読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ アメリカを頂点とする「戦後の国体」

しかし、この状態は奇妙ではあっても、日本国民に果実をもたらした。それゆえに、戦後という時代は、「平和と繁栄」という形容を永らく与えられてきたのである。そしていま、そのことのアイロニカルな帰結を、われわれは目撃している。(略)

 

 

にもかかわらず戦後レジームを護持しようとする、この国の親米保守支配層にとって、いまや精神的権威は天皇ではなくアメリカへとスライドしている。安倍首相が各国のメディアから米大統領に「へつらっている」と評される一方、首相のお気に入りの言論人は「天皇は祈っているだけで良い」と言い放つ。(略)

 

 

現に、政官財学メディアの主流を成す親米保守派の姿は、アメリカの国益の実現のために粉骨砕身しているかのように見えるが、それは日本社会を荒廃させることによって、「国民の統合」を上から破壊しつつある。(略)

 

そして、この体制を支える大衆的基盤に目を転ずれば、現政権の熱心な支持者である右派活動家たちが、街宣行動において星条旗を持ち出す光景は、すでに見慣れたものとなった。

彼らにとって、星条旗は日の丸と同等に、あるいはそれ以上に国旗なのであろう。

 

 

 

▼われわれの立っている岐路

敗戦にもかかわらず天皇制が護持されたことを当時の日本人の大半が喜んだが、そのことの本当の意味が、いま露わになりつつある。「われわれは、われわれの天皇を失いはしなかった」と本当に言えるのかという問いから、もはや誰も逃れることはできない。

 

 

 

おそらくわれわれは、世界史上でも稀な、途轍もなく奇妙な敗戦、すなわち、どのような敗北を喫しているのか敗者自身が自覚できないことによってそこから脱出できなくなるような異常な敗北を経験しているのであり、そのことが表面化してきたのである。

 

 

 

このような状況下で「お言葉」は発せられた。

敗戦国で「権威ある傀儡」の地位にとどまらざるを得なかった父(昭和天皇)の代に始まった象徴天皇制を、烈しい祈りによって再賦活した今上天皇は、時勢に適合しなくなったその根本構造を乗り越えるために何が必要なのかを国民に考えるよう呼びかけた。

 

 

もしもこれに誰も応えることが出来ないのであれば、天皇制は終わるだろう。現に国民が統合されておらず、統合の回復を誰も欲してさえしないのならば、「統合の象徴」もあり得ないからである。あるいは、アメリカが天皇の役をやってくれて、それでいいのであれば、日本の天皇など必要ないからである。

 

 

われわれがそのような岐路に立っていることを、「お言葉」は告げた。

本書の探求が目指すのは、近現代の国体の歴史をたどることによって、この「岐路」の本質を見極めることである。」

 

 

第二章  国体は二度死ぬ

 

1 「失われた時代」としての平成

(略)

▼ 経済成長の終焉— 民族再起の物語の空転

第一には、バブルの崩壊は、戦後ほぼ一貫して右肩上がりであり続けた日本経済の成長期にピリオドを打った。(略)

 

▼ 東西冷戦の終焉— アメリカによる「庇護」から「収奪」へ

第二には、東側ブロックの崩壊による東西冷戦の終焉である。(略)

「日米構造協議」が始まるのは一九八九年のことであるが、この流れは後に「日米包括経済協議」、さらには「年次改革要望書」等へと姿を変え、さらにはTPP(環太平洋パートナーシップ)協定へと展開し、そこからアメリカが離脱したことにより今後は日米FTA自由貿易協定)協議へと展開することが有力視されている。(略)

 

 

 

こうした推移が意味するのは、要するに、アメリカの対日姿勢の基礎が「庇護」から「収奪」へと転換したということであるが、国際的背景を考慮すれば、それは当然の事柄である。超大国超大国たる所以は、衰退局面にあってもそのツケを他国に廻すことができるという点にある。

 

 

 

▼ 昭和の終焉

第三に、これは全くの偶然であったが、この二つの大転換とほとんど同時に、一九八九年、昭和天皇の逝去によって昭和が終わった。(略)

 

 

平成の時代は、この時に始まったのである。してみれば、この時代の課題は、戦後日本の「平和と繁栄」を支えた条件の消滅を受け止め、新しい条件に適応するための変化を成し遂げることであったはずである。

 

 

しかし現実には、力強い経済成長を取り戻すことはできず、さりとて経済成長に代わる新しい豊かさや幸福のあり方を確立することもできないまま、格差拡大と貧困の蔓延によって、新しい階級社会が生み出された(経済における「失われた二〇年」)。(略)」