだ平成の時代に、おふたりが多くの被災地に赴き、時に膝を折って被災者と同じ目線に立ちながら、慰めと労いの言葉をかけてきた、その積極的な姿勢は、天皇・皇后に対する国民の敬愛の念を大いに高めてきた。(略)

 

 

 

逆に言えば、天皇が「動き」、国民との交流を深め、そしてそれに基づいた「祈り」を実行することによってはじめて、天皇の持つ「象徴」の機能は作用しうる、というのである。

 

 

天皇のアルカイスムー 国を支える「祈り」

そして、この論点は、次のような摂政否定論に直接つながっている。

 

また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 

 

この件は、今上天皇の見解に含まれる一種のアルカイックな思想を想定しなければ理解できない。天皇は、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続ける」事態を何としても避けなければならない、と言っている。それはなぜなのか。(略)

 

 

そして、その務めを果たせなくなった天皇は、もはや天皇であり続けるべきではないと言う。それは、務めを果たせないのに天皇の地位にいるという状態が、その天皇自身にとって不本意だ(だから、退位させてほしい)、などということを言っているのではない。

 

 

 

それを裏付けるものとして、今上天皇は、生前退位(譲位)の制度化に拘ったと伝えられている。つまり、制度化することによって、その時々の天皇が「動き、祈ること」が止まってしまう事態を生じさせないこと、天皇による祈りに空白が生まれることを避けなければならない、と言っているのである。(略)

 

 

神であれ人であれ、天皇はその祈りによって、日本という共同体の霊的中心である、というのがその答えであるように筆者には思われる。

この考えによれば、天皇の務めの本質は、共同体の一体性を作り上げ維持することにある。その現代的意味がどのような文脈上にあるのか、本書の最後に立ち返ることとしよう。」

 

〇「共同体の霊的中心」とか「共同体の一体性を作り上げ維持すること」。

私たちの国、日本の場合、それは、何によってなされるのか…

そう考える時、本当に何もないなぁと感じてしまいます。

何もない。思想も価値観も物語もない。それらが編みこまれた宗教がない。

だから、天皇を持って来るしかない…。そんな風に感じてしまいます。